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第六章:流れる鼓動、重なる願い
第90話・選びたくない、でも——
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朝露が消えかけた中庭に、ルナフィエラの足音が軽やかに響いた。
(体が……ずいぶん、軽い)
頬を撫でる風が心地よかった。
胸の奥を渦巻いていた重苦しさは消え、魔力の流れも滑らかに整っている。
ユリウスから血を受け、ヴィクトルに抱きしめられた夜。
そのすべてが、確かに彼女の内側を癒していた。
けれど、穏やかな時間は長く続かなかった。
「ルナ、今日の髪……陽に透けてとても綺麗だ。次は、庭園で一緒にお茶でもどう?」
いつの間にか背後に立っていたユリウスが、ルナフィエラの髪にそっと指を絡めながら、微笑みかける。
さりげないようで、どこか甘やかすような仕草。
「え、えっと……それは……」
視線を逸らした瞬間、横からもうひとつの影がすっと割り込んでくる。
「ルナ、僕もお茶行きたい! ていうか今日は僕が一緒に回ろうと思ってたのに!」
フィンは満面の笑みでそう言いながら、自然に彼女の手を取った。
その勢いに押されて、ルナフィエラは小さくたじろぐ。
(ちょ、ちょっと……二人とも、近い……!)
ほんの数日前までは、こんなふうに露骨に迫られることはなかった。
でも今は、まるで火がついたように、彼らの言動が“恋人”めいている。
──どうすればいいのか、わからない。
二人とも、大切で。
二人とも、嫌じゃない。
でも、どちらかを選ぶなんて——今の自分にはまだできない。
「おい、離れろ。ルナが困ってるだろ」
そのとき、低く鋭い声が飛んだ。
振り返れば、シグがふたりの間に割って入り、無言でルナフィエラの手を取った。
「シグ……」
「日差しが強い。あっちの日陰へ移動するぞ」
それだけ言って、彼はゆっくりと歩き出す。
戸惑いながらも、ルナフィエラはその背中に気持ちを預けるようにして歩みを合わせた。
(……やっぱり、助けてくれるのはシグ)
言葉少なでも、いつも見てくれる。
苦しいときに、必ず手を伸ばしてくれる存在。
だけど——
(じゃあ、シグを……選ぶ?)
その思考の重さに、心がきゅっと締めつけられる。
“選ぶ”という言葉が、あまりに現実的すぎて、怖かった。
──そんな彼女の様子を、少し離れた柱の影から見つめる瞳があった。
ヴィクトルはそこに、ただ立ち尽くしていた。
いつものように寡黙で、凪いだ表情のまま。
けれど、その視線の奥には、熱い焦燥が秘められていた。
想いを隠すために選んだ沈黙が、今や自らを縛っている。
騎士として、そして誰よりも彼女を想うひとりの男として──
ヴィクトルは胸の奥に、言葉にできない痛みを抱え続けていた。
——————
ある日、それはほんの些細な違和感から始まった。
朝の挨拶、昼の散歩、夜の食卓。
それぞれの場面で――
ユリウスは当たり前のように微笑み、フィンは隙あらば隣に座ってくる。
シグは何も言わずとも自然に守る位置に立ち、ヴィクトルは変わらず一定の距離を保ちながら、常に彼女のことを見ていた。
(……みんな、優しい)
だからこそ、苦しかった。
ふとした瞬間に、誰かの視線とぶつかる。
ユリウスの言葉が、フィンの手が、シグの背が、ヴィクトルの瞳が――
それぞれが「君を大切に想っている」と語りかけてくる。
(わたしは……どうすればいいの)
はっきりとした問いが、胸の奥から浮かんできて、居心地の悪い沈黙を残す。
「ルナ? どうしたの?」
ときに問いかけられても、返事に詰まることが増えた。
笑顔を返そうとしても、どこかぎこちなくなる。
次第に、彼らの言葉を素直に受け取れなくなっていった。
──誰かを選ぶということは、他の誰かを“選ばない”ということ。
その事実が、ひどく苦しくて、怖かった。
だからといって、無視できる気持ちでもない。
ユリウスに髪を撫でられた時、確かに胸が高鳴った。
フィンに甘えられた時、思わず頬が緩んでしまった。
シグに庇われた時、言葉にできない安堵を覚えた。
そして──
ヴィクトルの視線が静かに寄り添ってくれるたび、どうしようもなく心が揺れた。
(……選べない。誰も、嫌いになんてなれないのに)
──こんな気持ちになるくらいなら、誰も好きにならなければよかった。
そう思ってしまう自分が、また嫌いになった。
日を追うごとに、ルナフィエラの顔から笑みが消えていった。
どこか虚ろで、目の奥に影を落とすような表情。
誰かの言葉にうなずきながらも、視線はどこか泳いでいる。
そんなルナフィエラの変化に、4人もまた徐々に気づき始めていた。
だが、それをどう受け止めるべきか、まだ誰も、答えを出せずにいた。
(体が……ずいぶん、軽い)
頬を撫でる風が心地よかった。
胸の奥を渦巻いていた重苦しさは消え、魔力の流れも滑らかに整っている。
ユリウスから血を受け、ヴィクトルに抱きしめられた夜。
そのすべてが、確かに彼女の内側を癒していた。
けれど、穏やかな時間は長く続かなかった。
「ルナ、今日の髪……陽に透けてとても綺麗だ。次は、庭園で一緒にお茶でもどう?」
いつの間にか背後に立っていたユリウスが、ルナフィエラの髪にそっと指を絡めながら、微笑みかける。
さりげないようで、どこか甘やかすような仕草。
「え、えっと……それは……」
視線を逸らした瞬間、横からもうひとつの影がすっと割り込んでくる。
「ルナ、僕もお茶行きたい! ていうか今日は僕が一緒に回ろうと思ってたのに!」
フィンは満面の笑みでそう言いながら、自然に彼女の手を取った。
その勢いに押されて、ルナフィエラは小さくたじろぐ。
(ちょ、ちょっと……二人とも、近い……!)
ほんの数日前までは、こんなふうに露骨に迫られることはなかった。
でも今は、まるで火がついたように、彼らの言動が“恋人”めいている。
──どうすればいいのか、わからない。
二人とも、大切で。
二人とも、嫌じゃない。
でも、どちらかを選ぶなんて——今の自分にはまだできない。
「おい、離れろ。ルナが困ってるだろ」
そのとき、低く鋭い声が飛んだ。
振り返れば、シグがふたりの間に割って入り、無言でルナフィエラの手を取った。
「シグ……」
「日差しが強い。あっちの日陰へ移動するぞ」
それだけ言って、彼はゆっくりと歩き出す。
戸惑いながらも、ルナフィエラはその背中に気持ちを預けるようにして歩みを合わせた。
(……やっぱり、助けてくれるのはシグ)
言葉少なでも、いつも見てくれる。
苦しいときに、必ず手を伸ばしてくれる存在。
だけど——
(じゃあ、シグを……選ぶ?)
その思考の重さに、心がきゅっと締めつけられる。
“選ぶ”という言葉が、あまりに現実的すぎて、怖かった。
──そんな彼女の様子を、少し離れた柱の影から見つめる瞳があった。
ヴィクトルはそこに、ただ立ち尽くしていた。
いつものように寡黙で、凪いだ表情のまま。
けれど、その視線の奥には、熱い焦燥が秘められていた。
想いを隠すために選んだ沈黙が、今や自らを縛っている。
騎士として、そして誰よりも彼女を想うひとりの男として──
ヴィクトルは胸の奥に、言葉にできない痛みを抱え続けていた。
——————
ある日、それはほんの些細な違和感から始まった。
朝の挨拶、昼の散歩、夜の食卓。
それぞれの場面で――
ユリウスは当たり前のように微笑み、フィンは隙あらば隣に座ってくる。
シグは何も言わずとも自然に守る位置に立ち、ヴィクトルは変わらず一定の距離を保ちながら、常に彼女のことを見ていた。
(……みんな、優しい)
だからこそ、苦しかった。
ふとした瞬間に、誰かの視線とぶつかる。
ユリウスの言葉が、フィンの手が、シグの背が、ヴィクトルの瞳が――
それぞれが「君を大切に想っている」と語りかけてくる。
(わたしは……どうすればいいの)
はっきりとした問いが、胸の奥から浮かんできて、居心地の悪い沈黙を残す。
「ルナ? どうしたの?」
ときに問いかけられても、返事に詰まることが増えた。
笑顔を返そうとしても、どこかぎこちなくなる。
次第に、彼らの言葉を素直に受け取れなくなっていった。
──誰かを選ぶということは、他の誰かを“選ばない”ということ。
その事実が、ひどく苦しくて、怖かった。
だからといって、無視できる気持ちでもない。
ユリウスに髪を撫でられた時、確かに胸が高鳴った。
フィンに甘えられた時、思わず頬が緩んでしまった。
シグに庇われた時、言葉にできない安堵を覚えた。
そして──
ヴィクトルの視線が静かに寄り添ってくれるたび、どうしようもなく心が揺れた。
(……選べない。誰も、嫌いになんてなれないのに)
──こんな気持ちになるくらいなら、誰も好きにならなければよかった。
そう思ってしまう自分が、また嫌いになった。
日を追うごとに、ルナフィエラの顔から笑みが消えていった。
どこか虚ろで、目の奥に影を落とすような表情。
誰かの言葉にうなずきながらも、視線はどこか泳いでいる。
そんなルナフィエラの変化に、4人もまた徐々に気づき始めていた。
だが、それをどう受け止めるべきか、まだ誰も、答えを出せずにいた。
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