92 / 184
第六章:流れる鼓動、重なる願い
第90話・選びたくない、でも——
しおりを挟む
朝露が消えかけた中庭に、ルナフィエラの足音が軽やかに響いた。
(体が……ずいぶん、軽い)
頬を撫でる風が心地よかった。
胸の奥を渦巻いていた重苦しさは消え、魔力の流れも滑らかに整っている。
ユリウスから血を受け、ヴィクトルに抱きしめられた夜。
そのすべてが、確かに彼女の内側を癒していた。
けれど、穏やかな時間は長く続かなかった。
「ルナ、今日の髪……陽に透けてとても綺麗だ。次は、庭園で一緒にお茶でもどう?」
いつの間にか背後に立っていたユリウスが、ルナフィエラの髪にそっと指を絡めながら、微笑みかける。
さりげないようで、どこか甘やかすような仕草。
「え、えっと……それは……」
視線を逸らした瞬間、横からもうひとつの影がすっと割り込んでくる。
「ルナ、僕もお茶行きたい! ていうか今日は僕が一緒に回ろうと思ってたのに!」
フィンは満面の笑みでそう言いながら、自然に彼女の手を取った。
その勢いに押されて、ルナフィエラは小さくたじろぐ。
(ちょ、ちょっと……二人とも、近い……!)
ほんの数日前までは、こんなふうに露骨に迫られることはなかった。
でも今は、まるで火がついたように、彼らの言動が“恋人”めいている。
──どうすればいいのか、わからない。
二人とも、大切で。
二人とも、嫌じゃない。
でも、どちらかを選ぶなんて——今の自分にはまだできない。
「おい、離れろ。ルナが困ってるだろ」
そのとき、低く鋭い声が飛んだ。
振り返れば、シグがふたりの間に割って入り、無言でルナフィエラの手を取った。
「シグ……」
「日差しが強い。あっちの日陰へ移動するぞ」
それだけ言って、彼はゆっくりと歩き出す。
戸惑いながらも、ルナフィエラはその背中に気持ちを預けるようにして歩みを合わせた。
(……やっぱり、助けてくれるのはシグ)
言葉少なでも、いつも見てくれる。
苦しいときに、必ず手を伸ばしてくれる存在。
だけど——
(じゃあ、シグを……選ぶ?)
その思考の重さに、心がきゅっと締めつけられる。
“選ぶ”という言葉が、あまりに現実的すぎて、怖かった。
──そんな彼女の様子を、少し離れた柱の影から見つめる瞳があった。
ヴィクトルはそこに、ただ立ち尽くしていた。
いつものように寡黙で、凪いだ表情のまま。
けれど、その視線の奥には、熱い焦燥が秘められていた。
想いを隠すために選んだ沈黙が、今や自らを縛っている。
騎士として、そして誰よりも彼女を想うひとりの男として──
ヴィクトルは胸の奥に、言葉にできない痛みを抱え続けていた。
——————
ある日、それはほんの些細な違和感から始まった。
朝の挨拶、昼の散歩、夜の食卓。
それぞれの場面で――
ユリウスは当たり前のように微笑み、フィンは隙あらば隣に座ってくる。
シグは何も言わずとも自然に守る位置に立ち、ヴィクトルは変わらず一定の距離を保ちながら、常に彼女のことを見ていた。
(……みんな、優しい)
だからこそ、苦しかった。
ふとした瞬間に、誰かの視線とぶつかる。
ユリウスの言葉が、フィンの手が、シグの背が、ヴィクトルの瞳が――
それぞれが「君を大切に想っている」と語りかけてくる。
(わたしは……どうすればいいの)
はっきりとした問いが、胸の奥から浮かんできて、居心地の悪い沈黙を残す。
「ルナ? どうしたの?」
ときに問いかけられても、返事に詰まることが増えた。
笑顔を返そうとしても、どこかぎこちなくなる。
次第に、彼らの言葉を素直に受け取れなくなっていった。
──誰かを選ぶということは、他の誰かを“選ばない”ということ。
その事実が、ひどく苦しくて、怖かった。
だからといって、無視できる気持ちでもない。
ユリウスに髪を撫でられた時、確かに胸が高鳴った。
フィンに甘えられた時、思わず頬が緩んでしまった。
シグに庇われた時、言葉にできない安堵を覚えた。
そして──
ヴィクトルの視線が静かに寄り添ってくれるたび、どうしようもなく心が揺れた。
(……選べない。誰も、嫌いになんてなれないのに)
──こんな気持ちになるくらいなら、誰も好きにならなければよかった。
そう思ってしまう自分が、また嫌いになった。
日を追うごとに、ルナフィエラの顔から笑みが消えていった。
どこか虚ろで、目の奥に影を落とすような表情。
誰かの言葉にうなずきながらも、視線はどこか泳いでいる。
そんなルナフィエラの変化に、4人もまた徐々に気づき始めていた。
だが、それをどう受け止めるべきか、まだ誰も、答えを出せずにいた。
