シャルルは死んだ

ふじの

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 休日を終えて出勤してきた執事のジェロームは、確か今年六十を超えるかといった年齢だったはずだ。所がその姿はまるで五十代前半、下手をすれば四十代にすら見える。私は驚いて彼に問いかけた。

「ジェローム。どうしたんだ?見違える程若々しい」
「殿下!お気付き頂けましたか。実はこの休みに、街切っての評判の理髪店に行って髪染めをしたのです。そうしたら見ての通り、私の真っ白に近かった髪が美しく若々しい茶色へと蘇りまして」
「成程。髪色だけでそんなに印象が変わるのだな」
「妻も驚いていましたよ。この街に滞在中には絶対に私も行きたいと息巻いておりました」

 上機嫌で語る長年の付き合いの執事に、私の方も嬉しくなった。彼は私が幼い頃から仕えてくれている、言わば第二の父の様な存在なのだ。ここ数年は私に合わせて住居を転々とさせてしまっており、心労も絶えないだろう。こうしてのびのびとしてくれていると、私の方も有難い。
 立ち上がり、上機嫌なジェロームに近寄る。まじまじと見た髪は、ただ染まっているだけではなくつやつやと輝いていた。

「それにしても見事だな。髪質まで良くなったようだ」
「そうなのです!なんでも店主曰く、天然由来の油などを配合しているとか。だからつやもあり香りもいいのでしょうね。椿油なんかではないでしょうか」
「椿油……」
「店主も見目麗しい謙虚な方で、しかもこの腕でしょう。評判なのも頷けますよ」

 確かに、ほのかにだが椿油の香りがする。その瞬間、私は脳裏に苦い思い出が蘇った。
 忘れられない、人生で一番の後悔の記憶である。そしてここ数年国内の各地を転々としている理由でもあった。


───


 その日は、妹の生誕祝いの晩餐会が開かれていた。妹は先日社交界デビューしたばかりという事もあり、私にも縁談の取次の話が腐る程舞い込み、辟易としていた。
 にこやかに対応をするものの、疲れた私は旧友であるジョエル男爵と連れ立って会場を後にした。
 王族しか利用できないサロンまで連れてきて、葉巻をふかす。昔は葉巻の良さ等分かりもしなかったが、ここ最近は暇さえあれば吸っている様な気がする。第二王子の身分である自身の婚約披露の方も迫る中、忙しくて疲れているからだろう。
 やる事が多すぎるのだ。普段の自身の職務の他、お披露目の晩餐会に呼ぶ客のリスト化、服の採寸に手配、装飾の打ち合わせ。もちろん手を抜けばもう少し楽だと思う。しかし私の婚約者はそういった事に煩い人物だった。全てを任せても良いが、若いフィアンセに任せっきりでは不安も尽きない。色々と介入せざるを得ないので、結果としてとても忙しい日々を送っていた。

 ここなら今日は誰も来ないはずだ。そう思い、私は肩の力を抜いて友人と談笑しながら葉巻をふかした。

「ファビアンも可哀想だよなあ、あんなわがままなお姫様の相手しなくちゃいけなくて」

 苦々しい表情で語り出した友人に、私は苦笑した。昔から彼、ジョエルは私の婚約者の事が好きではない。と言うか、好いている人間の方が少ないだろう。
 私の婚約者シャルルは、この国でも評判の美貌を持つ公爵家の名家の子息である。しかしその尊大な振る舞いや言動で敵も多い。彼自身の後ろ盾が大きい事もあり騒動にはならないが、昔から気に食わない人物をやり込めたり無駄な装飾品に金をかける事でも有名だった。つまりは、悪名高き子息なのである。
 散々私の婚約者をこき下ろしたジョエルだが、私もまあ彼に対しては思うところもある。肩の力が抜けている事もあって、軽々しく口を開いた。

「ラングロワ家の方が名を馳せているから仕方あるまい。セルヴェ家のエミールの方が、慎ましやかで私には合っている」
「あのわがままお姫様さえ居なきゃ、エミールの可能性もあったのにな」
「そうだな」

 セルヴェ家のエミールとは、シャルルとは対称的な地味な男だった。何度か晩餐会等で話をしているうちに、慎ましやかな振る舞いや話し方が好感を持てた。この様な人物が私の相手だったら、私も楽だろう。
 しかしセルヴェ家も名家ではあるものの、国内随一であるラングロワ家には及ばない。シャルルが居る限り、エミールが第二王子である私の婚約者に回ってくる事は無い。
 私はもう一度葉巻の煙を吸い込むと、深く息を吐き出した。

