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第六章:流れる鼓動、重なる願い
第89話・百年の忠誠、ひとときの温もり
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夜が更け、古城の廊下には静寂が満ちていた。
外では風が葉を揺らす音がしていたが、それすらも遠く感じるほど、部屋の中は穏やかな灯りに包まれている。
ベッドに横たわるルナフィエラの頬には、うっすらと血色が戻っていた。
ユリウスからの吸血の効果は明らかで、彼女の呼吸も、魔力の揺らぎも、すっかり落ち着いている。
その様子を、椅子に腰かけたヴィクトルは静かに見守っていた。
手には本を持ちながらも、一度たりとも視線をページに落とすことはなかった。
──本当に、よかった。
内心でそう思いながらも、胸の奥に渦巻くものが消えなかった。
(……このままでいいのか?)
日中の記憶が、再び脳裏に蘇る。
ユリウスに牙を預け、吸血を許しただけでなく――
あろうことか、彼の唇が彼女に触れたことも。
その直後、フィンまでもが。
あの瞬間、確かに彼の心は乱れた。
本来なら許されざる僭越。
だが、もっと許せなかったのは、何も言えずに見ていた“自分”だった。
ヴィクトル・エーベルヴァイン。
王家に仕えていた騎士にして、ルナフィエラに絶対の忠誠を誓った存在。
……だがその想いは、彼女を見つけた時から“忠誠”だけではなくなっていた。
ずっと胸の奥に押し込んできた。
百年探し続け、ようやく再会できたルナフィエラに、己の想いをぶつけることなど、決して許されないと思っていた。
けれど、もしこのまま何も言えず、何もできずにいれば──
(このままでは……また、失ってしまう)
無意識に拳が震えた。
「……ヴィクトル?」
不意に、ルナフィエラの声が響いた。
ヴィクトルが顔を上げると、彼女がこちらを見ている。
少し眠たげな瞳で、それでも確かに、彼を見つめていた。
「……さっきから、難しい顔してた」
「……失礼しました」
ヴィクトルは立ち上がり、ベッドへと歩み寄る。
いつもと変わらぬ落ち着いた仕草で、彼女の毛布をそっと整えた。
「……お体の調子は、いかがですか?」
「うん。すごく軽いの。血をもらったあとって、こんな感じなんだね」
ルナフィエラが微笑む。
その顔を見ただけで、胸が締めつけられるほど嬉しいはずなのに――
(……それだけでは、もう足りないと、思ってしまう)
その想いが、自分のものとは思えないほど、苦しかった。
「……ヴィクトルも、早く横になって」
ぽんぽんとベッドの端を叩くルナフィエラに、彼はわずかに戸惑いを見せた。
だが、添い寝は今に始まった習慣ではない。
いまさら躊躇する理由は、どこにもないはずだった。
ゆっくりとベッドに腰を下ろし、彼女の隣に身を沈める。
毛布がふたりを包み込むと、ルナフィエラは自然と寄り添ってきた。
彼の腕にそっと頭を預け、小さく囁く。
「ねえ……ヴィクトルは、キスしないの?」
その言葉に、ヴィクトルの呼吸が一瞬止まった。
ルナフィエラの問いは、どこまでも無垢で、悪意の欠片もない。
だからこそ、答えるのが恐ろしかった。
「……私は、貴女に仕える者です」
それが彼の答えだった。けれど――
「ふふ。2人も似たようなことを言いながらもしてくるのに」
ルナフィエラが、くすりと笑う。
(……貴女は、どこまで残酷なのか)
愛しいと思ってしまう。触れたいと思ってしまう。
でも、それを叶えたら、踏み越えてはいけない境界が崩れてしまう。
それでも──
「ルナ様」
ヴィクトルはそっと、彼女の頬に触れた。
ルナフィエラが顔を上げ、視線が重なる。
その瞳に、怯えはなかった。
ただ、静かな好奇心と、深い信頼だけがあった。
「……一度だけ、お許しいただけますか」
囁くようにそう問うと、ルナフィエラは、そっと目を閉じた。
それだけで、十分だった。
ヴィクトルは迷うことなく、ルナフィエラの額に唇を落とした。
やさしく、穏やかに。
けれどその一瞬に、百年分の想いを込めて。
ルナフィエラが静かに身を寄せてくる。
「……ヴィクトル、あったかい」
「貴女のために、在りたいのです」
その夜、ヴィクトルはただ彼女を抱きしめ、決して離さずに、朝を待った。
(たとえ、想いが報われぬとしても――)
せめて今だけは、この腕の中に。
そう願いながら。
外では風が葉を揺らす音がしていたが、それすらも遠く感じるほど、部屋の中は穏やかな灯りに包まれている。
ベッドに横たわるルナフィエラの頬には、うっすらと血色が戻っていた。
ユリウスからの吸血の効果は明らかで、彼女の呼吸も、魔力の揺らぎも、すっかり落ち着いている。
その様子を、椅子に腰かけたヴィクトルは静かに見守っていた。
手には本を持ちながらも、一度たりとも視線をページに落とすことはなかった。
──本当に、よかった。
内心でそう思いながらも、胸の奥に渦巻くものが消えなかった。
(……このままでいいのか?)