(体が……ずいぶん、軽い)
頬を撫でる風が心地よかった。
胸の奥を渦巻いていた重苦しさは消え、魔力の流れも滑らかに整っている。
ユリウスから血を受け、ヴィクトルに抱きしめられた夜。
そのすべてが、確かに彼女の内側を癒していた。
けれど、穏やかな時間は長く続かなかった。
「ルナ、今日の髪……陽に透けてとても綺麗だ。次は、庭園で一緒にお茶でもどう?」
いつの間にか背後に立っていたユリウスが、ルナフィエラの髪にそっと指を絡めながら、微笑みかける。
さりげないようで、どこか甘やかすような仕草。
「え、えっと……それは……」
視線を逸らした瞬間、横からもうひとつの影がすっと割り込んでくる。
「ルナ、僕もお茶行きたい! ていうか今日は僕が一緒に回ろうと思ってたのに!」
フィンは満面の笑みでそう言いながら、自然に彼女の手を取った。
その勢いに押されて、ルナフィエラは小さくたじろぐ。
(ちょ、ちょっと……二人とも、近い……!)
ほんの数日前までは、こんなふうに露骨に迫られることはなかった。
でも今は、まるで火がついたように、彼らの言動が“恋人”めいている。
──どうすればいいのか、わからない。
二人とも、大切で。
二人とも、嫌じゃない。
でも、どちらかを選ぶなんて——今の自分にはまだできない。
「おい、離れろ。ルナが困ってるだろ」
そのとき、低く鋭い声が飛んだ。
振り返れば、シグがふたりの間に割って入り、無言でルナフィエラの手を取った。
「シグ……」
「日差しが強い。あっちの日陰へ移動するぞ」
それだけ言って、彼はゆっくりと歩き出す。
戸惑いながらも、ルナフィエラはその背中に気持ちを預けるようにして歩みを合わせた。
(……やっぱり、助けてくれるのはシグ)
言葉少なでも、いつも見てくれる。
苦しいときに、必ず手を伸ばしてくれる存在。
だけど——
(じゃあ、シグを……選ぶ?)
その思考の重さに、心がきゅっと締めつけられる。
“選ぶ”という言葉が、あまりに現実的すぎて、怖かった。
──そんな彼女の様子を、少し離れた柱の影から見つめる瞳があった。
ヴィクトルはそこに、ただ立ち尽くしていた。
いつものように寡黙で、凪いだ表情のまま。
けれど、その視線の奥には、熱い焦燥が秘められていた。
想いを隠すために選んだ沈黙が、今や自らを縛っている。
騎士として、そして誰よりも彼女を想うひとりの男として──
ヴィクトルは胸の奥に、言葉にできない痛みを抱え続けていた。
——————
ある日、それはほんの些細な違和感から始まった。
朝の挨拶、昼の散歩、夜の食卓。
それぞれの場面で――
ユリウスは当たり前のように微笑み、フィンは隙あらば隣に座ってくる。
シグは何も言わずとも自然に守る位置に立ち、ヴィクトルは変わらず一定の距離を保ちながら、常に彼女のことを見ていた。
(……みんな、優しい)
だからこそ、苦しかった。
ふとした瞬間に、誰かの視線とぶつかる。
ユリウスの言葉が、フィンの手が、シグの背が、ヴィクトルの瞳が――
それぞれが「君を大切に想っている」と語りかけてくる。
(わたしは……どうすればいいの)
はっきりとした問いが、胸の奥から浮かんできて、居心地の悪い沈黙を残す。
「ルナ? どうしたの?」
ときに問いかけられても、返事に詰まることが増えた。
笑顔を返そうとしても、どこかぎこちなくなる。
次第に、彼らの言葉を素直に受け取れなくなっていった。
──誰かを選ぶということは、他の誰かを“選ばない”ということ。
その事実が、ひどく苦しくて、怖かった。
だからといって、無視できる気持ちでもない。
ユリウスに髪を撫でられた時、確かに胸が高鳴った。
フィンに甘えられた時、思わず頬が緩んでしまった。
シグに庇われた時、言葉にできない安堵を覚えた。
そして──
ヴィクトルの視線が静かに寄り添ってくれるたび、どうしようもなく心が揺れた。
(……選べない。誰も、嫌いになんてなれないのに)
──こんな気持ちになるくらいなら、誰も好きにならなければよかった。
そう思ってしまう自分が、また嫌いになった。
日を追うごとに、ルナフィエラの顔から笑みが消えていった。
どこか虚ろで、目の奥に影を落とすような表情。
誰かの言葉にうなずきながらも、視線はどこか泳いでいる。
そんなルナフィエラの変化に、4人もまた徐々に気づき始めていた。
だが、それをどう受け止めるべきか、まだ誰も、答えを出せずにいた。
1
あなたにおすすめの小説
喪女なのに狼さんたちに溺愛されています
和泉
恋愛
もふもふの狼がイケメンなんて反則です!
