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第四章:紅き月の儀式
第46話・導かれし道
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ヴィクトルは静かに扉を開け、ルナフィエラの部屋へと足を踏み入れた。
薄暗い室内には、淡い光が差し込んでいた。
寝台の上、ルナは浅く肩で息をしながら横たわっている。
頬はうっすらと赤く、額には細かな汗が滲んでいた。
「……ルナ様」
その呼びかけに、ルナフィエラはわずかに瞼を震わせる。
「ヴィクトル……?」
「私です。……少し、出かけましょう」
「え……?」
掠れた声が、か細く問い返す。
身体を動かそうとするが、力が入らない。
ヴィクトルはそっと彼女の手を取って、膝をつきながら囁いた。
「大丈夫です。無理はさせません。――私が、ずっと傍にいますから」
その声音はとても優しく、どこか切なげで。
ルナフィエラはそれ以上何も言えずに、ただ微かに頷いた。
ヴィクトルは彼女をそっと抱き上げ、身に纏う外套で彼女の身体を覆った。
そして静かに部屋を出る。
扉の向こうでは、ユリウス、シグ、フィンが立っていた。
誰も言葉を発しない。ただ、彼とルナフィエラをまっすぐに見つめていた。
ヴィクトルはしばし彼らに視線を向けると、静かに口を開く。
「……紅き月の儀式は、特別な場所じゃないと行えないらしい。
――かつてのあの場所なら、力に耐えられる……はずだ」
一瞬、ユリウスが目を細める。
(“あの場所”……?)
だが、ヴィクトルはそれ以上語らず、
小さく息を吐いてから、一言だけ残す。
「……必ず、守る」
そして、ルナフィエラを抱えたまま、ゆっくりと背を向けた。
月明かりに照らされながら、静かに父のもとへと歩み出していく。
後に残された三人は、ただその背を見つめるしかなかった。
馬車は月の下を静かに進んでいた。
車輪が石畳を転がるたび、微かな揺れが車内に伝わる。
その中で、ルナフィエラはヴィクトルの腕の中に、静かに抱かれていた。
彼女の体はひどく熱く、息は浅く、細い指は震えていた。
目を閉じていても眠っているわけではなく、時折小さく眉を寄せる。
「……ルナ様」
ヴィクトルはそっと名前を呼ぶ。
すると、ルナフィエラがほんのわずかに瞼を持ち上げた。
焦点の合わない視線が、うっすらと彼を映し出す。
「……ヴィク……とる……?」
「はい、ここにいます。……安心してください」
彼女の返事はなかった。
ただ、少しだけ首が彼の胸元に寄りかかった。
(熱が……まだ下がらない)
ヴィクトルはルナフィエラを外套ごと包み込み、冷たい夜風から守るように彼女を抱き寄せた。
そのとき――
「……こわ、いの……」
かすれた声が、彼の胸元で震えた。
ヴィクトルは言葉を失い、ただそっと彼女の頭を撫でる。
「もう、怖がらなくていい。
あなたは……独りじゃない」
静かに、そしてはっきりと。
「たとえ何が起きても、私はあなたの傍にいます。
力が暴れても、あなた自身を壊しても――
それでも、私は……あなたを守ります」
その言葉に、ルナフィエラはふるふると小さく首を振った。
「……わたしが……こわいの……」
「……」
「……もし、みんなを……きずつけ、たら……」
かすれる声、続かない言葉。
それでも、想いは痛いほど伝わってきた。
ヴィクトルは何も言わず、そっと彼女の額に唇を寄せた。
優しく、祈るように、静かに。
「……もうすぐです。