「しかし、今ではシャルルが婚約者で良かったと私は思っているよ」
「何故!?あんなのいい所も何も無いだろう」
「あれは欲望に忠実だが、その分表裏が無く素直だ。そして好いた私に対しては殊更従順で、会う度に満面の笑みを浮かべて私への好意を隠そうともしない。本当の顔を隠す貴族社会では、稀有な存在だ」
「まあ、確かに……」
「例え慎ましやかな人間と婚約したとしても、王家に名を連ねるとなった途端に浪費家に変貌する者もいる。であれば、結婚してから素直なシャルルに浪費を抑えるように教育した方が、上手くいくだろう」
「……」
「それに少なからず、今の私はあの子の事を好いているんだよ」

 それは強がりでも、嘘でもなかった。
 最初はラングロワ家のシャルルと婚約だと父から聞かされた時は、予想通りではあるものの絶望したものだ。あんな悪名高き人物を娶るだなんて、私の人生の汚点でしかない。そう思った。
 しかし会ってみれば、シャルルはどうやら私に一目惚れでもしたらしく、私への好意を隠さなかった。婚約者の義務だからと会いに行けば、毎回顔を真っ赤にして喜んでいるのが可愛い。緊張しているのか矢継ぎ早に私に色々と話しかけてくるが、懐いた仔犬でも見ている気分になってしまい、愛らしいとすら思えた。
 彼の浪費癖はそのうち直してもらわないといけないと思ってはいるのに、ついつい喜ぶ顔が見たくて贈り物を贈ってしまう事もある。先日も髪の手入れを欠かさない彼のために、街まで行って評判の椿の油を買ってきてしまった程だ。シャルルを猫可愛がりしているラングロワ家の人間達の気持ちが分かるというものだ。
 こうして最初こそ印象は最悪だったものの、そのうちに彼を憎からず思うようになった。今の浪費癖や平民を蔑む言動は、結婚したら私がきちんと教えて正してやれば良い。私はそう考えていた。

 その支配的な思想こそ傲慢だったと気が付くのは、それから半年後の事である。


 婚約披露のパレードや晩餐会の日取りもようやく決まり、今まで以上に忙しい日々が始まった。今まで身なりや装飾にばかりかまけていた婚約者のシャルルは、何故だか経営学や料理等も習い始めた。
 それどころか、ここ最近のシャルルの様子はおかしかった。天真爛漫さは一見変わりが無い様に思えたが、ふとした時に無表情で宙を見詰めている事がある。何か思い悩んでいるのかと声を掛けても、首を横に振るだけだった。

 少し心配ではあったものの、彼も漸く王家に名を連ねるという事の自覚を持ったのかもしれない。私はそう考えていた。婚約披露の日取りが決まったからこそ今は少し緊張しているだけだろう。何より、様々な学問や市井にも興味を持った様子なのは、好ましい。こうして私の隣に立ち、良き伴侶として民からも愛される人物になってもらえればこの上ない。


 ある日の夜、自室にシャルルがやって来た。こんな夜更けに一人でやってくるなんて初めての事で心配したが、話を聞けばどうやら婚約披露に対する不安があるとの事だ。婚姻を控えた者はよく聞く話なので、私は安心させるように微笑んで見せた。
 私が微笑めば、いつもシャルルは嬉しそうに微笑み返してくれる。しかしこの日は違った。益々悲痛な面持ちになり、涙を零したのだ。あまりにも様子の違う彼に声を掛けようとした所、彼は身を乗り出して私の唇に小さな口付けをした。驚いて何も言えない私に、シャルルが無理矢理笑って見せる。

「ファビアン殿下……愛しています。一目会った時から」

 彼から直接的に愛の言葉を貰ったのは、これが初めてだった。嬉しさと共に、何故か胸騒ぎがしてどうしようも無い。引き止める間もなく、シャルルは部屋から去っていった。
 後を追いかけたい気持ちだったが、もう夜も遅い。未婚の二人がこれ以上出歩くのは良くないだろう。明日になったら、もう一度きちんとシャルルに会いに行こう。そう考えて私は妙な胸騒ぎを抑え、眠りについた。

