病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第3話・普通になりたかっただけ

午前の光は、春よりも少し力を増していた。
開いた窓から流れ込む初夏の匂いが、教室の空気をふわりと揺らす。

琴葉は黒板ではなく、校庭に視線を向けていた。

ちょうど体育の授業が始まるところで、別のクラスの生徒たちが冗談を言い合いながら走り出していく。
眩しいほど元気で、楽しそうで――その光景が胸に痛いほど刺さった。

(……いいな)
(私も……ああやって、普通に動けたら)

思うだけで、叶わないと知っているからこそ、余計に苦しい。
望んでいないのに、制限ばかりが増えていく。

夕方、チャイムが鳴ると、教室がざわめきで満たされた。
みんな帰り支度を始め、それぞれの放課後へ散ってゆく。

そんな中、同じ列の女子がふと声をかけてきた。

「ねぇ白崎さん、このあとカフェ行かない?
受験勉強しようってみんなで話してて……どうかなって」

その言い方も、笑顔も、とても優しい。
でも、その優しさが、いまの琴葉には刺さってしまった。

「……ごめん。今日は……ちょっと、体調がね」

口にした瞬間、自分自身に嫌気がさす。

本当は行きたい。
行ってみたい。
みんなの輪に入りたい。

でも、わかっている。

母は絶対にいいと言わない。
奏一も「体調管理を優先してください」と淡々と告げるだろう。
そして、自分は受験勉強がほとんど必要ない。

(……みんなと同じって、難しいんだね)

女子は気遣うように笑った。

「そっか……無理しないでね。また今度、一緒に行こうよ」

「……うん。ありがとう」

その“優しさ”の言葉が、胸を締め付ける。
先延ばしにするだけの“今度”を、誰よりも信じられないのは琴葉自身だ。

カバンを肩にかけて教室を出ると、廊下の向こうから部活の声が響く。

元気で、明るくて、楽しそうで。
そこには一つも「制限」がなかった。

(……どうして、私はいつも“だめ”なんだろう)

誰が悪いわけでもないのに、自分だけが世界から外れていくような孤独感が、胸の奥で静かに積もっていった。


——————

「大学生になったら……一人暮らし、してみたい」

その日、夕飯を食べながら、琴葉は何気ないふうを装って口にした。

本当はずっと胸の奥で温めていた願い。
“普通”の大学生なら当たり前に持てる自由に、ほんの少しだけ触れてみたかった。

母は一瞬だけ固まり、すぐに困ったように笑う。

「琴葉……あなたの気持ちはわかるのよ。でもね、体調のことあるし……やっぱり心配なの」

予想していた答え。
だから琴葉は、素直に引き下がる。

「……うん。そうだよね。大丈夫、わかってる」

落胆はあったけれど、それ以上は言わなかった。
――その場では。

その日以来、琴葉は小さな隙を探すように、会話の中に「一人暮らし」、「自分の部屋」、「大学生活」をときどき混ぜた。

さりげなく、けれど確かに残る“願いの痕跡”を置くように。

けれど、そのたび母は曖昧に笑ってはぐらかした。
最近はどこか、余計に言いづらそうな表情さえ浮かべている。

(……どうして、そんな顔するの?)

不安は、胸の奥にじわじわと広がっていった。

そしてある夜。
その「理由」が唐突に告げられた。

「琴葉……あなたの気持ちも、わかっているわ。
大学生になったら一人暮らしをしたいって……ずっと言ってるものね」

母はいつになく真剣な表情で向き直った。

「でもね……どうしても、心配なの。
あなたが急に苦しくなったら、どうすればいいのかって」

琴葉は唇を噛んだ。
続く母の言葉は――予想の外側にあった。

「だから……遠野先生にも相談したの。
一人暮らしは難しいけど、先生が琴葉の面倒を見てくれるって。
私たちも先生のところなら……安心して預けられるわ」

「…………え?」

一瞬、理解が追いつかなかった。

「先生のところなら、何かあってもすぐ対応できるし……。
大学生になったら、先生と一緒に暮らすのはどう?」

脳が真っ白になる。

(……は? 今、なんて言った?)

「ちょ、ちょっと待って……なにそれ……。
え? なんでそんな話になるの?」

「だって、あなたが一人暮らししたいと言うから……」

「違う!! そうじゃない!!」

声が震えた。

「私が言ったのは……“自分の家”で、一人暮らししたいってこと!
なんで……先生の家に行く話になるの!?」

母は動揺しながらも、「あなたが安全に……」と言いかけた。

「安全? 私の人生……誰のものなの?」

怒りでも泣き声でもない、かすれた声だった。

「そんなの、自由じゃない!
今度は先生に監視されるだけでしょ……地獄だよ、絶対に嫌!」

母は息を呑んだ。
父も廊下から気遣わしげにのぞいている。
その表情が余計に琴葉を追いつめた。

その夜から、琴葉は“一人暮らし”という言葉を完全に封じた。

まるでそれを口にすれば、自由が遠ざかり、“遠野奏一の家”という地獄の扉が開きそうで、怖かったから。
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