必ず、助けます。……約束します」
その腕の中、ルナフィエラは小さくうなずいた。
車窓の外、紅き月はもうすぐ天頂に届こうとしていた。
重厚な馬車が、静かに城門の前で止まった。
そこは、現在は人間の王が居を構える王城――
しかし、かつてはヴィクトルたち、ヴァンパイアの王族が治めていた古き城だった。
月明かりを受けた石造りの城壁は、どこか冷たく、そして静まり返っていた。
ヴィクトルの父が小さく呟く。
「ここは、私の記憶に残る“最後の城”だ。
――紅き月の夜、すべてが狂った場所でもある」
ヴィクトルは父に続いて、ルナフィエラを抱えたまま城門をくぐる。
夜の城内には人気がなく、火の灯らぬ燭台が並ぶ長い廊下だけが続いていた。
無人のはずの空間には、かすかに“気配”が残っていた。
それは、魔力でも、人の気配でもない。
もっと根源的な、何かが沈殿しているような――そんな圧。
(……ここで……)
ここで100年前、儀式は行われ、そして失敗した。
王たちが、純血種たちが、力に呑まれ――
目の前で血に染まった光景が繰り広げられた、その場所へ。
「この奥だ」
父の案内に従い、螺旋階段を下る。
古文書に記された“王の間”のさらに奥、
かつて誰も立ち入れなかった王族専用の封印扉がゆっくりと開かれる。
そこには――
「……っ」
ヴィクトルが息を呑んだ。
広い空間に、魔法陣が刻まれた石の床が広がっていた。
床一面には、赤黒く輝く魔素の線が網のように走っており、
その中央には、儀式用の石造りの“祭壇”が静かに鎮座している。
空気は重く、魔力が常に蠢いているような圧迫感があった。
「姫様を、そこに」
父が指さしたのは、魔法陣の中心、祭壇の上だった。
「……本当に、ここで……?」
「ここ以外には、ない。
姫様の力を受け入れるに足る結界と構造は、
この地にしか残されていない」
ヴィクトルは躊躇うように目を伏せる。
だが、腕の中のルナはもう、自分で身を支えることすら難しいほど弱っていた。
「……ルナ様。少しだけ、我慢してください」
その言葉とともに、
ヴィクトルはそっと彼女を祭壇の上に横たえた。
冷たい石の感触に、小さく身を縮めるルナ。
ヴィクトルはその額に、静かに手を添える。
(……必ず守る。この手で)
紅き月の光が、ゆっくりと魔法陣に反応し始めていた。
薄暗い室内には、淡い光が差し込んでいた。
寝台の上、ルナは浅く肩で息をしながら横たわっている。
頬はうっすらと赤く、額には細かな汗が滲んでいた。
「……ルナ様」
その呼びかけに、ルナフィエラはわずかに瞼を震わせる。
「ヴィクトル……?」
「私です。……少し、出かけましょう」
「え……?」
掠れた声が、か細く問い返す。
身体を動かそうとするが、力が入らない。
ヴィクトルはそっと彼女の手を取って、膝をつきながら囁いた。
「大丈夫です。無理はさせません。――私が、ずっと傍にいますから」
その声音はとても優しく、どこか切なげで。
ルナフィエラはそれ以上何も言えずに、ただ微かに頷いた。
ヴィクトルは彼女をそっと抱き上げ、身に纏う外套で彼女の身体を覆った。
そして静かに部屋を出る。
扉の向こうでは、ユリウス、シグ、フィンが立っていた。
誰も言葉を発しない。ただ、彼とルナフィエラをまっすぐに見つめていた。
ヴィクトルはしばし彼らに視線を向けると、静かに口を開く。
「……紅き月の儀式は、特別な場所じゃないと行えないらしい。
――かつてのあの場所なら、力に耐えられる……はずだ」
一瞬、ユリウスが目を細める。
(“あの場所”……?)
