病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第35話・気づけば、手が伸びていた

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9月初旬のある日。
バラバラと窓を叩くような雨音が、次第に強さを増していく。

「……雷、来そう」

ソファに座っていた琴葉は、カーテンの隙間から空を見上げて小さく呟いた。
夕方前だというのに照明をつけなければ部屋の中が暗く、まるで夜のような気配が漂っている。

その隣、ダイニングテーブルでノートパソコンを操作していた奏一が、ふと顔を上げた。

「天気が急に変わりましたね。警報も出ています」

「うん。さっきから、すごい音……」

重たく湿った空気が窓の向こうに漂い、遠くで雷鳴が低く響いた。
それに合わせて、思わず琴葉が肩をすくめる。

「先生、今日は手術とか、なかったの?」

奏一は軽く頷く。

「ええ。今日は会議と資料確認だけでしたので、昼過ぎには帰ってこれました。午後はこちらで事務作業をしています」

「ふーん……そうなんだ。なんか、ちょっと珍しいね」

「そうですね。たまたま何も重ならなかったので」

琴葉はどこか安心したように微笑み、そっとマグカップに口をつける。
ほんのり温かいハーブティーの香りが、張りつめた空気をやわらかくほどいていく。

――けれど、窓の外は荒れる一方だった。

空が一瞬、白く光る。
数秒遅れて、ガラガラッと地鳴りのような雷鳴が落ち、室内の空気がわずかに震えた。

「……あっ、今の近いかも」

琴葉が小さく身をすくめる。
奏一は変わらぬ落ち着いた表情でリモコンを取り、空調の設定を操作した。

「湿度が上がっていますので、除湿に切り替えます。肌寒く感じたらすぐ言ってください」

「……うん、ありがとう」

そうして過ごすうち、夜のような暗さに包まれた部屋の中で、時間だけがゆっくりと流れていく。

――そして。

ふいに、部屋の照明がふっと落ちた。

「……え?」

照明も、空調も、すべてが止まる。
家中が闇に沈み、残ったのは外から響く激しい雷雨の音だけ。

「……停電、ですか」

奏一は静かに立ち上がり、スマートフォンを取り出してライトを点ける。

闇に慣れない目が不安を掻き立てる。
輪郭すら掴めない暗さは、音のない森に放り出されたようで、胸の奥を静かにざわつかせた。

「……結構、真っ暗……だね」

平静を装ったつもりの声は、自分でも分かるほど震えていた。

奏一はスマホの明かりを頼りにキッチンへ向かい、戸棚からLEDランタンを取り出す。
スイッチを入れると、柔らかな光が部屋を照らした。

けれど、安心するには足りない。
外では再び雷が轟き、窓ガラスが震える音が響いた。

「……っ」

びくりと肩を跳ねさせた、その瞬間だった。

気づけば、すぐそばを通りかかった奏一の腕を掴んでいた。

「……ごめ、んなさいっ……」

慌てて手を離そうとした、その直後。
さらに近くで雷鳴が落ちたのを感じ、反射的にもう一度、ぎゅっと掴んでしまう。

「大丈夫ですよ」

奏一の声は、いつもと変わらず穏やかで、落ち着いていた。
彼はそのまま、ゆっくりと琴葉の隣に腰を下ろす。

「……雷、苦手なんですか?」

優しく問われた言葉に、琴葉は小さく頷く。

「……うん…暗いのも……」

声はか細く、どこか情けなさを滲ませている。
嫌だな――そう思うのに、怖さの方が勝って、心がざわざわしていた。

そんな琴葉の気持ちを察したように、奏一がそっと言葉を続ける。

「今は雷雲が通過しているだけです。しばらくすれば、落ち着きますよ」

「……うん……」

そのとき、奏一の手がそっと琴葉の頭に触れた。
乱暴でも優しすぎるわけでもない、ちょうどよい温度で、髪をふわりと撫でられる。

「っ……」

張りつめていた糸が、少しずつ解けていく。

どんな言葉よりも、どんな音よりも。
今はこのぬくもりが、いちばん安心できた。

隣にいてくれるだけで、怖さが薄れていく。
気づけば、縮こまっていた肩の力も、少しずつ抜けていた。

「……ありがと」

俯いたまま、小さく呟いた言葉に、奏一は何も言わなかった。
ただ、いつものように穏やかに、そばにいてくれた。
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