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第九章:永遠の途 ― 祈りは光に還る ―
第154話・祈りの温度
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夜の帳が降り、暖炉の火がやわらかに揺れていた。
雪は止む気配もなく、外の世界は白く沈んでいる。
紅茶の香りだけが、まだ部屋の空気に残っていた。
ルナフィエラはカップを見つめながら、ふと呟く。
「ねえ、ヴィクトル……今度は、私が淹れてみてもいい?」
ヴィクトルは一瞬だけ目を瞬かせ、すぐに微笑んで頷いた。
「もちろんでございます。
ルナ様の手で淹れた紅茶をいただけるなど、この上ない光栄です」
「もう……そうやって、すぐ大げさに言うんだから」
彼女は照れくさそうに、視線をそらす。
暖炉のそばで本を閉じたユリウスが、穏やかな声で添えた。
「いい考えだ。ルナの手から生まれる味が、どんなものか――楽しみだよ」
「じゃあ、明日教えてもらおうかな」
ルナフィエラは期待に目を輝かせる。
「ヴィクトル、ちゃんと教えてね?」
「ええ。湯の温度も、茶葉の量も、全てお教えいたします。
……ルナ様が香りを感じ取れるように」
「香りを感じる……」
「はい。紅茶は“心”で淹れるものです。
その時のルナ様の想いが、きっと味を変えるでしょう」
その言葉に彼女は嬉しそうに微笑み、「じゃあ明日は私の紅茶で温まろうね」と笑った。
ヴィクトルはその笑顔を見つめ、そっと目を細める。
――その“明日”が、どれほど限られたものかを知りながら。
ユリウスは何も言わず、ただ炎の中でゆらめく二人の影を見つめていた。
瞳の奥に、言葉にできない予感が沈んでいる。
「……ヴィクトル」
「なんでしょう?」
「……無理は、しないでくれ」
「ご心配には及びません。
私は、ルナ様の笑顔が見られるうちは――大丈夫です」
その言葉が、どこかで“別れの予感”のように響く。
ユリウスは唇を開きかけて、やめた。
この男は、言葉で引き留められるような人ではない。
「……そうか」
それ以上は何も言わなかった。
沈黙が部屋を包み、暖炉の火がぱちりと音を立てる。
――その小さな音が、祈りのように静寂に溶けていった。
深夜。
ユリウスはひとり、廊下に出ていた。
古城の回廊は冷たく静まり、遠く風の音だけが耳に届く。
月明かりの差す窓辺に立ち、そっと息を吐いた。
「……気づかないと思っているのかい、ヴィクトル」
苦笑ともため息ともつかぬ声が漏れる。
「君がルナのために、少しずつ“整えている”ことくらい……見れば分かる」
彼の目は遠くの部屋――
ルナフィエラとヴィクトルの気配が残る方向を見つめていた。
「けれど、いいだろう。彼女が気づかない限り、僕も何も言わない。
ーー君らしい最期の迎え方だ」
その声は風に溶け、静かな廊下に消えていく。
「……どうか、もう少しだけ続いてくれ。この穏やかな日々が」
ユリウスはそう呟き、窓越しの雪を一度だけ見上げてから、そっと部屋へと戻っていった。
翌朝ー。
夜明けの光が、古城の窓を透かして差し込んでいた。
冬の朝は冷たいが、暖炉の火がまだかすかに残っており、部屋の空気はほんのりと温かい。
湯気の立つポットの前で、ルナフィエラは真剣な面持ちで手を伸ばした。
小さな茶さじを握る手が少し震えている。
「こう……で、いいの?」
「ええ。そのくらいで丁度よいでしょう」
ヴィクトルの声は柔らかく、いつもの穏やかさを崩さない。
「あとは湯を、ゆっくりと。焦らずに」
「うん」
息を整え、慎重にポットへ湯を注ぐ。
ふわりと立ちのぼる香りに、思わず目を細めた。
少し離れた席で本を閉じていたユリウスが、微笑を含んで言う。
「悪くない香りだ。ヴィクトル、君の弟子もなかなか筋がいい」
「ルナ様の感覚は、いつも繊細ですから」
ヴィクトルが目を細める。
「香りを覚えてしまえば、味は自然とついてきます」
「そんなの……褒めすぎだよ」
ルナフィエラは頬を染め、照れ隠しのように小さく笑った。
頬を染める彼女の前で、紅茶の表面が光を弾く。
その金色が、ルナフィエラの瞳にも小さく揺れた。
――その笑顔を、ヴィクトルは目を逸らさずに見つめていた。
まるで、その光景をひとつでも多く心に刻もうとするかのように。
ユリウスはふと視線を横に向ける。
ヴィクトルの指先に、微かに力が入っているのが見えた。
だが、あえて何も言わない。
彼女の笑顔を壊すことなど、彼にはできなかった。
「はい、できた!」
ルナフィエラが紅茶をカップに注ぎ、誇らしげに顔を上げる。
「どう? ちゃんとできてる?」
「ええ、とても……いい香りです」
ヴィクトルは一口含み、静かに目を閉じた。
「――あたたかい味ですね」
「えっ、それって……」
「ルナ様らしい味、ということです」
ルナフィエラは少しだけ照れ笑いを浮かべ、ユリウスも微笑ましげに肩をすくめた。
静かな笑い声が、冬の朝の光に溶けていく。
その瞬間だけは、本当に何も変わらない時間が流れていた。