 明くる日、早朝から宮廷内が騒がしい事に気が付いた。まるでこれから戦争でも起こるかというくらいにバタバタと人が廊下をかけて行く足音すら聞こえる。
 どうしたのかと不機嫌になりながら起き上がれば、執事のジェロームが真剣な顔で私に近付いて来た。

「ファビアン殿下。おはようございます」
「おはよう。どうしたんだ、外が騒がしい」
「……殿下、シャルル様からお手紙が届いております」
「シャルルから?」
「はい。既に皆一丸となって動いておりますので、どうかお気を確かにお読み下さい」
「……」

 嫌な予感がした。私は綺麗に封をされたままのその手紙を開けて、読み始める。


『ファビアン殿下へ
 愛する殿下。これを読んで頂く頃には、僕はもうこの街には居ないでしょう。
 これは僕が独断で行った事です。我が家の人間は一切関与しておりませんので、どうか我が家の事はお許し下さい。
 僕は第四王女殿下のご生誕晩餐会の日、ファビアン殿下の本当の気持ちを知りました。馬鹿だった僕は、貴方から好かれていると信じて疑っていなかったのです。しかしそれがどれだけ傲慢な事だったのか、あの日身をもって知りました。
 ファビアン殿下の事を一目見た時から愛しています。だからこそ、僕みたいな最低の人間ではなく、相応しい方と幸せになって欲しいと思いました。
 僕は貴方の幸せを心から願っています。どうか、僕は死んだものと思って下さい。さようなら
シャルル』


 聞かれていた。あの日のくだらない談笑を、シャルルに聞かれていたのだ!
 どこまで聞いていた?私がシャルルを好いているというくだりは、きちんと聞いたんだろうか。彼は怖くなって、途中までしか聞いていないんじゃないだろうか。
 ……いや、どこまで聞いていたかは問題では無い。私があんな場所で、婚約者をこき下ろす話に加担していたのが悪い。私のせいだ。

 呆然とする私に、執事のジェロームは既に総出でシャルルの捜索に当たっていると伝えた。しかし、ああ、と乾いた返事を返す事しか出来ない。

 シャルルは居なくなった。私のためだと言い、消えてしまった。



 それからずっと探しても、シャルルは見つからなかった。ラングロワ家からは詫びの手紙が、他の家からは婚姻の申し出の手紙が、大量に宮廷に届けられた。中にはあのセルヴェ家のエミールとの縁談の話もあった。私は破いてその手紙を捨てた。
 しかし、最後のシャルルからの手紙だけは捨てる事は出来ない。私は引き出しを開け、その手紙を読む。もう何度も繰り返し読んでいるので、紙に皺がよって変色し始めていた。
 ほぼ覚えてしまった中身の文章を、繰り返し読む。込み上げる後悔と苦しさに押し潰されそうだ。

 馬鹿だったのは、私だ。平気で婚約者を蔑み、自分は選ぶ側の人間だと信じて疑っていなかった。シャルルの良くないところは後から直せばいいだの、そう思い上がって平気であんな所で話をしていたのだ。しかもどうせ彼は私の事が好きなのだから、結婚した後にいくらでも彼を変えられるからと。
 もっと彼に向き合っていたら。
 半年ほど前から彼の様子がおかしくなった時に、きちんと向き合い話し合っていたら、違う結果になっていたのかもしれない。日々の忙しさにかまけていたにしても、それくらいの時間はあったはずだ。
 しかも彼の様子が変わった事をむしろ好ましくさえ感じて、喜んでいたのはどこの誰だ。後悔してもしきれない。あんな細腕で箱入りの子息が、一人で生きていけるのだろうか。もし、場末の地域で身売りでもしていたら。もし、荒野で一人儚くなっていたら……。
 込み上げる気持ちに目が潤む。どれだけ後悔してももう遅い。彼はもう居ない。私のせいで、彼を殺したも同然だ。

 それから、私は国王である父に嘆願し国内の地方の整備の事業に関わらせてもらう事にした。本来であれば第二王子がやる仕事では無いが、地方を転々とすればいつかシャルルに会えるかもしれないとそう思ったからだ。数名の従者と執事のジェロームを連れて、私は各地を転々とした。

 どこかで生きてさえいてくれれば、それでいい。でももし再び会えたら、その時は……。
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