日中の記憶が、再び脳裏に蘇る。
ユリウスに牙を預け、吸血を許しただけでなく――
あろうことか、彼の唇が彼女に触れたことも。
その直後、フィンまでもが。
あの瞬間、確かに彼の心は乱れた。
本来なら許されざる僭越。
だが、もっと許せなかったのは、何も言えずに見ていた“自分”だった。
ヴィクトル・エーベルヴァイン。
王家に仕えていた騎士にして、ルナフィエラに絶対の忠誠を誓った存在。
……だがその想いは、彼女を見つけた時から“忠誠”だけではなくなっていた。
ずっと胸の奥に押し込んできた。
百年探し続け、ようやく再会できたルナフィエラに、己の想いをぶつけることなど、決して許されないと思っていた。
けれど、もしこのまま何も言えず、何もできずにいれば──
(このままでは……また、失ってしまう)
無意識に拳が震えた。
「……ヴィクトル?」
不意に、ルナフィエラの声が響いた。
ヴィクトルが顔を上げると、彼女がこちらを見ている。
少し眠たげな瞳で、それでも確かに、彼を見つめていた。
「……さっきから、難しい顔してた」
「……失礼しました」
ヴィクトルは立ち上がり、ベッドへと歩み寄る。
いつもと変わらぬ落ち着いた仕草で、彼女の毛布をそっと整えた。
「……お体の調子は、いかがですか?」
「うん。すごく軽いの。血をもらったあとって、こんな感じなんだね」
ルナフィエラが微笑む。
その顔を見ただけで、胸が締めつけられるほど嬉しいはずなのに――
(……それだけでは、もう足りないと、思ってしまう)
その想いが、自分のものとは思えないほど、苦しかった。
「……ヴィクトルも、早く横になって」
ぽんぽんとベッドの端を叩くルナフィエラに、彼はわずかに戸惑いを見せた。
だが、添い寝は今に始まった習慣ではない。
いまさら躊躇する理由は、どこにもないはずだった。
ゆっくりとベッドに腰を下ろし、彼女の隣に身を沈める。
毛布がふたりを包み込むと、ルナフィエラは自然と寄り添ってきた。
彼の腕にそっと頭を預け、小さく囁く。
「ねえ……ヴィクトルは、キスしないの?」
その言葉に、ヴィクトルの呼吸が一瞬止まった。
ルナフィエラの問いは、どこまでも無垢で、悪意の欠片もない。
だからこそ、答えるのが恐ろしかった。
「……私は、貴女に仕える者です」
それが彼の答えだった。けれど――
「ふふ。2人も似たようなことを言いながらもしてくるのに」
ルナフィエラが、くすりと笑う。
(……貴女は、どこまで残酷なのか)
愛しいと思ってしまう。触れたいと思ってしまう。
でも、それを叶えたら、踏み越えてはいけない境界が崩れてしまう。
それでも──
「ルナ様」
ヴィクトルはそっと、彼女の頬に触れた。
ルナフィエラが顔を上げ、視線が重なる。
その瞳に、怯えはなかった。
ただ、静かな好奇心と、深い信頼だけがあった。
「……一度だけ、お許しいただけますか」
囁くようにそう問うと、ルナフィエラは、そっと目を閉じた。
それだけで、十分だった。
ヴィクトルは迷うことなく、ルナフィエラの額に唇を落とした。
やさしく、穏やかに。
けれどその一瞬に、百年分の想いを込めて。
ルナフィエラが静かに身を寄せてくる。
「……ヴィクトル、あったかい」
「貴女のために、在りたいのです」
その夜、ヴィクトルはただ彼女を抱きしめ、決して離さずに、朝を待った。
(たとえ、想いが報われぬとしても――)
せめて今だけは、この腕の中に。
そう願いながら。
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