純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第九章:永遠の途 ― 祈りは光に還る ―

第152話・最後の守り手

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言葉は、もういらなかった。
彼らはただ互いに見つめ合い、わずかな沈黙ののち――
ヴィクトルがゆっくりと歩み寄る。

そして、何も言わずにルナフィエラをシグの隣にそっと寝かせた。
その動作は、まるで祈りの儀式のように静かだった。

彼女の髪がシグの胸に触れる。
風の音も、鳥の声も遠く、時間が止まったかのようだった。

シグの瞳が、その小さな横顔を見つめる。
声は出さない。ただ、微笑む。
それが――もう言葉にできない想いのすべてだった。

ユリウスが小さく息をつき、ヴィクトルの肩に手を置く。

「……これでいい。今は、静かに休ませよう」

2人は小さく頷き合い、光が差し込みはじめた窓辺で、ただ見守る。

シグの呼吸は浅く、かすかに揺れる胸の上下だけが、まだ彼がこの世界に留まっていることを知らせていた。

その隣で、ルナフィエラは穏やかに眠っている。
まるで――彼の夢の中に、安らぎが訪れたかのように。


――それから数日が過ぎた。

ルナフィエラは、ずっとシグの傍にいた。
椅子に腰を下ろし、眠るように横たわるその手を包み込む。
もう指一本動かせなくなったその掌に、わずかな温もりを探しながら。

「……ねえ、シグ。今日も、外はいい天気だよ」

そう話しかけても、返事はない。
けれど彼の胸は、微かに上下を繰り返している。
まだ、生きている。
その事実だけで、十分だった。

「……ねえ、覚えてる? はじめて森で出会ったとき、怖い顔してたのに……でも、誰よりも優しかった」

声は震えていた。もう涙は出ない。
泣き疲れ、泣き尽くした後に残ったのは、ただ静かな想いだけ。

枕元には、ユリウスとヴィクトルがいる。
2人とも言葉を発さず、ただ、穏やかに、友の最期を見守っていた。

やがて、シグの胸の上下がゆっくりと、浅くなる。
その変化を誰よりも早く感じ取ったのは、ルナフィエラだった。

「……シグ?」

掠れた声が震える。
その名を呼ぶと、彼の瞼がわずかに動いた。
時間をかけて、ゆっくりと目を開ける。

「……ルナ、いるか」

「うん、ここにいる。ずっと、そばにいるよ」

ルナフィエラは手を握りしめる。
冷たくなりかけた掌に、自分の温もりを重ねるように。

シグの口元が、かすかに笑った。

「……そうか。……よかった」

彼の声は細く、消え入りそうだった。
それでも、確かに届いた。

「……俺はもう、十分だ。……ルナ、お前が笑ってくれたら、それでいい」

その瞳に映るのは、ただ彼女ひとり。
長い旅路の果てに見つけた、ひとすじの光。

「……約束、してくれ。もう……泣かないって」

「……うん。泣かない……」

そう言いながら、彼女の頬を一粒の涙が伝う。
シグはゆっくりと息を吐き、
ほんの一瞬だけ力を込めて、彼女の手を握り返した。

「……ありがとう。……ルナと出会えて……本当に幸せだった」

その言葉を最後に、彼の指の力が静かに解けていった。

ルナフィエラはしばらく、何も言えなかった。
ただ、握り返すこともできなくなったその手を包み、頬を寄せる。

「……ありがとう、シグ。安らかに眠ってね」

声にならない声で呟く。
その瞬間、窓から射す朝の光が大斧の刃に反射し、一瞬だけ淡く輝いた。

まるで、最後の“守り”が今もそこにあるかのように。


──花びらが風に乗って、窓の外を過ぎていく。

ルナフィエラは、ゆっくりと目を開けた。
いつの間にか手のひらが震えている。
握っていたのは、大斧の柄。

その感触が、まだあのぬくもりを伝えているようで――
そっと、手を離す。

「……シグ」

名を呼ぶ声は、かすれていた。
もちろん返事はない。
けれど、不思議と胸の奥に“静かな温もり”が灯っている気がした。

窓辺から差し込む光が、斧の刃を柔らかく照らす。
光の反射が壁を撫で、淡く揺れる。

どれだけの時が経ったのか、わからない。
気づけば、昼の光は傾き、影が伸びていた。

ルナフィエラはゆっくりと立ち上がり、
斧の隣に置かれた小さな短剣を見つめた。

あのとき、初めての街で買ってもらったもの。
“自分を守るために”と――シグが選んでくれた短剣。

指先が触れると、金属が冷たく光る。
けれど、その冷たさは痛みではなく、まるで彼の言葉の余韻のように、穏やかだった。

「……ありがとう」

静かに呟き、瞼を閉じる。
胸の奥で、また一つの記憶が沈んでいく。
その痛みは確かにあった。
けれどもう涙は出なかった。

ルナフィエラはゆっくり息を吸い込み、一歩、部屋の奥へと戻る。

静寂が再び、古城を包み込んでいった。
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