シャルルは死んだ

ふじの

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「……ジル」
「何?」
「あいつ、誰だ?絶対普通の奴じゃないだろ」
「やっぱりそう見えるよね」

 僕は頷いた。友人のアルノーは怪訝そうにその人を見つめていた。
 アルノーの視線の先にいるのは、男性が一人。美しい白銀の髪を優雅にたなびかせるその人は、長すぎる足を組んで散髪台の前に腰掛けていた。大人しい色合いの服装に身を包んでいるが、隠しきれない高貴さが全身から滲み出ている。

 ファビアン殿下はあれから、数日置きに僕の店にやってくるようになった。もちろんお客さんとして。
 最初はよく分からないままに後ろの髪を少し切りそろえたが、その後もまた日を開けずにやってくるものだから、とうとう切るところが無くなってしまった。あんまりにも短い髪型にしたら、殿下の顔立ちの良さが損なわれてしまう。これ以上は切れない。
 仕方なく前回は髪のセットだけした。でもちょっと前髪を流すだけで、絶世の色男が完成してしまうのだ。特にやれる事が無い。どうしようかなあ……と思いながらも、僕は殿下の後ろに立った。

 「ファビアンさん。今日はどうしましょうか?」

 殿下、と呼び素性がバレる事は危険なので、この店では僕は彼をファビアンさんと呼んでいる。

「任せる」
「うーん……いや、もうやれる事が無くて」
「髪染めが有名な店なのだろう?それでもいい」
「え!?駄目でしょう。こんな綺麗な髪を染めるだなんて」
「君だって染めているじゃないか」
「……」

 僕はいいんだ。僕の金髪なんて、探せばそこらじゅうにいるだろう。でもファビアン殿下の白銀の髪色は違う。王家の直系にしか現れない高貴な色だ。この街は地方だから誰も髪色一つでは彼の素性を探れないが、ひとたび王都に戻れば、この髪色の貴人が外を歩いているだけで道端の人々が頭を下げる程だ。
 そんな髪を染めるだなんて?バレたら不敬の罪で投獄されるに違いない。 僕は必死に頭を降った。

「無理です無理です。じゃあ今日は油と保湿剤のケアだけしましょう。サラサラのつやつやになりますから」
「頼んだ」

 仕方なく僕はファビアン殿下の髪に保湿剤を塗り始める。パサパサに傷んでしまった人にしているものなので、正直殿下には全く必要が無い。しかしこれくらいしか本当にやれる事が無いのだ。

 僕は殿下の真意が掴めなかった。
 あの日、殿下と思わぬ所で再会した。身勝手に出ていった僕を罵るのかと思っていたが、殿下はむしろ僕に謝ってくれた。今でも何故謝られたのかピンと来ていない。ファビアン殿下は気分を害した様子は無く、むしろ自身が苦しそうな表情すら見せる事がある。それでも、忙しいだろうに数日置きにはこの店にやって来て、意味もなく髪の手入れをご注文なさるのだった。

 まるで、僕に会いに来ているんじゃないか──。そう考えて、いやそれは有り得ないだろうと思う。
 僕を恨みこそすれ、好意的な感情で会いに来てくれているとは考えにくい。だって、彼はきっと新しい婚約者がいるに違いないのだから。


 地方に住んでいると、王家にまつわる新聞記事等もあまり出回らない。それでも、第一王子殿下の伴侶が二人目を出産された、という記事を見たのは去年の事だ。となると、そろそろ王位継承権第二位以下の方々の結婚が決まる頃だろう。無事ファビアン殿下は、意中の子息と結婚するはずだ。王家の方々の結婚祝いは盛大で、きっと殿下もお忙しくされているに違いない。こんな所に来ている暇はないはずだ。

 そこまで考えて、ほんの少しだけちくりと胸が痛くなった。考えを振り切る様に作業に没頭し、殿下の髪はキラキラと輝く鉱石の様に美しくなった。ますます高貴さが溢れ出て、店にいる他の客も目を奪われているのが感じ取れる。

