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第九章:永遠の途 ― 祈りは光に還る ―
第155話・夜を綴る人
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それから、幾日かが過ぎた。
冬の古城は相変わらず静かで、風の音さえ遠い。
日々の暮らしに大きな変化はなかった。
ルナフィエラは紅茶を淹れ、ユリウスは書を開き、ヴィクトルは部屋を整える。
――いつも通りの穏やかな日々。
けれど、その“いつも”の中で、ほんの少しずつ何かが変わっていった。
ヴィクトルの動きが、わずかに遅くなった。
本棚を整理する手が長く止まり、灯す炎の光も以前より淡い。
それでも彼は、何も言わない。
ただ、手を止めるたびにルナフィエラの方を見て、小さく微笑むようになった。
「ねぇ、ヴィクトル」
「はい、ルナ様」
「この花、まだ咲いてるね。前に植えたやつ」
「ええ。……ルナ様が世話をなさったからでしょう」
「ふふっ、でも最近はほとんどヴィクトルがやってくれてたよ」
「それでも、花は主を覚えているものですよ」
そんな他愛もない会話を、彼はいつもと変わらぬ声で交わしていた。
けれどユリウスには、その息が少し浅くなっていることがわかっていた。
夜になると、暖炉のそばで本を読んでいたはずのヴィクトルが、いつの間にか椅子にもたれて眠っていることが増えた。
ルナフィエラは毛布をそっと掛け、優しく微笑む。
「最近、よく眠るね。疲れてるの?」
「ええ……少しだけ」
「ちゃんと寝てね。倒れたら困るから」
「――はい」
その「はい」が、静かに胸に沁みた。
まるで、“その声を最後まで聞いていたい”と願うような響きだった。
そしてまた数日が過ぎた。
ある朝、ルナフィエラが紅茶を淹れ終えるころ、ヴィクトルは机に広げていた書類にペンを置き、しばらくそのまま動かなかった。
ユリウスが呼びかけると、彼はゆっくりと顔を上げて微笑んだ。
「……少し、休みます」
その日を境に、ヴィクトルは部屋から出ることが減った。
ルナフィエラは気づいていた。
けれど、何も言わなかった。
言葉にしてしまえば――この穏やかな日々が壊れてしまう気がしたから。
夜が更けていた。
古城の廊下は凍りつくように静まり返り、遠くの塔で風がひとつ、低く唸った。
執務机の上には、薄い蝋燭の灯。
その光に照らされながら、ヴィクトルはゆっくりとペンを走らせていた。
インクの音が、やけに鮮明に響く。
書き記すのは、彼がこの数百年のあいだ守ってきた“日常”の全て。
紅茶の茶葉はどこにあるか。
保存魔法の更新はどの満月の夜に行えばいいか。
書庫の結界の符は、どの棚の裏に隠してあるか。
それはまるで、次の誰かが自分の仕事を引き継ぐための記録のよう。
けれど、その“次”はただひとり――ルナフィエラしかいなかった。
ペンを置き、指先で紙の端を整える。
小さく息を吐き、微笑む。
その顔に、未練の色はなかった。
「……これで、困ることはないはずです」
背後から、静かな足音が近づく。
ユリウスだった。
いつからそこにいたのか、分からない。
ただ彼は、何も言わずにそっと机の上を見つめた。
「――もう、準備を?」
「ええ。あの方が、困らないように」
「……本当に、抜け目がないね」
ユリウスは小さく笑い、目を伏せた。
「もう少し、自分のために時間を使ってもいいだろうに」
「それはもう、ずっと前に使い切りました」
ヴィクトルは穏やかに言い、蝋燭の火を見つめる。
「生きてきた意味も、ここにありますから」
「……ルナに、言うのか?」
「そうですね……でも、泣かせるのはもう最後にしたいんです」
短い沈黙が落ちる。
炎が小さく揺れ、二人の影を長く引き伸ばした。
「……そうか」
ユリウスの声が、どこか遠くに滲んだ。
「だったら、僕は黙って見届けるよ」
ヴィクトルは静かに微笑む。
「ありがとうございます、ユリウス」
夜が深まる。
最後の一文を綴り終えると、彼は手紙を折り、封蝋で封じた。
その上を指先でそっと触れながら、まるで祈りのように呟く。
「――あなたが笑ってくれるなら、それでいい」
