婚約破棄して「無能」と捨てた元婚約者様へ。私が隣国の魔導予算を握っていますが、今さら戻ってこいなんて冗談ですよね?』

鷹 綾

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第16話 救われたのは国で、縛られたのは王だった

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第16話 救われたのは国で、縛られたのは王だった

 王都の空が、久しぶりに澄んでいた。

 朝焼けに溶けるような淡い光が、王都全域を包み込む。
 それは、装飾的な輝きではない。
 数値が安定した結果として現れた、静かな光だった。

「……戻ったな」

 城壁上で空を見上げていた老兵が、ぽつりと呟く。

「結界の揺らぎが、完全に止まってる」

「昨日までとは、別物だ……」

 街灯は安定し、魔導暖房は一定の出力を保ち、
 魔導防護柵の反応値も、すべて基準値内に収まっていた。

 民は、理由を詳しく知らない。
 だが、分かることはあった。

 ――命の危険が、遠のいた。

 王宮・魔導庁。

 徹夜明けの技師たちは、呆然と数値盤を見つめていた。

「……嘘だろ」

「負荷分散、再設計されてる……
 しかも、既存設備を一切壊さずに……」

「誰だ、これを……」

 答えは、誰もが知っていた。

 だが、口にする者はいない。

 王宮上階、執務室。

 アラルガン王太子は、机に置かれた報告書を、無言で読み続けていた。

「……魔導障壁、安定化を確認。
 外縁部、防護柵の反応正常……」

 一枚、また一枚。

 どの報告書にも、同じ文言が記されている。

 《エルフレイド・ヴァルシュタイン管理下において実施》

 王太子は、報告書を閉じ、深く椅子にもたれた。

「……助かった、のか」

 声は、誰に向けるでもない独り言だった。

 国は、助かった。
 民は、守られた。

 だが――

「……代償は、安すぎたか?」

 その問いに、答える者はいない。

 答えは、彼自身が一番よく分かっている。

 王太子は、机の引き出しから、一通の控え文書を取り出した。
 あの署名した条件書の写し。

 そこに記された条文は、今も変わらない。

 決定権の放棄。
 管理権の委譲。
 責任の帰属。

 王は、国を救う代わりに、
 自らの首輪を受け入れたのだ。

 一方、隣国。

 エルフレイドは、臨時設営された制御室で、静かに数値を確認していた。

「応急安定化、第一段階完了」

 淡々とした声。

「第二段階、負荷予測も問題なし。
 ……想定通りです」

 周囲に控える隣国技師たちは、息を呑む。

「ここまで、短時間で……」

「しかも、旧王国側の設備を尊重した設計……」

 エルフレイドは、顔を上げない。

「破壊して作り直すのは、簡単です。
 ですが、それでは“次”が育ちません」

「次……?」

「彼ら自身が、管理できる未来です」

 その言葉に、技師たちは言葉を失った。

 そこには、勝者の驕りも、復讐の悦楽もない。
 あるのは、責任を果たす者の視点だけだった。

 制御室の扉が開く。

「……仕事は順調か」

 ゼノス・フォン・バルドールだった。

「はい」

 エルフレイドは、即答する。

「旧王国側の結界は、
 少なくとも当面、崩壊しません」

「“当面”だな」

「はい」

 彼女は、初めて手を止め、ゼノスを見る。

「条件通りです」

 ゼノスは、低く笑った。

「徹底している」

「契約ですから」

 それだけだった。

 その頃、旧王国の街。

 市場に、久しぶりに笑顔が戻り始めていた。

「暖かい……」

「結界、完全に安定したらしいぞ」

「やっぱり、あの人が……」

 名前は、もう隠されていなかった。

「エルフレイド様だろ?」

「追い出されたって、聞いたぞ……」

「信じられないよな」

 民の声は、自然と一つの疑問に収束していく。

「……なんで、追い出したんだ?」

 その問いは、
 誰にも止められなかった。

 王宮では、王太子が単独で、執務机に向かっていた。

 かつて、隣に座り、黙々と書類を整理していた存在。
 その不在が、今は重くのしかかる。

「……戻れ、とは言えない」

 言えるはずがない。

 彼女は、もう“臣下”ではない。
 対等ですらない。

 管理者と、管理される側。

 それが、今の関係だった。

 王太子は、窓の外を見た。

 安定した光に包まれた王都。
 救われた民。

 だが、その光は、
 彼の足元までは、照らしていない。

「……国は救われた」

 彼は、低く呟く。

「だが、王は――」

 その先の言葉は、出なかった。

 出してはいけない言葉だった。

 その頃、隣国皇城の高台で。

 エルフレイドは、遠く旧王国の方角を見つめていた。

「……これで、第一段階は終わりです」

「次は?」

 ゼノスが問う。

「次は」

 彼女は、静かに答える。

「彼らが、どれだけ学ぶかです」

 ゼノスは、わずかに目を細めた。

「もし、学ばなければ?」

 エルフレイドは、迷わず言った。

「次は、助かりません」

 それは、脅しでも宣告でもない。

 事実だった。

 救われたのは、国。
 縛られたのは、王。

 そして――
 選ばれ続けるのは、
 静かに、確実に、仕事をした者だった。

 物語は、まだ終わらない。
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