純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第六章:流れる鼓動、重なる願い

第92話・選ばなくても、いいの?

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崩れ落ちるように座り込んだルナフィエラに、
最初に手を差し伸べたのは、ユリウスだった。

「……立てる?」

差し出された手には、迷いがなかった。
けれどその掌は、どこまでも優しく、温かかった。

引き上げられるようにして立ち上がった彼女を、ユリウスはそっと近くの椅子に座らせてくれた。

フィンも、シグも、すぐそばにいてくれた。
みんな、彼女の気持ちを否定せず、静かに寄り添ってくれていた。

(……優しい)

心から、そう思った。
けれど──それでも、気持ちは晴れなかった。
胸の奥に、小さな“ひっかかり”が残っていたから。

──ヴィクトル。

ふと顔を上げ、探すように視線を巡らせる。
彼は少し離れた場所に立ったまま、こちらを見ていた。

誰よりも真っ直ぐに、真剣に。
けれど、口元は固く結ばれ、
何ひとつ──何ひとつ、言葉をかけてはくれなかった。

それが、ルナフィエラの心をじわりと締めつける。

(……どうして)

ルナフィエラは知っている。
今までのヴィクトルなら、真っ先に駆け寄ってくれていたはずだった。

ひとりで悩んだときも、
眠れない夜も、
満月の熱にうなされた夜も、
ほんの小さな不調の兆しすら、誰よりも早く気づいて、声をかけてくれた。

それが──今日はなかった。

(……わたしが勝手に、崩れたから?)

そうかもしれない。
でも、それでも──
ヴィクトルだけは、自分のどんな姿も受け止めてくれる。
そんなふうに、どこかで“信じていた”。
──いや、甘えていた。

その“いつも通り”がなかったことが、たまらなく寂しかった。
言葉なんて、なくてもよかった。
ただ、近くにいてほしかった。

ルナフィエラは、自分が求めていたのが「支え」でも「言葉」でもなく、
“いつものヴィクトル”だったことに、ふと気づく。

それがなかったことが、胸の奥に妙なひっかかりを残した。

(………私、なにかしちゃったのかな…)

不安と自己嫌悪がゆっくりと忍び寄ってくる。
他の3人の温もりに触れた直後だからこそ、
その“沈黙”は余計に、心に響いた。


「……ルナ」

最初に声をかけたのは、ユリウスだった。
彼女の隣に腰を下ろし、やわらかな瞳でそっと見つめる。

「君の涙は、誰かを選ばなかったからじゃない。
“誰かを選ばなきゃいけない”って、思い込んで苦しくなってしまったから……だと思うんだ」

ルナフィエラは伏せていた視線を、そっと彼に向ける。

「僕は、君がまだ決められないなら、それでもいいと思うよ。
迷うほど大切に想ってくれてるって、伝わってきたから。
それだけで、十分だ」

彼の言葉はいつも通り穏やかで、けれど確かな温度を帯びていた。

「僕は、待てるから。どれだけ時間がかかっても、ルナの隣にいさせて」

ユリウスの微笑みは、ただの優しさではない。
「選ばれなくてもいい」という覚悟を帯びた、本物の誠実だった。


「……ルナ」

低く短く名前を呼ばれて、ルナフィエラが振り向いた先には、シグがいた。

壁にもたれ、腕を組んだまま、こちらをじっと見ている。

「……別に、お前が選ばなくても。俺は気にしねぇ」

ぶっきらぼうなその言葉に、ルナフィエラは少し目を見開いた。

「俺は、ルナが泣いてたら止めに行くし……困ってたら、助ける……」

言い淀むように視線を外したシグだったが、すぐにルナに向き直る。

「それだけでいい。……それ以上は、いらねぇ」

それは、まっすぐすぎるほどの本音だった。

「俺は、勝手にそばにい続ける。それが、俺のやり方だ」

飾らない言葉。
けれど、そこに一切の迷いはなかった。


「ルナ……」

最後に声をかけたのは、フィンだった。
彼女の正面にしゃがみ込み、膝に触れるように手を置く。

「僕ね、選ぶって、簡単じゃないってわかってる。
……だって、みんな優しくて、大切な人たちだから」

フィンはそっとルナフィエラの手を取ると、ほんの少しだけ指を絡めた。

「だからね。選べないって思ってるルナも、大好きだよ。
無理に選ばなくたっていい。今のまま、みんなで一緒にいても……それでも、僕は嬉しい」

笑顔の裏に宿る、揺るがぬ覚悟。
それは、彼女のどんな選択も、どんな未来も、
受け止める覚悟を映していた。

「僕は……ずっと、そばにいるから」


ユリウスも、シグも、フィンも。
誰ひとりとして、答えを急かすことはなかった。
ただ「選ばなくてもいい」と、今のルナフィエラを丸ごと受け入れてくれた。

その優しさが、胸に痛いほど沁みていく。

(……選ばなくても……いいの……?)

ぽつりと、心の底から零れ落ちる言葉。
初めて向けられた“許し”のような言葉に、ルナフィエラは胸をぎゅっと掴まれるような感覚に襲われた。

(……私、ずっと……選ばなきゃいけないって、思い込んでた……)

涙が再び滲みそうになるのをこらえながら、ルナフィエラはそっと小さくうなずいた。
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