そしてそのとき、ヴィクトルの胸の奥では、ひとつの決意が静かに形を成していた。
――この幸せを、永遠に残すために。
雪は止む気配もなく、外の世界は白く沈んでいる。
紅茶の香りだけが、まだ部屋の空気に残っていた。
ルナフィエラはカップを見つめながら、ふと呟く。
「ねえ、ヴィクトル……今度は、私が淹れてみてもいい?」
ヴィクトルは一瞬だけ目を瞬かせ、すぐに微笑んで頷いた。
「もちろんでございます。
ルナ様の手で淹れた紅茶をいただけるなど、この上ない光栄です」
「もう……そうやって、すぐ大げさに言うんだから」
彼女は照れくさそうに、視線をそらす。
暖炉のそばで本を閉じたユリウスが、穏やかな声で添えた。
「いい考えだ。ルナの手から生まれる味が、どんなものか――楽しみだよ」
「じゃあ、明日教えてもらおうかな」
ルナフィエラは期待に目を輝かせる。
「ヴィクトル、ちゃんと教えてね?」
「ええ。湯の温度も、茶葉の量も、全てお教えいたします。
……ルナ様が香りを感じ取れるように」
「香りを感じる……」
「はい。紅茶は“心”で淹れるものです。
その時のルナ様の想いが、きっと味を変えるでしょう」
その言葉に彼女は嬉しそうに微笑み、「じゃあ明日は私の紅茶で温まろうね」と笑った。
ヴィクトルはその笑顔を見つめ、そっと目を細める。
――その“明日”が、どれほど限られたものかを知りながら。
ユリウスは何も言わず、ただ炎の中でゆらめく二人の影を見つめていた。
瞳の奥に、言葉にできない予感が沈んでいる。
「……ヴィクトル」
「なんでしょう?」
「……無理は、しないでくれ」
「ご心配には及びません。
私は、ルナ様の笑顔が見られるうちは――大丈夫です」
その言葉が、どこかで“別れの予感”のように響く。
ユリウスは唇を開きかけて、やめた。
この男は、言葉で引き留められるような人ではない。
「……そうか」
それ以上は何も言わなかった。
沈黙が部屋を包み、暖炉の火がぱちりと音を立てる。
――その小さな音が、祈りのように静寂に溶けていった。
深夜。
ユリウスはひとり、廊下に出ていた。
古城の回廊は冷たく静まり、遠く風の音だけが耳に届く。
月明かりの差す窓辺に立ち、そっと息を吐いた。
「……気づかないと思っているのかい、ヴィクトル」
苦笑ともため息ともつかぬ声が漏れる。
「君がルナのために、少しずつ“整えている”ことくらい……見れば分かる」
彼の目は遠くの部屋――
ルナフィエラとヴィクトルの気配が残る方向を見つめていた。
「けれど、いいだろう。彼女が気づかない限り、僕も何も言わない。
ーー君らしい最期の迎え方だ」
その声は風に溶け、静かな廊下に消えていく。
「……どうか、もう少しだけ続いてくれ。この穏やかな日々が」
ユリウスはそう呟き、窓越しの雪を一度だけ見上げてから、そっと部屋へと戻っていった。
翌朝ー。
夜明けの光が、古城の窓を透かして差し込んでいた。
冬の朝は冷たいが、暖炉の火がまだかすかに残っており、部屋の空気はほんのりと温かい。
湯気の立つポットの前で、ルナフィエラは真剣な面持ちで手を伸ばした。
小さな茶さじを握る手が少し震えている。
「こう……で、いいの?」
「ええ。そのくらいで丁度よいでしょう」
ヴィクトルの声は柔らかく、いつもの穏やかさを崩さない。
「あとは湯を、ゆっくりと。焦らずに」
「うん」
息を整え、慎重にポットへ湯を注ぐ。
ふわりと立ちのぼる香りに、思わず目を細めた。
少し離れた席で本を閉じていたユリウスが、微笑を含んで言う。
「悪くない香りだ。ヴィクトル、君の弟子もなかなか筋がいい」
「ルナ様の感覚は、いつも繊細ですから」
ヴィクトルが目を細める。
「香りを覚えてしまえば、味は自然とついてきます」
「そんなの……褒めすぎだよ」
ルナフィエラは頬を染め、照れ隠しのように小さく笑った。
頬を染める彼女の前で、紅茶の表面が光を弾く。
その金色が、ルナフィエラの瞳にも小さく揺れた。
――その笑顔を、ヴィクトルは目を逸らさずに見つめていた。
まるで、その光景をひとつでも多く心に刻もうとするかのように。
ユリウスはふと視線を横に向ける。
ヴィクトルの指先に、微かに力が入っているのが見えた。
だが、あえて何も言わない。
彼女の笑顔を壊すことなど、彼にはできなかった。
「はい、できた!」
ルナフィエラが紅茶をカップに注ぎ、誇らしげに顔を上げる。
「どう? ちゃんとできてる?」
「ええ、とても……いい香りです」
ヴィクトルは一口含み、静かに目を閉じた。
「――あたたかい味ですね」
「えっ、それって……」
「ルナ様らしい味、ということです」
ルナフィエラは少しだけ照れ笑いを浮かべ、ユリウスも微笑ましげに肩をすくめた。
静かな笑い声が、冬の朝の光に溶けていく。
その瞬間だけは、本当に何も変わらない時間が流れていた。
そしてそのとき、ヴィクトルの胸の奥では、ひとつの決意が静かに形を成していた。
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