聖女召喚の儀で異世界に呼ばれたのはOL・大学生・高校生の3人。
ズボンを履いていた大学生のヒナは男だと勘違いされ、説明もないまま城を追い出された。
森で怪我をした子供の狼と出会ったヒナは狼族の国へ。私は喪女なのに狼族の王太子、No.1ホストのような武官、真面目な文官が近づいてくるのはなぜ?
ヒナとつがいになりたい狼達の恋愛の行方は?聖女の力で国同士の争いは無くすことができるのか。
混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない
三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。
【完結】転生したらラスボスの毒継母でした!
白雨 音
恋愛
妹シャルリーヌに裕福な辺境伯から結婚の打診があったと知り、アマンディーヌはシャルリーヌと入れ替わろうと画策する。
辺境伯からは「息子の為の白い結婚、いずれ解消する」と宣言されるが、アマンディーヌにとっても都合が良かった。「辺境伯の財で派手に遊び暮らせるなんて最高!」義理の息子など放置して遊び歩く気満々だったが、義理の息子に会った瞬間、卒倒した。
夢の中、前世で読んだ小説を思い出し、義理の息子は将来世界を破滅させようとするラスボスで、自分はその一因を作った毒継母だと知った。破滅もだが、何より自分の死の回避の為に、義理の息子を真っ当な人間に育てようと誓ったアマンディーヌの奮闘☆
異世界転生、家族愛、恋愛☆ 短めの長編(全二十一話です)
《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、いいね、ありがとうございます☆
召喚先は、誰も居ない森でした
みん
恋愛
事故に巻き込まれて行方不明になった母を探す茉白。そんな茉白を側で支えてくれていた留学生のフィンもまた、居なくなってしまい、寂しいながらも毎日を過ごしていた。そんなある日、バイト帰りに名前を呼ばれたかと思った次の瞬間、眩しい程の光に包まれて──
次に目を開けた時、茉白は森の中に居た。そして、そこには誰も居らず──
その先で、茉白が見たモノは──
最初はシリアス展開が続きます。
❋他視点のお話もあります
❋独自設定有り
❋気を付けてはいますが、誤字脱字があると思います。気付いた時に訂正していきます。
有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
お気に入り1000ありがとうございます!!
お礼SS追加決定のため終了取下げいたします。
皆様、お気に入り登録ありがとうございました。
現在、お礼SSの準備中です。少々お待ちください。
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
神様の手違いで、おまけの転生?!お詫びにチートと無口な騎士団長もらっちゃいました?!
カヨワイさつき
恋愛
最初は、日本人で受験の日に何かにぶつかり死亡。次は、何かの討伐中に、死亡。次に目覚めたら、見知らぬ聖女のそばに、ポツンとおまけの召喚?あまりにも、不細工な為にその場から追い出されてしまった。
前世の記憶はあるものの、どれをとっても短命、不幸な出来事ばかりだった。
全てはドジで少し変なナルシストの神様の手違いだっ。おまけの転生?お詫びにチートと無口で不器用な騎士団長もらっちゃいました。今度こそ、幸せになるかもしれません?!
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~
狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない!
隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。
わたし、もう王妃やめる!
政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。
離婚できないなら人間をやめるわ!
王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ!
フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。
よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる