純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

第三章：堕ちた月、騎士たちの誓約

第42話・ヴィクトルの嫉妬

涼しい顔で立ち上がるユリウスとは対照的に、ルナフィエラは未だに頬を真っ赤に染めたまま固まっていた。

突然の出来事に思考が追いつかず、ただ呆然とするばかり。

（……な、なに、今の……！？）

頬に残る感触が熱を持ち、心臓がまだバクバクとうるさく鳴っている。
だが、そんなルナフィエラの動揺をよそに――

「……ルナ様」

ヴィクトルの低く、しかしどこか優しさを含んだ声が聞こえた。

「……え？」

気づけば、ヴィクトルがすぐ傍に膝をついていた。
その手は優しく、しかし迷いなくルナフィエラの手を取り、立たせる。

「座りましょう。朝食をお召し上がりください」

「……う、うん」

ルナフィエラは言われるがまま、ヴィクトルに手を引かれ、食卓の椅子に座らされた。

だが――

「失礼いたします」

そう言うと、ヴィクトルはポケットからハンカチを取り出し、ルナフィエラの頬をそっと拭い始めた。

「っ！？ な、何を……！？」

「ユリウスが触れたところを綺麗にいたします」

「……っ！！？」

ヴィクトルは冷静な顔を保っていたが、その手の動きは妙に念入りで、頬を優しく撫でるように拭っていく。

「な、なんでそんなに拭くの……！？」

「……念のためです」

（念のためって何！？）

ルナフィエラは混乱しながらも、ヴィクトルの手が頬に触れるたびにくすぐったくて顔を真っ赤にする。

「ちょっと、ヴィクトル……そんなにゴシゴシしなくても……！」

「……すみません、ルナ様」

ヴィクトルは一旦手を止め、穏やかに微笑んだ。
だが、その瞳の奥にはほんのりとした苛立ちが見え隠れしている。

ユリウスがキスをした場所を拭う行為――
それは、ヴィクトルなりのささやかな仕返しだった。

「……ふぅ。これでよろしいでしょう」

「な、なんかすごく気になるんだけど……！」

「ルナ様が気にされることはありません。清潔を保つのは大事なことですので」

（そ、そういう問題じゃ……！！）

ヴィクトルは丁寧にハンカチを畳み、ポケットに仕舞った。
ルナフィエラは言葉に詰まりながらも、視線を向けると――

「…………」

隣のシグが腕を組みながら、難しい顔をしていた。
その隣で、フィンは微笑みながらもムスッとしている。

そして――

「……いやぁ、なんというか……嫉妬というのはこうも露骨に出るものなのか。興味深いね」

ユリウスが薄く笑いながら、ひどく楽しそうに呟いた。

「……ユリウス」

ヴィクトルの声が僅かに低くなり場の空気が一瞬凍る。

しかし、その空気を和ませたのは、ルナフィエラのお腹の小さな音だった。

「……っ！！」

ルナフィエラは再び顔を真っ赤にしながら、恥ずかしそうに俯いた。

「ルナ、朝食食べよ」

フィンが優しく微笑みながらスープを用意する。

「そうだな。ほら、口開けろ」

シグが手にしたスプーンをルナフィエラの前に差し出す。

「待って待って、まだ心の準備が……！」

「遠慮しなくていいよ、ほら」

フィンがパンを小さくちぎってルナフィエラの口元に運ぶ。

「……もう……！！」

恥ずかしさで頭を抱えながらも、ルナフィエラは大人しく朝食を受け入れるしかなかった。

そんなルナフィエラの姿を見ながら、ヴィクトルは静かに息をつき、彼女の髪を優しく撫でたのだった――。


朝食を終えた頃、フィンが柔らかな笑みを浮かべながらルナに声をかけた。

「ルナ、今日一日僕と一緒に過ごさない？」

突然の提案にルナフィエラは少し考えた後、静かに答える。

「……うん、いいけど…」

「やった！ 今夜は僕と一緒に寝る番だし、一日一緒にいるのもいいよね？」

何気ない調子で言うフィンに、ルナフィエラは特に気にすることなく頷いた。
だが、それを聞いていた騎士たちはそうはいかなかった。

「……待て」

落ち着いた声ではあるものの、明らかに引っかかる様子でシグがフィンを見る。

「“寝る番” というのは順番で護衛についているだけだが、一日一緒に過ごす必要はなかったはずだ」

「うん、そうだね。でもせっかくの機会だし、ルナとゆっくり過ごすのもいいかなって」

フィンは無邪気な笑顔を見せるが、ユリウスが肩をすくめながら言葉を挟んだ。

「確かにルールとして決まってはいないが、今まで誰もそんな提案はしなかったな」

「今までの三人が思いつかなかっただけだよ。ルナも嫌じゃないって言ってくれたし」

フィンは微笑みながらルナフィエラを見る。

「……フィンがそうしたいなら、別に」

淡々としたルナフィエラの返答に、ヴィクトルは何か言いたげだったが、シグが軽く笑って肩をすくめた。

「まぁ、どうせヴィクトルはルナの傍から離れないだろ。つまり、フィンとルナの二人きりってわけじゃないんだ」

「……そんなことはない」

ヴィクトルは冷静を装いながら否定したものの、シグの言葉に対する明確な反論はできなかった。

「どうだかね」

シグがニヤリと笑うのをよそに、フィンは特に気にする様子もなく、ルナフィエラに明るく言った。

「じゃあ決まりだね！ ルナ、今日はたくさん楽しもう♪」

「……うん」

こうして、フィンとルナフィエラの “一日デート” は決定した。
だが、その後もしばらくの間、外野の視線がフィンに向けられていたのは言うまでもない。