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第六章:流れる鼓動、重なる願い
第91話・誰も傷つけたくないだけなのに
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古城の石造りの廊下を抜け、サロンの扉を閉めた瞬間──
ルナフィエラは、限界だった。
胸の内に渦巻く想いが、もう抑えきれないほどに膨れ上がっていた。
静かな室内。
誰もいないことを確かめて、重く息を吐く。
(ユリウスも……フィンも……優しくて、あったかくて……)
毎日のように注がれる好意。
髪に触れられ、キスをされ、抱きしめられて──
そのたびに、胸が甘く痛んだ。
(嫌じゃない。嬉しい。……でも)
「……どうしたら、いいの……」
ぽつりと漏れた声は、どこか遠く、自分のものとは思えなかった。
体が震える。
気づけば、目の奥が、じんと熱い。
(誰かを選んだら、他の誰かを“選ばない“ことになる。
そんなの、耐えられない……)
ユリウスの優しさも、
フィンのまっすぐな想いも、
シグの無言の支えも──
そして──
(……ヴィクトルの視線も、ずっと私を見てくれてるのに……)
けれどヴィクトルだけは、決して距離を越えてこようとはしなかった。
主従という壁を越えることを、自らに禁じているかのように。
そのことが、いっそうルナフィエラの心を苦しめた。
「私……選べない。誰かを傷つけたくない。
でもこのままじゃ……誰のことも、大切にできない……」
そのときだった。
──扉が、ノックもなく静かに開く。
ユリウスが一歩、部屋に足を踏み入れた。
その後ろから、フィン、シグ、そしてヴィクトルの姿もあった。
「来ないで……っ」
思わず、ルナフィエラは声を上げ、後ずさった。
その声に、全員がぴたりと動きを止める。
彼女は顔を伏せ、こぼれる涙を両手で隠した。
「もう……やめて……ごめんね、みんな……
嬉しかった。幸せだった。でも、怖いの。
このままじゃ、私……全部壊しちゃいそうで……」
ユリウスが苦しそうに目を伏せる。
フィンは手を伸ばしかけ、けれど途中で止めた。
「誰かを選んだら、他の誰かが傷つくのがわかるのに……
どうして、私なんかに優しくするの……!
私じゃ……だれも、幸せにできない──っ」
言葉は涙に溶け、崩れるようにその場に座り込んだ。
重たい沈黙が場を支配する。
けれど──
「……選ばなくていい」
最初に口を開いたのは、シグだった。
「ルナが壊れるくらいなら、全部やめる。俺たちの気持ちなんて、どうでもいい」
静かで、けれど真っ直ぐな声だった。
「……俺は、ルナが笑ってりゃそれでいい」
続けて、フィンがぎゅっと拳を握りしめて叫ぶ。
「僕も、ルナに笑っててほしいだけなんだ!
他の誰かのことも想っているのは、ちょっと悔しいけど……それでも……っ!」
ユリウスは近づくこともなく、ただ優しい眼差しで見つめていた。
「……気づいてたよ。君がずっと、ひとりで悩んでいたこと。
君が僕たちを大切に思ってくれてるのは……十分すぎるほど、伝わってる」
そして──
ヴィクトルは、ただ黙って、遠くからルナフィエラを見ていた。
何も言わず、ただその手がわずかに震えている。
(……ヴィクトル……)
彼の視線が痛いほどに優しいことだけは、ルナフィエラにもわかった。
けれど、何も言ってくれないその沈黙が、ルナの胸を締めつけた。
ルナフィエラが崩れるように床に座り込んだ瞬間、ヴィクトルの胸は焼けるように熱くなった。
──駆け寄りたい。
その小さな体を抱きしめてやりたい。
震える肩に手を添えて「大丈夫」と伝えたい。
でも。
(……それは、していいことなのか?)
主人に仕える身として──
ルナフィエラ・エヴァンジェリスタに忠誠を誓った騎士として。
その線を越えることは、許されるのか?
他の三人が迷いなく言葉を紡ぐなかで、
ヴィクトルの足は動かない。
口も、開けなかった。
目の前で、彼女は泣いているというのに。
(なぜ、俺は……言葉ひとつ、かけてやれない……?)
