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第17話 感謝される名前と、呼ばれなくなった名前
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第17話 感謝される名前と、呼ばれなくなった名前
王都の朝は、久しぶりに落ち着いていた。
市場に並ぶ露店の声は穏やかで、
街灯は安定した光を保ち、
魔導暖房の温度は一定のまま揺れない。
それは奇跡ではない。
管理された結果だった。
「……本当に、戻ったな」
中央区の広場で、年配の商人が空を見上げて言った。
「結界の揺れ、完全に消えた」
「前みたいだ……いや、前以上かもしれない」
その言葉に、周囲が頷く。
「やっぱり、あの人だよ」
誰かが、はっきりと口にした。
「エルフレイド様が、直したんだろ?」
もう、名前を伏せる者はいなかった。
王都では、噂が確信へと変わっていく。
魔導庁。
壁一面に並ぶ数値盤を前に、若い技師が震える声で言った。
「……すべて、基準値どころか、最適値です」
「応急安定化のはずだろ?」
「はい……なのに、
負荷効率は以前より上がっている」
隣に立つ上官が、乾いた笑みを浮かべる。
「“応急”って言葉を、
普通の人間は、ここまで使えない」
机の上の報告書には、こう記されていた。
《最小介入による最大安定化》
それが誰の設計思想か、
誰もが理解していた。
一方、王宮。
アラルガン王太子は、朝の定例報告を受けていた。
「……民の不満は?」
「……減少傾向にあります」
側近の声は、慎重だった。
「減少?」
「はい。
結界が安定したことで、
抗議の声は沈静化しつつあります」
王太子は、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうか」
国は、落ち着きを取り戻しつつある。
それ自体は、喜ぶべきことだ。
だが――
「……殿下」
側近が、言いにくそうに続ける。
「代わりに、別の声が……」
「何だ」
「……感謝の声です」
王太子の指が、止まる。
「誰への?」
その問いに、側近は一瞬、言葉を選んだ。
「……エルフレイド・ヴァルシュタイン殿への」
沈黙。
王太子は、何も言わなかった。
否、言えなかった。
王都のあちこちで、同じ光景が広がっていた。
「エルフレイド様が戻ってくれたんだ!」
「いや、戻ったんじゃない。
助けてくれたんだ」
「それでも……感謝しないと」
商店の壁には、誰が始めたとも知れぬ紙が貼られ始めていた。
《結界安定、感謝します》
《エルフレイド様へ》
それは、祈りでも抗議でもない。
純粋な感謝だった。
王宮前。
警備兵が、困惑した顔で報告する。
「……殿下。
民が、花を……」
「花?」
「はい。
結界が見える方向に、
花束を供えている者が増えています」
王太子は、無言で立ち上がり、窓に近づいた。
遠く、王宮前広場の一角。
結界の光を背に、色とりどりの花が並んでいる。
そこに、王太子の名はない。
王国の名もない。
あるのは、一人の名だけ。
「……私は」
王太子は、かすれた声で呟いた。
「間違って、いなかったはずだ……」
そう思わなければ、
自分が、何を失ったのかを認めてしまう。
一方、隣国。
エルフレイドは、制御室で淡々と数値を確認していた。
「感謝の声が、届いています」
補佐官が、少し戸惑った様子で言う。
「……どう対応しますか?」
「不要です」
即答だった。
「私は、契約に基づく業務を行っただけです」
「ですが……民は……」
「感情は、管理対象ではありません」
彼女は、視線を上げない。
「数値が安定していれば、それで十分です」
だが、そのやり取りを、ゼノスは黙って聞いていた。
「……君は、評価されることに興味がないのか」
「興味がないわけではありません」
エルフレイドは、手を止める。
「ですが、
評価は、後から付いてくるものです」
ゼノスは、わずかに口角を上げた。
「だから、付いてくる」
「え?」
「君が拒んでも、だ」
その言葉に、エルフレイドは少しだけ目を伏せた。
旧王国の王宮では、その頃、別の報告が上がっていた。
「……殿下」
「今度は、何だ」
「……街で、“王太子殿下のお名前”が、
ほとんど聞かれなくなっています」
王太子は、苦く笑った。
「……そうだろうな」
民は、結果を見る。
誰が守ったのか。
誰が、決断を誤ったのか。
その答えは、
声に出さなくても、
すでに共有されていた。
夜。
王太子は、一人で書斎に座っていた。
机の引き出しには、
かつてエルフレイドが整理していた書類の控え。
「……あの女は」
呟きが、闇に溶ける。
「……最初から、
国を見ていたのか……」
その問いに、
もう答えは必要ない。
答えは、王都の空にある。
安定した光として。
一方、エルフレイドは、隣国の夜景を眺めていた。
「……名前は、広まっています」
補佐官が言う。
「ええ」
彼女は、静かに答える。
「ですが、それでいい」
名声は、求めるものではない。
積み重ねの副産物だ。
そして――
呼ばれなくなった名前もまた、
