病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第4話・新しい世界なんて、どこにもなかった

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その後の高校生活は――文字通り「何も起きない」まま過ぎていった。

大きな発作はなかった。
救急車に乗ることも、心臓が止まることもない。
月に一度の検診で、奏一はいつも同じように言う。

「大きな変化はありません。今の生活を続けてください」

(“今の生活”。つまり、ずっとこのままってことだよね)

体育は最後まで「完全見学」。
マラソン大会にも、球技大会にも参加できなかった。

琴葉は、教室の窓から汗だくで走るクラスメイトを眺め続けた。
そこには熱気も、笑い声もあるのに、自分だけは“外側”にいる。

(走れないからって、人生まで止められてるみたい)

そんな皮肉を胸の奥で押しつぶしても、吐き出す場所はなかった。


ある日の検診終わり、診察室のドアが閉まったあと、廊下で母と奏一が話している声が聞こえてきた。

「……大学のことなんですが」
「ええ、先生のご意見を伺いたくて」

壁一枚向こうから聞こえるその会話は、やっぱり「琴葉のいないところ」で勝手に進んでいく。

「通学時間は最短に。授業のコマも、続けて取りすぎないように。それから、サークル活動は――」
「激しい運動や夜遅くなる活動は控えた方がいいでしょう」

「……そう、ですよね」

(サークルも、最初から“なかったこと”にされるんだ)

母の沈んだ声と、奏一の低く落ち着いた声。

どちらも、琴葉の「やりたいこと」を聞く前に、
「できないこと」のリストを作るのが当たり前になっていた。


気づけば、あっという間に卒業式の日。

冬の名残がまだ空気に残る3月の朝。
体育館に響く校歌と、在校生の送辞。
色とりどりのリボンを胸に付けた同級生たちが、泣いたり笑ったりしている。

(……みんな、ちゃんと“終わり”を迎えてるんだ)

琴葉は、自分の胸のコサージュを指でつまむ。
たしかに3年間を終えたはずなのに、「やり切った」という実感は薄かった。

やりたいことを削って、危ないことを避けて、
大人の言う「安全」の枠から一歩も出られなかった。

(私の高校生活って……なんだったんだろう)

答えは出ないまま、式は淡々と進んでいく。

閉会の言葉が終わり、クラスで最後のホームルームを済ませると、教室は一気に「お別れ会」の空気に変わった。

黒板には「卒業おめでとう!」の文字。
お菓子を配る子、泣きながら写真を撮る子、抱きつき合う子たち。

「白崎さん、このあとクラスの何人かでご飯行かない? 駅前のファミレス予約したんだ」

「プリも撮りに行こうって話でね。来られそう?」

明るい声でかけられた誘いに――
琴葉は、一瞬だけ迷ってから、いつもの言葉を選ぶ。

「……ごめん。今日、病院なの」

「そっか……残念だけど、また今度みんなで会おうよ」

(“また今度”なんて……きっと来ない)

そう思う自分が一番嫌だった。

「うん。ありがとう、また今度」

それでも笑顔だけは、うまく作れるようになっていた。
校門を出ると、いつもの場所に母の車が停まっている。

(最後の日くらい、駅まで友達と歩きたかったな……)

そんなことを思いながらも、何も言わず後部座席に乗り込む。

「卒業おめでとう、琴葉」
「……うん」

母は嬉しそうに微笑む。
その笑顔が、琴葉を縛る「優しさ」の形をしていることも、もう嫌というほど理解していた。


そして4月ー。
桜の花びらが舞う門の前で、真新しいスーツやワンピース姿の新入生たちが写真を撮り合っていた。

「ここが……私が通う大学」

校舎は思ったよりも大きく、キャンパスは開放的だった。
芝生の広場、ガラス張りの図書館。
それだけで「自由」とか「新しい生活」なんて言葉が浮かんでしまいそうな光景。

(……大学に入ったら、何か変わるかもしれないって、少しは期待してたんだけど…)

その期待は――入学式を迎える前に静かに剥がれ落ちていった。

受付を終えたあと、母は当然のように、校内の医務室に寄り、保健師や大学側の担当者と挨拶を交わす。

「心臓の持病がありますので、こちらにカルテのコピーを」
「発作時の対応については、このような手順でお願いしたく――」

壁に貼られた「学生生活のご案内」のポスターを横目に見ながら、琴葉は、自分がまた「特別な取り扱い」をされていくのをぼんやりと見ていた。

(新入生オリエンテーションじゃなくて、“リスク説明会”みたい……)

さらに、その場には奏一の姿もあった。

「本日は大学側との情報共有のため同席しています」

相変わらず淡々とした声。

「発作が起こった場合、こちらの救急搬送ルートを優先してください。
最短でうちの病院に運ばれるよう、事前に手続きを済ませてあります」

「ありがとうございます、遠野先生。大変心強いです」

大学という新しい世界は、思っていたよりずっと早く、「管理されたフィールド」に塗り替えられていった。
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