だが、ヴィクトルはそれ以上語らず、
小さく息を吐いてから、一言だけ残す。
「……必ず、守る」
そして、ルナフィエラを抱えたまま、ゆっくりと背を向けた。
月明かりに照らされながら、静かに父のもとへと歩み出していく。
後に残された三人は、ただその背を見つめるしかなかった。
馬車は月の下を静かに進んでいた。
車輪が石畳を転がるたび、微かな揺れが車内に伝わる。
その中で、ルナフィエラはヴィクトルの腕の中に、静かに抱かれていた。
彼女の体はひどく熱く、息は浅く、細い指は震えていた。
目を閉じていても眠っているわけではなく、時折小さく眉を寄せる。
「……ルナ様」
ヴィクトルはそっと名前を呼ぶ。
すると、ルナフィエラがほんのわずかに瞼を持ち上げた。
焦点の合わない視線が、うっすらと彼を映し出す。
「……ヴィク……とる……?」
「はい、ここにいます。……安心してください」
彼女の返事はなかった。
ただ、少しだけ首が彼の胸元に寄りかかった。
(熱が……まだ下がらない)
ヴィクトルはルナフィエラを外套ごと包み込み、冷たい夜風から守るように彼女を抱き寄せた。
そのとき――
「……こわ、いの……」
かすれた声が、彼の胸元で震えた。
ヴィクトルは言葉を失い、ただそっと彼女の頭を撫でる。
「もう、怖がらなくていい。
あなたは……独りじゃない」
静かに、そしてはっきりと。
「たとえ何が起きても、私はあなたの傍にいます。
力が暴れても、あなた自身を壊しても――
それでも、私は……あなたを守ります」
その言葉に、ルナフィエラはふるふると小さく首を振った。
「……わたしが……こわいの……」
「……」
「……もし、みんなを……きずつけ、たら……」
かすれる声、続かない言葉。
それでも、想いは痛いほど伝わってきた。
ヴィクトルは何も言わず、そっと彼女の額に唇を寄せた。
優しく、祈るように、静かに。
「……もうすぐです。
必ず、助けます。……約束します」
その腕の中、ルナフィエラは小さくうなずいた。
車窓の外、紅き月はもうすぐ天頂に届こうとしていた。
重厚な馬車が、静かに城門の前で止まった。
そこは、現在は人間の王が居を構える王城――
しかし、かつてはヴィクトルたち、ヴァンパイアの王族が治めていた古き城だった。
月明かりを受けた石造りの城壁は、どこか冷たく、そして静まり返っていた。
ヴィクトルの父が小さく呟く。
「ここは、私の記憶に残る“最後の城”だ。
――紅き月の夜、すべてが狂った場所でもある」
ヴィクトルは父に続いて、ルナフィエラを抱えたまま城門をくぐる。
夜の城内には人気がなく、火の灯らぬ燭台が並ぶ長い廊下だけが続いていた。
無人のはずの空間には、かすかに“気配”が残っていた。
それは、魔力でも、人の気配でもない。
もっと根源的な、何かが沈殿しているような――そんな圧。
(……ここで……)
ここで100年前、儀式は行われ、そして失敗した。
王たちが、純血種たちが、力に呑まれ――
目の前で血に染まった光景が繰り広げられた、その場所へ。
「この奥だ」
父の案内に従い、螺旋階段を下る。
古文書に記された“王の間”のさらに奥、
かつて誰も立ち入れなかった王族専用の封印扉がゆっくりと開かれる。
そこには――
「……っ」
ヴィクトルが息を呑んだ。
広い空間に、魔法陣が刻まれた石の床が広がっていた。
床一面には、赤黒く輝く魔素の線が網のように走っており、
その中央には、儀式用の石造りの“祭壇”が静かに鎮座している。
空気は重く、魔力が常に蠢いているような圧迫感があった。
「姫様を、そこに」
父が指さしたのは、魔法陣の中心、祭壇の上だった。
「……本当に、ここで……?」
「ここ以外には、ない。
姫様の力を受け入れるに足る結界と構造は、
この地にしか残されていない」
ヴィクトルは躊躇うように目を伏せる。
だが、腕の中のルナはもう、自分で身を支えることすら難しいほど弱っていた。
「……ルナ様。少しだけ、我慢してください」
その言葉とともに、
ヴィクトルはそっと彼女を祭壇の上に横たえた。
冷たい石の感触に、小さく身を縮めるルナ。
ヴィクトルはその額に、静かに手を添える。
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