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第十一話 真っ直ぐな想い
しおりを挟む「ごめん。変な事に巻き込んで」
「え?」
「パトリシアの事だよ。彼女は昔からあんな感じで……」
ヴィンセント様が私を抱き締めながらそう謝罪する。
彼は悪くないのに。
むしろ、私を庇ってくれた。
「しかも……君の過去を……あんな風に!」
そう悔しそうに口にするヴィンセント様。
その言葉と共に私を抱き締める力が更に強くなった。
「……ヴィンセント様は、私が大勢の前で元婚約者……ダニエル様に捨てられた事をご存知だったのですね?」
「……」
その沈黙は肯定ね。
「ふふ……でもパトリシア様の言う通りなんですよ」
「アイリーン? 何を言ってる?」
ヴィンセント様の戸惑う声が聞こえる。
「目の前で堂々と浮気されて、それを咎めたら……お前のような地味でつまらない女なんかとは始めから婚約なんかしたくなかった。婚約破棄だ! から始まり散々、汚い言葉で罵られました。終いには頭からワインもかけられましたね……」
「……アイリーン!」
「周りもその場で私の事を嘲笑っているだけ……」
私はそう口にしながら遠いあの日を思い出す。
助けてくれたのは、優しかったのはたった一人。
ワインをかけられ会場から逃げ出した私に上着を貸してくれた見知らぬ人だけだった……
(暗かったのと涙でぐちゃぐちゃで、その人の顔は見られなかったのよね……)
だから、その人にはお礼も言えていない。
返さなくていいと言われていた上着もダメにしてしまって、その人を探す手がかりも無くなってしまったままの見知らぬ恩人──
「そんな私が新たな婚約者を見つけるのが難しい事は分かっていた事なのです……」
婚約破棄された後に届いたいくつかの縁談は冷やかしのようなもので、公衆の面前で捨てられた女がどんな女なのか見てやろう。
そんな悪意が透けて見えるものばかりだった。全て流れたのも当然。
成立するはずがない。
(あの頃の私はボロボロだったわ)
だからお父様も暫くは婚約者とか結婚とか考えなくていい! そう言ってくれた。
けれど、その言葉に何年も甘え続けていたら18歳目前になってしまっていて、さすがにそろそろこのままでは駄目だと言われて動くことにした。
あんな惨めに捨てられた事のある私でも構わない。
そんな風に言ってくれる人が1人くらい現れるのでは?
そう期待するも結局うまくいかず打ち砕かれて来たわけだけれど。
「アイリーン! もういいから。元婚約者の事や君を馬鹿にした奴らの事は思い出さなくていい!」
ヴィンセント様が苦しくなるくらいの強い力で抱き締めてくる。
「……ヴィンセント様。そんな私が、アディルティス侯爵家の指輪に選ばれて花嫁になるって……おかしな話だとは思いませんか?」
本当にどこで間違ってしまったのだろう?
指輪は何故、ヒロインのステラではなく私を選んだの?
