『選ばれなかった孤児は、同じ時間を生きることを選んだ』

鷹 綾

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第38話 声を持たない決定

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第38話 声を持たない決定

 会議室の空気は、重かった。
 豪奢な装飾に囲まれたその場所で、誰もが慎重に言葉を選んでいる。

 中央から派遣された監督官、数名の貴族、そして公爵家の代表。
 その中に、ウェイフは座っていた。

 ――名目上は、婚約者として。
 だが、今日この場に呼ばれた理由は、それだけではない。

「では……例の提案について」

 監督官が、資料を机に置く。

「地方施療院を複数束ね、
 医薬品の共同調達と、
 支援と監査を一体化した制度を設ける、
 という件ですが」

 一瞬、沈黙が落ちる。

 ウェイフは、その沈黙を責めなかった。
 予想していた反応だ。

「理想的ではありますが」

 年配の貴族が口を開く。

「現実的ではない。
 費用がかかりすぎる」

「前例がない」

 別の声が続く。

「責任の所在が曖昧になる」

 反論は、想定内だった。

 ウェイフは、ゆっくりと立ち上がる。

「前例がないのは、
 今まで“必要とされてこなかった”からです」

 会議室の視線が、一斉に集まる。

「施療院は、
 問題が起きたときだけ注目され、
 静かになると忘れられる」

 淡々と、事実を述べる。

「その結果、
 不正と善意が、
 同じ場所に積み重なる」

「だが、それは――」

「はい」

 遮らず、頷いた。

「褒められる状況ではありません。
 ですが、
 “見なかったことにする”より、
 ずっと健全です」

 ざわめきが起きる。

 若い貴族が、苛立ったように言った。

「君は、孤児院の出身だそうだな」

 空気が、一段冷える。

「感情的になっているのでは?」

 ウェイフは、表情を変えなかった。

「感情は、あります」

 否定しない。

「ですが、
 今日ここに持ってきたのは、
 感情ではありません」

 机の上に、帳面を置く。

「数字です」

 資料を示す。

「現状の支援額、
 不正が発覚した際の損失、
 施療院が潰れた場合の、
 治安と医療への影響」

 淡々と、読み上げる。

 沈黙。

「……確かに」

 監督官が、低く呟いた。

「短期的には、
 費用は増えます」

「ですが」

 ウェイフは、続ける。

「中長期では、
 支出は安定し、
 不正は減り、
 “監督する側”の負担も減ります」

「机上の空論だ」

 誰かが言う。

「そうかもしれません」

 すぐに否定しない。

「だから、
 全域ではなく、
 まずは数院で始めます」

「失敗したら?」

「修正します」

 即答だった。

「完璧を求めて、
 何もしないより、
 失敗を前提に動く方が、
 現実的です」

 会議室が、静まり返る。

 その静けさの中で、
 ウェイフは確信した。

(……これは)

 説得ではない。
 決定を委ねる場だ。

 しばらくして、監督官が口を開いた。

「……公爵家としては?」

 全員の視線が、アバルトに向く。

 アバルトは、椅子に深く腰掛けたまま、言った。

「公爵家は、
 この制度案を支持する」

 短く、明確に。

「失敗の責任も、
 引き受ける」

 ざわめきが広がる。

 それは、
 誰かを罰する決定ではない。

 何かを始める決定だった。

 会議の終わり際、
 ある貴族が小声で言った。

「……男爵家は、どうする」

 その名に、
 ウェイフの表情は、揺れなかった。

「関係ありません」

 静かな声。

「この制度は、
 誰かを裁くためのものではありません」

「では――」

「必要なら、
 協力を求めます。
 拒否されても、
 進めます」

 それだけだった。

 会議は、結論を出さないまま終わった。
 だが、方向は決まった。

 その夜、書庫で帳面を開いたウェイフは、
 一行だけ書き留めた。

――声を上げなくても、
 決定は、
 静かに進む。

 数日後。

 男爵家からの使者が、公爵邸を訪れた。
 だが、面会は叶わなかった。

「本日は、
 お取り次ぎできません」

 それだけ告げられ、帰される。

 理由はない。
 拒絶もない。

 ただ、必要とされなかった。

 ウェイフは、その報告を聞き、何も言わなかった。

 窓の外では、
 新しい帳簿が運び込まれている。

 それは、
 罰でも、復讐でもない。

 選ばれなかった結果だった。

 ウェイフは、静かに息を吐く。

(……声を持たない決定)

 誰かを切り捨てる言葉も、
 怒りも、
 正義の宣告もない。

 それでも、
 世界は確かに、
 一歩、前に進んでいた。

 そしてその中心に、
 かつて“何も選べなかった少女”が、
 立っていることを――
 誰も、否定できなかった。
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