【完結】純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第九章:永遠の途 ― 祈りは光に還る ―

第156話・微睡む永遠

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それは、いつもと変わらぬ夜だった。
暖炉の火は静かに揺れ、紅茶の香りがまだ部屋の片隅に残っている。

ヴィクトルの身体が、ゆっくりとルナフィエラの腕の中へ預けられた。
ユリウスが片膝をつき、乱れた襟を整える。

「……これで、いい」

掠れた声でそう言うと、彼はベッドの端に腰を下ろした。
その目はただ、静かに私たちを見守っている。

胸の奥で何かが静かに終わる音がしていた。
けれど、涙は出なかった。
もう、泣く時ではないと分かっていたから。

長い時を共に過ごしてきた。
どんな闇夜も、彼は必ずルナフィエラの手を取ってくれた。
そして今、その手がゆっくりと終わりへ向かっている。

彼の頬に触れる。
冷たくはない。
けれど、もうあの力強い鼓動は指先に感じられなかった。

「……ヴィクトル」

名を呼ぶと、閉じられたまぶたが微かに震える
た。
長いまつげが光を受けて揺れ、薄く開いた瞳が彼女を捉える。

「……ルナ様……」

掠れた声が、かすかに微笑みを含んでいた。
その表情を見た瞬間、ルナフィエラは静かに息を吸う。

――これが、彼の最後の目覚め。

時が止まったような静寂の中、彼女はただ、その命の灯を見つめていた。


ルナフィエラは彼の髪を指先で梳いた。
一緒に寝る時、いつも彼がしてくれたように。
手は震えていたけれど、どうしても伝えたかった。

「……ヴィクトル。あの時、見つけてくれてありがとう」

頬にかかる髪をそっと払いながら、静かに言葉を紡ぐ。

「あなたが見つけてくれたから、今、私はここにいるの」

わずかに動いた彼の唇が、微笑の形をつくる。

「……ヴィクトル。私、気づいていたよ」

その名を呼ぶ声が震える。

「あなたの最期が近いこと。でも、言わなかったの。
ヴィクトルが、いつも私に心配をかけまいとしてくれたみたいに……
私も、あなたに悲しい顔を見せたくなかったから」

沈黙が降りる。
暖炉の炎がゆらりと揺れ、その光が彼の瞳に一瞬だけ映り込んだ。

「……そう、でしたか」

ほとんど聞き取れないほどの声。
それでも、彼女には確かに届いた。

彼の指が、わずかにルナフィエラの手を握り返す。
その力の弱さが、胸を締めつけた。

「ルナ様……どうか、悔いなく。
あなたが笑って生きてくださるなら……私はそれで、救われます」

「そんなこと、言わないで」

涙がこぼれそうになる。
でも彼の顔を見て、私は微笑んだ。

「ううん……ありがとう、ヴィクトル。
あなたに出会えて、本当に幸せだった」

彼は小さく頷き、ゆるやかに唇を動かした。

「……願わくば――来世でも。
あなたに、もう一度……会いたい………」

「……ヴィクトル」

名を呼んだ時には、もう彼の瞳は閉じられていた。
その顔は穏やかで、まるで安らかな眠りのようだった。

私はそっと彼を抱き寄せた。
指先から伝わる温もりが、少しずつ失われていく。
けれど、離せなかった。

静かに涙がこぼれる。
ひとつ、またひとつ、彼の頬を濡らしていく。

「うん……また会おうね」

声にならない嗚咽が胸の奥で広がり、それでも私は笑った。
彼の最期の願いに、笑顔で応えたかったから。


どれほどの時間が経ったのか、もうわからない。

腕の中のヴィクトルは、もう何の音も立てない。
けれど、その静けさが、かえって彼の優しさの余韻のように思えた。

ルナフィエラはただ、その冷たい身体を抱きしめて続けていた。
頬を伝う涙が、彼の髪や頬に落ち、すぐに消えていく。
嗚咽はなく、ただ静かに、ひとしずく、またひとしずく。

――これで、最期なんだ。

そう理解しても、心はまだ拒んでいた。
手を離したら、本当にもう戻らない気がして。
だから、ただ抱いていた。

やがて、背後から温かな気配が寄り添う。
そっと、肩に触れる手。

「……ルナ」

ユリウスの声だった。
その声音には、哀しみと慈しみが入り混じっている。

「……彼を、弔ってやろう」

短い言葉。
けれど、それが現実への扉を開く合図だった。

ルナフィエラはゆっくりと顔を上げる。
涙はもう、枯れていた。
代わりに、胸の奥で小さく息を吸い、吐く。

「……そうだね」

かすれた声でそう答え、そっとヴィクトルを抱く腕を緩めた。

彼の髪が滑り落ち、静寂の中に微かな衣擦れの音が響く。
その音が、彼との時間の終わりをそっと告げたように感じた。
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