選択の結果だった。
国を救った名と、
忘れられていく名。
その差は、
もう、誰の目にも明らかだった。
王都の朝は、久しぶりに落ち着いていた。
市場に並ぶ露店の声は穏やかで、
街灯は安定した光を保ち、
魔導暖房の温度は一定のまま揺れない。
それは奇跡ではない。
管理された結果だった。
「……本当に、戻ったな」
中央区の広場で、年配の商人が空を見上げて言った。
「結界の揺れ、完全に消えた」
「前みたいだ……いや、前以上かもしれない」
その言葉に、周囲が頷く。
「やっぱり、あの人だよ」
誰かが、はっきりと口にした。
「エルフレイド様が、直したんだろ?」
もう、名前を伏せる者はいなかった。
王都では、噂が確信へと変わっていく。
魔導庁。
壁一面に並ぶ数値盤を前に、若い技師が震える声で言った。
「……すべて、基準値どころか、最適値です」
「応急安定化のはずだろ?」
「はい……なのに、
負荷効率は以前より上がっている」
隣に立つ上官が、乾いた笑みを浮かべる。
「“応急”って言葉を、
普通の人間は、ここまで使えない」
机の上の報告書には、こう記されていた。
《最小介入による最大安定化》
それが誰の設計思想か、
誰もが理解していた。
一方、王宮。
アラルガン王太子は、朝の定例報告を受けていた。
「……民の不満は?」
「……減少傾向にあります」
側近の声は、慎重だった。
「減少?」
「はい。
結界が安定したことで、
抗議の声は沈静化しつつあります」
王太子は、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうか」
国は、落ち着きを取り戻しつつある。
それ自体は、喜ぶべきことだ。
だが――
「……殿下」
側近が、言いにくそうに続ける。
「代わりに、別の声が……」
「何だ」
「……感謝の声です」
王太子の指が、止まる。
「誰への?」
その問いに、側近は一瞬、言葉を選んだ。
「……エルフレイド・ヴァルシュタイン殿への」
沈黙。
王太子は、何も言わなかった。
否、言えなかった。
王都のあちこちで、同じ光景が広がっていた。
「エルフレイド様が戻ってくれたんだ!」
「いや、戻ったんじゃない。
助けてくれたんだ」
「それでも……感謝しないと」
商店の壁には、誰が始めたとも知れぬ紙が貼られ始めていた。
《結界安定、感謝します》
《エルフレイド様へ》
それは、祈りでも抗議でもない。
純粋な感謝だった。
王宮前。
警備兵が、困惑した顔で報告する。
「……殿下。
民が、花を……」
「花?」
「はい。
結界が見える方向に、
花束を供えている者が増えています」
王太子は、無言で立ち上がり、窓に近づいた。
遠く、王宮前広場の一角。
結界の光を背に、色とりどりの花が並んでいる。
そこに、王太子の名はない。
王国の名もない。
あるのは、一人の名だけ。
「……私は」
王太子は、かすれた声で呟いた。
「間違って、いなかったはずだ……」
そう思わなければ、
自分が、何を失ったのかを認めてしまう。
一方、隣国。
エルフレイドは、制御室で淡々と数値を確認していた。
「感謝の声が、届いています」
補佐官が、少し戸惑った様子で言う。
「……どう対応しますか?」
「不要です」
即答だった。
「私は、契約に基づく業務を行っただけです」
「ですが……民は……」
「感情は、管理対象ではありません」
彼女は、視線を上げない。
「数値が安定していれば、それで十分です」
だが、そのやり取りを、ゼノスは黙って聞いていた。
「……君は、評価されることに興味がないのか」
「興味がないわけではありません」
エルフレイドは、手を止める。
「ですが、
評価は、後から付いてくるものです」
ゼノスは、わずかに口角を上げた。
「だから、付いてくる」
「え?」
「君が拒んでも、だ」
その言葉に、エルフレイドは少しだけ目を伏せた。
旧王国の王宮では、その頃、別の報告が上がっていた。
「……殿下」
「今度は、何だ」
「……街で、“王太子殿下のお名前”が、
ほとんど聞かれなくなっています」
王太子は、苦く笑った。
「……そうだろうな」
民は、結果を見る。
誰が守ったのか。
誰が、決断を誤ったのか。
その答えは、
声に出さなくても、
すでに共有されていた。
夜。
王太子は、一人で書斎に座っていた。
机の引き出しには、
かつてエルフレイドが整理していた書類の控え。
「……あの女は」
呟きが、闇に溶ける。
「……最初から、
国を見ていたのか……」
その問いに、
もう答えは必要ない。
答えは、王都の空にある。
安定した光として。
一方、エルフレイドは、隣国の夜景を眺めていた。
「……名前は、広まっています」
補佐官が言う。
「ええ」
彼女は、静かに答える。
「ですが、それでいい」
名声は、求めるものではない。
積み重ねの副産物だ。
そして――
呼ばれなくなった名前もまた、
選択の結果だった。
国を救った名と、
忘れられていく名。
その差は、
もう、誰の目にも明らかだった。
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