病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第36話・名残の灯り

――ドン、と。
またひとつ、雷鳴が落ちた。
けれど、先ほどよりも明らかに遠い。

「……音が、さっきより……小さい」

琴葉が小さく呟くと、奏一が隣で微かに頷いたのがわかった。

「ええ。中心は過ぎたようですね。もうしばらくすれば、落ち着くと思いますよ」

言葉の通り、雷鳴は次第に遠ざかっていく。
先ほどまで部屋を満たしていた、重く圧し掛かるような空気も、気づけば和らいでいた。

――それでも。
奏一の手のぬくもりは、まだ髪に残っている気がする。
落ち着いた声も、冷静な仕草も、いつも通りなのに。
こうして隣にいて、頭を撫でられたのは、初めてだった。

(……こんなふうに、触れられるの、なんか変な感じ……)

ほんの数秒の出来事だったはずなのに、胸の奥がじんわりと熱を帯びたまま、なかなか冷めない。

それでも、外の空気が落ち着くのに呼応するように、心も少しずつ静まっていった。

「……ごめんなさいい。びっくりして、掴んだりして」

「お気になさらず。怖いときに、誰かを頼るのは自然な反応です」

さらりと返されたその言葉に、また胸が少しだけ温かくなる。
責められもしない、咎められもしない。
ただ、当然のことのように受け止めてくれる。

(……ずるいな、先生って)

そんなことを思いながら、琴葉がぼんやりとランタンの灯りを見つめていた、そのとき――

ふっと、天井の照明が灯った。

「……あ」

停電が、終わったのだ。

暗さに慣れていたせいか、急に戻った光が少し眩しい。
その中で、奏一は何事もなかったかのように立ち上がる。

「電気、戻りましたね。ブレーカーの確認に行かなくて済みました」

「……うん」

日常が一気に戻ってきたようで、ほんの少しだけ名残惜しい気持ちになる。
でも、変に思われそうで、それ以上は言葉にできなかった。

奏一はランタンのスイッチを切り、それを手にキッチンへ向かう。
その背中を、琴葉はしばらく黙って見送っていた。

胸の奥でくすぶるような、まだ名前のつかない感情。
あの雷より、むしろこっちの方が、よっぽど厄介だ。

そんなことを思いながら。


——————


「……ねえ、先生。検査って、全部でどれくらいかかるの?」

リビングのソファで参考書を広げながら、琴葉がぼそりと呟いた。
視線は紙面に落ちているが、どこか心ここにあらずといった様子だ。

「初日は採血や心電図などの基本検査です。その後に心エコー、負荷試験……いつもと同じ内容ですよ。1泊2日で終わります」

ダイニングテーブルでパソコンに向かっていた奏一が、淡々と答える。
それが逆に、琴葉の溜息を誘った。

「ふーん……」

それ以上は何も言わず、参考書のページをめくる指が止まった。
小さな沈黙のあと、琴葉がぽつりと漏らす。

「別に、検査が嫌ってわけじゃないけど……なんか、疲れるんだよね、いろいろ」

素直な声だった。
それはわがままというより、今まで何度も繰り返してきた検査入院に対する、正直な吐露だった。

奏一はキーボードから手を離し、静かに視線を向ける。
一瞬考えるように口を結び、やがて小さく息を吐いた。

「……わかりました」

そう言って立ち上がり、無言のまま自室へ向かう。
引き出しから一枚のパンフレットを取り出し、再びリビングへ戻ってきた。

何気なく差し出されたそれに、琴葉はきょとんと目を丸くする。

「これをお見せするのは、検査後の予定だったのですが」

「……え?」

手に取ったパンフレットの表紙には、細い路地の写真と、彩りの良いスイーツや小皿料理が並んでいた。

「これ……食べ歩き?」

琴葉の目がぱっと見開く。

「はい。◯◯エリアの小さなグルメスポットをまとめたものです。
検査結果に問題がなければ、行きたいと言っていた場所に、ご一緒しましょう」

「ほんとに!?」

先ほどまで沈んでいた表情が一気に明るくなった。
パンフレットを撫でるように見つめながら、琴葉は目を輝かせる。

「……前は、暑いし人も多いからって、ダメって言ったのに」

「ええ。ですが、今は少し涼しくなってきましたし、時間帯とルートを選べば人混みも避けられます。
もちろん、体調次第ですが……検討する価値はあるかと」

淡々としながらも、どこか優しい声。
それだけで、琴葉の胸の奥に小さな火が灯ったように感じる。

「……頑張る。ちゃんと検査受ける。文句言わない」

小さく拳を握って宣言するその顔は、どこか誇らしげだった。

それを見て、奏一はわずかに目を細める。

「では、約束ですね。問題がなければ、食べ歩きです」

「うん、約束!」

いつもなら億劫で憂鬱でしかない検査入院が、少しだけ楽しみになった――そんな琴葉だった。
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