「はい、出来ましたよ」
「ありがとう。これを」
「あっ!こんなにいらないですってば」

 殿下は僕の手に多すぎる金銭を置くと、毎回そのまま返そうとする僕を無視する。仕方なく受け取れば、殿下は鏡越しに僕の方を見つめて口を開いた。

「ジルは、今何が好きなんだ」
「はい?何とは?」
「好きな食べ物とか、興味があるものとか」
「え?……うーん……好きな食べ物は、パン?ですかね。この街は小麦がたくさん流通してるからか、パン屋がどこのも美味しくて」
「うん」
「あとは、興味があるものは……なんだろう。今は新しい染料とか油とかに興味があります!脱色できる染料も開発したいし、それに合う油とか、香りがいいものも仕入れたいな」
「……なるほどね」

 少し寂しそうに笑うと、殿下は分かった、とだけ言い立ち上がった。帰り際、ちらりとこちらを振り返る。僕と、店の手伝いをしてくれているアルノーの方を一瞬見ると、そのまま何も言わずに殿下は店を後にした。
 アルノーはドアの方を睨み付けながら、僕の元へと歩いてくる。

「なんだアイツ。もしかしてお前が家出した原因か?」
「そうとも言える。でも僕が悪かった話だからね」
「ここまで追いかけてきたのか!」
「違う違う。たまたま仕事で来ていたみたいで、偶然街で会ったんだ」
「……あんまりおかしな事に巻き込まれるなら、俺の家避難してこいよ。客間なら空いてるからな」
「新婚さんのお家、しかも臨月近くの妊婦さんがいるお家に転がり込むのは……ちょっとなあ」

 でもありがとう、と僕はアルノーに微笑んだ。アルノーは幼馴染の女性と一年ほど前に結婚し、子供も授かった。まだ生まれるには早いが、それでもそんな大事な時期に僕が転がり込むのは奥さんに悪いだろう。アルノーの奥さんであるコレットさんは、何度か会った事もあるし仲良くしてもらっている。だとしても僕の個人的な事で迷惑をかける訳にはいかない。そもそも、別に僕は何か問題に巻き込まれている訳でもないのだ。ただ単に、昔の婚約者が度々現れるだけで。


 しばらくして再びやって来たファビアン殿下は、何故だか紙袋に入ったパンを携えてやってきた。

「これは?」
「君が好きだと言っていたので」
「……パン?ありがとうございます」

 パンは好きだ。硬いパンもふわふわのパンも、甘いやつもしょっぱいのも。しかし殿下はそれ以降来る度に何かしらのパンをいくつか持ってくるようになった。そのうち僕が甘いデニッシュ生地のパンが一際好きだということが表情からなのかバレてしまい、毎回それを持ってくるようになった。
 ありがたいし、パンは美味しい。でも益々殿下の意図が全く読めなくて、僕は困惑していた。

 そんなある日のこと。僕の方もすっかり意味もなくやってくる殿下にも慣れてしまい、今日も少しだけ前髪を切りそろえてから店の前まで見送った。殿下は振り返ると、僕の方を真っ直ぐ見つめる。

「レガロの郊外に、木の実から抽出される油を扱う工場があるらしい。かなり保湿成分が高いと噂だ。気になる?」
「木の実ですか!使った事ないなあ、気になる」
「そうか。では次の店休日に迎えに来るから、行こう」
「はい!……え?」

 勢いよく返事をしてしまったが、どういう事だ?唖然とする僕をよそに、殿下は満足気に頷いた。



 そうして店休日、本当に朝から馬車で迎えに来た殿下と共に、郊外まで出かけることになった。
 どうしてこんな事になっているんだ?と未だに理解が追いつかないが、颯爽と迎えに来た殿下にあれよあれよと言う間に馬車に乗せられていた。


「あ!この前のお客さん」
「こんにちは、ジル様。色落ちして少し白髪が目立ってきたので、また貴方の店に伺おうと思っていたところですよ」

 広すぎる馬車の中には、にっこりと上品に笑う高齢の男性がいた。どうやら以前店に来て白髪を染めたお客さんは、ファビアン殿下の家の方だったらしい。気品のある男性だとは思っていたが、なるほど、殿下付きの方なら納得だ。