蝋燭の火が、ひときわ明るく揺れた。
それは、長い長い夜の終わりを告げる光のようだった。
冬の古城は相変わらず静かで、風の音さえ遠い。
日々の暮らしに大きな変化はなかった。
ルナフィエラは紅茶を淹れ、ユリウスは書を開き、ヴィクトルは部屋を整える。
――いつも通りの穏やかな日々。
けれど、その“いつも”の中で、ほんの少しずつ何かが変わっていった。
ヴィクトルの動きが、わずかに遅くなった。
本棚を整理する手が長く止まり、灯す炎の光も以前より淡い。
それでも彼は、何も言わない。
ただ、手を止めるたびにルナフィエラの方を見て、小さく微笑むようになった。
「ねぇ、ヴィクトル」
「はい、ルナ様」
「この花、まだ咲いてるね。前に植えたやつ」
「ええ。……ルナ様が世話をなさったからでしょう」
「ふふっ、でも最近はほとんどヴィクトルがやってくれてたよ」
「それでも、花は主を覚えているものですよ」
そんな他愛もない会話を、彼はいつもと変わらぬ声で交わしていた。
けれどユリウスには、その息が少し浅くなっていることがわかっていた。
夜になると、暖炉のそばで本を読んでいたはずのヴィクトルが、いつの間にか椅子にもたれて眠っていることが増えた。
ルナフィエラは毛布をそっと掛け、優しく微笑む。
「最近、よく眠るね。疲れてるの?」
「ええ……少しだけ」
「ちゃんと寝てね。倒れたら困るから」
「――はい」
その「はい」が、静かに胸に沁みた。
まるで、“その声を最後まで聞いていたい”と願うような響きだった。
そしてまた数日が過ぎた。
ある朝、ルナフィエラが紅茶を淹れ終えるころ、ヴィクトルは机に広げていた書類にペンを置き、しばらくそのまま動かなかった。
ユリウスが呼びかけると、彼はゆっくりと顔を上げて微笑んだ。
「……少し、休みます」
その日を境に、ヴィクトルは部屋から出ることが減った。
ルナフィエラは気づいていた。
けれど、何も言わなかった。
言葉にしてしまえば――この穏やかな日々が壊れてしまう気がしたから。
夜が更けていた。
古城の廊下は凍りつくように静まり返り、遠くの塔で風がひとつ、低く唸った。
執務机の上には、薄い蝋燭の灯。
その光に照らされながら、ヴィクトルはゆっくりとペンを走らせていた。
インクの音が、やけに鮮明に響く。
書き記すのは、彼がこの数百年のあいだ守ってきた“日常”の全て。
紅茶の茶葉はどこにあるか。
保存魔法の更新はどの満月の夜に行えばいいか。
書庫の結界の符は、どの棚の裏に隠してあるか。
それはまるで、次の誰かが自分の仕事を引き継ぐための記録のよう。
けれど、その“次”はただひとり――ルナフィエラしかいなかった。
ペンを置き、指先で紙の端を整える。
小さく息を吐き、微笑む。
その顔に、未練の色はなかった。
「……これで、困ることはないはずです」
背後から、静かな足音が近づく。
ユリウスだった。
いつからそこにいたのか、分からない。
ただ彼は、何も言わずにそっと机の上を見つめた。
「――もう、準備を?」
「ええ。あの方が、困らないように」
「……本当に、抜け目がないね」
ユリウスは小さく笑い、目を伏せた。
「もう少し、自分のために時間を使ってもいいだろうに」
「それはもう、ずっと前に使い切りました」
ヴィクトルは穏やかに言い、蝋燭の火を見つめる。
「生きてきた意味も、ここにありますから」
「……ルナに、言うのか?」
「そうですね……でも、泣かせるのはもう最後にしたいんです」
短い沈黙が落ちる。
炎が小さく揺れ、二人の影を長く引き伸ばした。
「……そうか」
ユリウスの声が、どこか遠くに滲んだ。
「だったら、僕は黙って見届けるよ」
ヴィクトルは静かに微笑む。
「ありがとうございます、ユリウス」
夜が深まる。
最後の一文を綴り終えると、彼は手紙を折り、封蝋で封じた。
その上を指先でそっと触れながら、まるで祈りのように呟く。
「――あなたが笑ってくれるなら、それでいい」
蝋燭の火が、ひときわ明るく揺れた。
それは、長い長い夜の終わりを告げる光のようだった。
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