純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第六章:流れる鼓動、重なる願い

第96話・すれ違いの果てに

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ユリウスはわずかに眉をひそめながら、静かに口を開いた。

「……ヴィクトル。君がルナの幸せを第一に考えてることは、誰だって分かってる」

それは事実だ、と頷くようにシグも続けた。

「でも、今のままじゃ……ルナの“幸せ”からお前が一番遠ざかってる」

ヴィクトルは顔を伏せたまま、言葉を返さない。
その沈黙に、ユリウスは一歩だけ近づいて言葉を重ねる。

「もし君がこのまま、あの子の心を閉ざさせるなら──俺たちは、君を許さない」

低く、そしてはっきりと告げられたその言葉に、ヴィクトルの眉が僅かに動く。

「お前が苦しんでることも、悩んでることも分かる。
でもな、だからと言って、ルナの“味方”であることまで放棄するな」

それだけ言うと、ユリウスは踵を返し、シグも無言でそれに続く。
二人の足音が遠ざかり、やがて書庫の扉が静かに閉じられた。

残されたヴィクトルは、その場に立ち尽くしたまま、動けずにいた。

静寂の中、彼はそっと右手を胸元に置く。
心臓の鼓動が、わずかに速い。

(俺は……)

何を恐れていたのだろうか。

主従の壁か。
自分の想いを伝えることの重さか。
彼女が他の誰かを選ぶ未来を、受け入れる覚悟を保つためか──

いや、きっと。

(……ただ、自分が傷つくのが怖かっただけだ)

他の誰かと笑っていても、それでも幸せなら構わない。
彼女が彼女らしく生きてくれれば、それでいい──

そう思っていた。そう信じていた。
だが今、ルナフィエラは「嫌われたのかもしれない」と心が傷ついている。

それが、自分のせいだったと──
誰よりも信じていたルナフィエラの笑顔を、誰よりも深く傷つけたのが、自分だったと──

「……俺は……いったい、何をしていた……」

壁に手をつき、深く目を閉じる。
彼女の幸せのためにと、距離を取ったはずだった。
けれどその距離は、彼女の心を切り裂く刃となっていた。

目を逸らしたのは自分だ。
手を伸ばさなかったのも、自分だ。
ヴィクトルは深く息を吐いた。

言い訳は、もういい。
逃げ場も、もうない。

彼女のために、と言いながら──
自分は彼女の苦しみに目を背けていた。

その事実が、胸の奥で疼く痛みが、確かにそこにあった。



——その夜。
部屋には、いつものように柔らかな月の光が差し込んでいた。

添い寝当番で訪れたヴィクトルだったが、ベッドの傍に座る彼女の姿を目にした瞬間、かけるはずだった言葉が喉に詰まり、消えていった。

ルナフィエラはベッドには入らず、ソファに座ったまま膝を抱えている。
肩にかかる長い髪が顔の半分を隠し、俯いたまま、その表情はうかがえない。
ただ、沈黙だけが、二人の間に重く降り積もっていた。

(……やはり、私のせいだ)

胸の奥で、誰にも届かぬ自責の声が静かに鳴る。

昼間、ユリウスとシグから投げかけられた言葉が、頭を離れなかった。
「お前の態度が、あの子を傷つけている」──まさしく、その通りだった。

静かに、ゆっくりとヴィクトルはルナフィエラの前まで歩み寄る。
そして、迷いなくその足元で膝をついた。

「……ルナ様」

静かな声が、夜の空気に溶けていく。
その呼びかけに、ルナフィエラの肩がぴくりと震えた。
けれど、顔を上げることはなかった。

(怖いのだろう、私の顔を見るのが)

そう思いながら、ヴィクトルはゆっくりと、彼女の頬にかかる髪を指先で払う。

すると──

下から覗き込んだその顔は、
今にも泣き出しそうな、壊れそうなほど繊細な表情だった。

唇はきゅっと結ばれ、目尻はわずかに赤い。
それでも、涙を見せまいと必死に堪えている。

「……っ……」

ヴィクトルの胸がきしむように痛んだ。
これほどに愛おしく、大切に思う存在が、自分のせいでこんな顔をしている。

(……もう、耐えられない)

次の瞬間、ヴィクトルはゆっくりと立ち上がり、ルナフィエラの隣に座り直すと、迷いなくその肩を引き寄せた。

「ヴィ、クトル……?」

驚いたように小さく名前を呼ぶルナフィエラの声が、微かに震えていた。
それでも彼は何も言わず、ただその華奢な体を、自分の腕の中にしっかりと抱きしめる。

彼女の背中に、自分の鼓動が伝わるほどの距離。
拒絶も、抵抗もなかった。
ただ、ルナフィエラはされるがまま、ヴィクトルの胸に顔を埋めていた。

「……私は、貴女を……傷つけてしまいました」

かすれるように、けれど確かな声で。
ふだんの冷静さを忘れたその声音は、どこまでも静かで、そして脆かった。

「守りたかった……支えたかったはずなのに……」

抱きしめる腕に、震えるほどの想いがこもる。
けれどそれは、彼女を壊さぬよう、どこまでも優しい。

「それすら果たせなかった……本当に、申し訳ありません」

「……ううん……ちがうの……私……私の方が……」

ルナフィエラの声も、また震えていた。

信じたかった。
でも、彼の沈黙と距離が、どうしようもなく不安で怖かった。

──ようやく、ふたりの想いが、すれ違いを越えて触れ合う。

月の光に照らされた寝室の静寂の中。
ただ、抱きしめ合うだけの、
優しくて、痛いほどのひとときが、そこにあった──
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