「お願いだ、アイリーン。そんな事は言わないでくれ」
「ヴィンセント様……」
「僕は君がいい。君でなくては嫌だ!」
「! で、ですが……」
私はまだ、何の覚悟も出来ていない。
さっきのパトリシア様に「既に花嫁に選ばれたのは私!」そう言えなかった。
ヴィンセント様も私のその気持ちが分かっていたから敢えて言わなかったのだと思う。
「僕は待つ」
ヴィンセント様がそっと身体を離すと私の両肩を掴みながらそう口にする。
私を見つめるその目はとても真剣だ。
「え?」
「アイリーンの覚悟が決まってくれるまで僕はいくらでも待つから」
「え、あ、ヴィンセント様、それは……」
私がどう答えたら良いのか分からず、顔を俯けるとヴィンセント様はこっちを見て? と言う。おそるおそる顔を上げるとヴィンセント様は甘く微笑んだ。
「僕の花嫁は君だけだ。アイリーン」
「あ……」
ヴィンセント様がそっと私の額にキスを落とす。
そして、私の目を見つめながら言う。
「指輪にじゃない。君に……アイリーンに誓うよ。僕は君を必ず幸せにする、と」
「ヴィンセント様……」
「あの歴代の当主達みたいにね。君が笑顔で過ごせる毎日を約束しよう」
「!」
ヴィンセント様はちょっとおどけた様子でそんな事を言う。
私はそれが可笑しくて思わず、ふふ、と笑みがこぼれた。
「あぁ、良かった。笑ってくれた」
そんな私を見てヴィンセント様が安心した様に微笑む。
「君にはいつも笑っていて欲しいんだ。だから……僕を選んで? アイリーン」
「っ!」
ヴィンセント様のその言葉に指輪が疼いた気がした。
*****
その日、屋敷に戻ってからの私は何度も今日の事を思い返していた。
(ヴィンセント様……)
「アイリーン? おい、アイリーン!」
「っ!?」
お父様のその声でハッと意識を取り戻す。
なんて事! 食事中なのに完全に心が違う世界に行っていたわ。
「よく食べるのは良い事だが……既にその皿は空だぞ?」
「あ……」
そう言われてお皿と自分の手元を見る。確かにお皿は空だった。
どうやら、何も乗っていないお皿の上でカチャカチャしていたらしい。
そんな光景見せられたらお父様も心配になる。
「完全に心ここに在らずだな」
「……っ」
「今日はアディルティス侯爵家を訪問していたはずだが……まさか! ヴィンセント殿と何かあったのか!?」
「!!」
ガシャーン
動揺して手が滑ってナイフとフォークを落としてしまった。
「……」
「……」
「ア、アイリーン? まさか、本当に……ヴィンセント殿と抱っこ以上の事を……」
「ち、違うわ、お父様!! ヴィンセント様とはそんな…………ん? 抱っこ?」
「だが、顔が赤い!」
「ゔっ!」
私は慌てて否定するけれど、お父様の顔は全く信じてくれていない。
あと、抱っこ以上の事って何!?
お父様の基準が分からないわ!
しばらくお父様と揉めた後、お父様は小さな声で呟いた。
「アイリーンがヴィンセント殿と生きる事を望むなら反対はしない」
「え?」
お父様は「よく考えるんだ」と言って私の頭を撫でながら部屋を出て行った。
✧✧✧✧✧✧
「はぁ……アイリーンのあの顔はヴィンセント殿に惹かれているな」
食事していた部屋を出て書斎に戻ると、一息つきながらそんな言葉が口から出た。
かつて元婚約者に傷付けられたアイリーンが幸せになれるのであればどんな男でも構わなかったが。
(まさかアディルティス侯爵家の嫡男の花嫁に選ばれるとは……)
あの家の花嫁を選ぶ方法は秘匿されているので、どこをどうしてあのアイリーンが選ばれたのかは不明だが。
「だが、ヴィンセント殿はアイリーンを守り幸せにしてくれるだろうか……」
そんな事を口にしながら、ぐしゃぐしゃにして机にしまい込んだ手紙を取り出す。
──この手紙は本日届いた物だ。
「アイリーンにもこの手紙の事を話さねばいかん……」
この手紙を読んだ時は腸が煮えくり返るような思いでぐしゃぐしゃにして思わず机にしまい込んだのだが……
もう一度手紙を開封し中を読む。しかし、内容は何度目を通しても変わらない。
そしてまた腹が立ってきた。
「ふざけるな! 何が“アイリーンに会いたい”だ!」
再び手紙をぐしゃぐしゃにして机に放り込む。
「お前にだけは絶対に会わせん! ダニエル・カーミューン!!」
──その手紙の送り主は、カーミューン侯爵令息ダニエル。かつてアイリーンを人前でゴミのように捨てた元婚約者だった男──……
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