心の奥では何度も叫んでいた。
「泣かなくていい」と。
「貴女が誰も選ばなくても、私は傍にいる」と。
けれどその一歩を踏み出すことが、
“忠義”に背くような気がして、どうしてもできなかった。
他の者たちは、ルナフィエラに「恋」を向ける。
けれど自分は、それを「隠している」。
いや──
「隠すべきもの」だと、思い込もうとしていた。
(主君に恋など──してはならない)
そう、百年ものあいだ己に言い聞かせてきた。
この感情は忠誠心の延長。
決して恋などではない、と。
でも。
(……あの日から、違っていたじゃないか)
冷たい月の下で、彼女を見つけたとき。
この胸がどうしようもなく熱くなったことを──
彼女が生きていてくれたことに、
涙が滲むほど嬉しかったことを──
ヴィクトルは、決して忘れていなかった。
それでも今、
彼はただ黙って、ルナフィエラを見ていた。
声をかけることも、抱き寄せることもできずに。
静かに、でも確かに、彼女を見守っていた。
(ルナ様……どうか、壊れないで)
願いは言葉にならず、
想いは胸に秘めたまま──
それが彼にできる、ただ一つの“忠誠”だった。
ルナフィエラは、限界だった。
胸の内に渦巻く想いが、もう抑えきれないほどに膨れ上がっていた。
静かな室内。
誰もいないことを確かめて、重く息を吐く。
(ユリウスも……フィンも……優しくて、あったかくて……)
毎日のように注がれる好意。
髪に触れられ、キスをされ、抱きしめられて──
そのたびに、胸が甘く痛んだ。
(嫌じゃない。嬉しい。……でも)
「……どうしたら、いいの……」
ぽつりと漏れた声は、どこか遠く、自分のものとは思えなかった。
体が震える。
気づけば、目の奥が、じんと熱い。
(誰かを選んだら、他の誰かを“選ばない“ことになる。
そんなの、耐えられない……)
ユリウスの優しさも、
フィンのまっすぐな想いも、
シグの無言の支えも──
そして──
(……ヴィクトルの視線も、ずっと私を見てくれてるのに……)
けれどヴィクトルだけは、決して距離を越えてこようとはしなかった。
主従という壁を越えることを、自らに禁じているかのように。
そのことが、いっそうルナフィエラの心を苦しめた。
「私……選べない。誰かを傷つけたくない。
でもこのままじゃ……誰のことも、大切にできない……」
そのときだった。
──扉が、ノックもなく静かに開く。
ユリウスが一歩、部屋に足を踏み入れた。
その後ろから、フィン、シグ、そしてヴィクトルの姿もあった。
「来ないで……っ」
思わず、ルナフィエラは声を上げ、後ずさった。
その声に、全員がぴたりと動きを止める。
彼女は顔を伏せ、こぼれる涙を両手で隠した。
「もう……やめて……ごめんね、みんな……
嬉しかった。幸せだった。でも、怖いの。
このままじゃ、私……全部壊しちゃいそうで……」
ユリウスが苦しそうに目を伏せる。
フィンは手を伸ばしかけ、けれど途中で止めた。
「誰かを選んだら、他の誰かが傷つくのがわかるのに……
どうして、私なんかに優しくするの……!
私じゃ……だれも、幸せにできない──っ」
言葉は涙に溶け、崩れるようにその場に座り込んだ。
重たい沈黙が場を支配する。
けれど──
「……選ばなくていい」
最初に口を開いたのは、シグだった。
「ルナが壊れるくらいなら、全部やめる。俺たちの気持ちなんて、どうでもいい」
静かで、けれど真っ直ぐな声だった。
「……俺は、ルナが笑ってりゃそれでいい」
続けて、フィンがぎゅっと拳を握りしめて叫ぶ。
「僕も、ルナに笑っててほしいだけなんだ!
他の誰かのことも想っているのは、ちょっと悔しいけど……それでも……っ!」
ユリウスは近づくこともなく、ただ優しい眼差しで見つめていた。
「……気づいてたよ。君がずっと、ひとりで悩んでいたこと。
君が僕たちを大切に思ってくれてるのは……十分すぎるほど、伝わってる」
そして──
ヴィクトルは、ただ黙って、遠くからルナフィエラを見ていた。
何も言わず、ただその手がわずかに震えている。
(……ヴィクトル……)
彼の視線が痛いほどに優しいことだけは、ルナフィエラにもわかった。
けれど、何も言ってくれないその沈黙が、ルナの胸を締めつけた。
ルナフィエラが崩れるように床に座り込んだ瞬間、ヴィクトルの胸は焼けるように熱くなった。
──駆け寄りたい。
その小さな体を抱きしめてやりたい。
震える肩に手を添えて「大丈夫」と伝えたい。
でも。
(……それは、していいことなのか?)
主人に仕える身として──
ルナフィエラ・エヴァンジェリスタに忠誠を誓った騎士として。
その線を越えることは、許されるのか?
他の三人が迷いなく言葉を紡ぐなかで、
ヴィクトルの足は動かない。
口も、開けなかった。
目の前で、彼女は泣いているというのに。
(なぜ、俺は……言葉ひとつ、かけてやれない……?)
心の奥では何度も叫んでいた。
「泣かなくていい」と。
「貴女が誰も選ばなくても、私は傍にいる」と。
けれどその一歩を踏み出すことが、
“忠義”に背くような気がして、どうしてもできなかった。
他の者たちは、ルナフィエラに「恋」を向ける。
けれど自分は、それを「隠している」。
いや──
「隠すべきもの」だと、思い込もうとしていた。
(主君に恋など──してはならない)
そう、百年ものあいだ己に言い聞かせてきた。
この感情は忠誠心の延長。
決して恋などではない、と。
でも。
(……あの日から、違っていたじゃないか)
冷たい月の下で、彼女を見つけたとき。
この胸がどうしようもなく熱くなったことを──
彼女が生きていてくれたことに、
涙が滲むほど嬉しかったことを──
ヴィクトルは、決して忘れていなかった。
それでも今、
彼はただ黙って、ルナフィエラを見ていた。
声をかけることも、抱き寄せることもできずに。
静かに、でも確かに、彼女を見守っていた。
(ルナ様……どうか、壊れないで)
願いは言葉にならず、
想いは胸に秘めたまま──
それが彼にできる、ただ一つの“忠誠”だった。
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