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第18話 謝罪という言葉を、誰が最初に失ったのか
しおりを挟む王都に、奇妙な静けさが訪れていた。
結界は安定し、魔導具は正しく動き、
街の機能は、ほぼ完全に回復している。
――それなのに。
王宮の空気だけが、重かった。
評議室では、誰もが言葉を選び、
誰もが視線を逸らしていた。
「……次の議題に移ります」
書記官の声が、やけに乾いて響く。
アラルガン王太子は、机に置かれた報告書を、指先でなぞっていた。
内容は、どれも同じだ。
《魔導障壁、安定継続》
《民心、沈静化傾向》
だが、その下に付された補足が、彼の視線を止める。
《功績評価に関する世論:エルフレイド・ヴァルシュタイン殿に集中》
王太子は、そっと紙を伏せた。
――またか。
この数日、
彼の名は、報告書の本文から消えつつある。
残るのは、
「判断を下した者」ではなく、
「判断を誤った者」としての記述だけだ。
「……殿下」
財務卿が、慎重に口を開いた。
「民からの嘆願書が、増えています」
「……内容は?」
「……“感謝を正式に伝える場を設けてほしい”と」
王太子の眉が、わずかに動く。
「誰に、だ」
分かっている問いだった。
「……エルフレイド殿に、です」
沈黙。
その言葉が、
この場にいる全員の胸に、同じ重さで落ちる。
「……公的な場で?」
「はい」
軍務卿が続ける。
「形式としては、
功労者への謝意表明、
あるいは……謝罪を含むものになるかと」
その瞬間。
王太子の指が、机を強く叩いた。
「謝罪、だと?」
声は低く、鋭い。
「私は、国を救った。
結果として、民は守られている」
「……それは、事実です」
ローディアスが、静かに言った。
「ですが、
誰が救ったのかという点については……」
「分かっている!」
王太子は、声を荒げる。
「分かっているが……
それでも、だ」
彼は、言葉を探す。
「王太子が、
一人の元婚約者に、
頭を下げるなど……」
言い切れなかった。
その言葉の先にあるのは、
自らの失敗を、公式に認める行為だからだ。
沈黙が、重く続く。
やがて、財務卿が、ゆっくりと言った。
「……殿下」
「何だ」
「謝罪とは、
過去を否定することではありません」
王太子は、視線を上げる。
「過去を、正しく位置づけることです」
その言葉は、
静かだが、鋭かった。
「今、民が求めているのは、
誰かを貶めることではない」
「……」
「責任を取る姿勢です」
王太子は、何も言えなかった。
一方、隣国。
エルフレイドは、応急安定化の最終確認を終え、
静かに端末を閉じていた。
「旧王国側から、非公式の打診が来ています」
補佐官が、慎重に告げる。
「……内容は?」
「……“感謝と謝意を伝える場”を設けたい、と」
エルフレイドは、少しだけ目を伏せた。
「……謝罪、ですか」
「はい」
補佐官は、戸惑いを隠せない。
「どう、対応されますか?」
しばしの沈黙。
彼女は、ゆっくりと答えた。
「必要ありません」
即答だった。
「私は、契約通りの仕事をしました」
「ですが……
民の気持ちは……」
「理解しています」
エルフレイドは、穏やかに言う。
「ですが、
謝罪を受け取る立場には、
もう、いません」
その言葉は、冷たいのではない。
線引きだった。
ゼノス・フォン・バルドールは、少し離れた位置で、その会話を聞いていた。
「……拒否するのか」
「拒否ではありません」
エルフレイドは、首を振る。
「不要だと、申し上げているだけです」
「理由は?」
「謝罪は、
関係が続くことを前提に行われます」
彼女は、はっきりと言った。
「私は、
もう彼らと、
同じ場所には立っていません」
ゼノスは、しばらく黙ってから言った。
「冷静だな」
「現実的です」
その頃、王宮では、
王太子が一人、書斎にこもっていた。
机の上には、白紙の文書。
――謝罪文案。
書き出しすら、決まらない。
「……謝罪、とは」
彼は、低く呟く。
誰に。
何を。
どこまで。
そのどれもが、
自分の立場を、
確実に削っていく。
「……遅すぎた、のか」
その問いに、答える声はない。
だが、現実は、
すでに答えを出している。
エルフレイドは、
謝罪を求めていない。
それどころか、
必要としていない。
それは、
彼女が許したからではない。
許す対象から、
王太子が外れたからだ。
夜。
王太子は、書斎の窓から、王都の光を見下ろした。
安定した結界の光。
守られた民の生活。
「……私は」
声が、震える。
「……最初に、
何を失ったんだ……」
答えは、もう分かっている。
彼が最初に失ったのは、
謝罪という選択肢だった。
それを選ばなかった瞬間から、
彼は、取り返しのつかない場所へ、
一歩ずつ進んでいたのだから。
そして今――
その距離は、
もはや、埋められないほどに、
開いていた。
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