 そうして馬車を走らせて二時間ほどで、郊外にある農園の中の工場を見学させてもらうことになった。ここは別の国から輸入している植物を栽培している地域で、珍しい大きな木から取れる実を絞って油を抽出しているとの事だ。
 試しに油を手に取れば、驚く程甘い香りと濃厚な肌触りだ。これはいいかもしれない。髪の傷みが酷い人にも使えるし、この香りが好きそうなご婦人にもウケそうだ。僕は早速いくつか注文をして、もし使い心地が良ければ大口で頼みたいと約束を取り付けた。

 上機嫌な僕は、連れて来てくれた殿下にお礼を述べた。

「殿下!ありがとうございます、こんな所僕は知りませんでした」
「構わないよ。まだ日が高いから、食事でもして帰ろうか」
「はい!」

 にこにこと笑う僕に、ファビアン殿下は微笑んだ。僕の胸が、どきりと音を立てる。殿下の笑顔なんて、久しぶりに見たかもしれない。しかも僕だって、彼に向かってこんなに笑ったのも久しぶりだ。
 何だかもやもやとした気持ちになりながらも、僕は殿下のエスコートでレストランへと足を踏み入れた。

 結果として、楽しい食事の時間だった。僕達が婚約していた時は、毎週欠かさずこうしてテーブルを囲んでお茶をしていた。しかしあの時は僕ばっかりが殿下に話しかけて、殿下はただ微笑んで聞いてくださるだけの時間だったと思う。
 ところがこうして時が経ち、僕も大人になった。改めて二人で会話をすれば、穏やかで知的な返しをして下さる殿下との会話は楽しい事この上なかった。気が付けば緊張も解けて、和やかに食事をする程だった。


 こうして、ファビアン殿下は時折僕を誘い、店休日に出かけることが多くなった。新しい油のみならず、染料や保湿剤、他にも散髪の道具の調達まで、色々と殿下が斡旋して付き添って下さる。おかげですっかり僕の店では様々な珍しい散髪メニューが増えて、客入りが益々良くなった。
 そして必ずと言っていい程、その後に一緒に食事を摂る事も多い。殿下は流石といった感じで、様々な美味しい店に連れて行ってくれる。今日も帰りがてら、街の中心地にある王都がある地方の料理を出す店に連れて来てもらった。価格はそんなに高くないものの、味はまさに故郷を思わせる料理が並ぶ。テラス席に座った僕達だが、僕は久しぶりの郷土料理に嬉しくなっていつもより上機嫌だった。

「懐かしい味がする。僕の母は由緒正しい貴族の娘だったんですけど、唯一作れる料理がこの鴨肉のスープで。小さい頃よくねだって作って貰ってたなあ」
「それは良かった。鴨肉はあまり流通しないからね。この辺りで食べられる店は少ない」
「たしかに、傷みやすいですから。こっちのも美味しい!殿下も早く食べてください」
「うん」

 にっこりと笑って殿下は肉を口に運んだ。
 こうして共に過ごす日々がやたらと多くなり、僕はすっかり殿下に打ち解けていた。まるで昔に戻ったかのようだが、それは違う。二人の空間は昔よりももっと和やかで、居心地がいい。
 だからこそ、僕は殿下の真意が読めない。殿下は何故こんなにも僕に良くしてくださるのか。何を考えて、何のためにこんな事をしているのか、皆目見当もつかないのだった。

 それでも、この暖かくて幸せな時間が僕は好きだった。でも、この人はいずれ王都に帰る人だ。分かっているからこそ、僕は深入りしたくない。
 食事の合間に、僕は何気なく殿下に問いかける。

「そう言えば殿下、いつまでこちらにいらっしゃるんですか?」
「……あと一、二ヶ月だ」
「そうなんですね」

 思ったより、随分近い日付けだ。そうか……もう来月には殿下はここには居ないのかもしれないのか。そう思うと、僕の心臓が勝手にぎゅっと掴まれた様な気持ちになった。
 嫌だなあ。考えたく無い。
 僕は無意識に胸元を手で触った。最近、僕は引き出しにしまいっぱなしだった殿下との婚約指輪を、チェーンを通して首から下げているのだ。もちろん服の下に付けているので、誰からも見られる事は無い。

 自分と向き合う事は苦手だ。昔の自分があんな男だったせいで、今でも自分に自信が無い。ファビアン殿下が何のつもりで僕と接してくれているのかも分からない今、余計に腹の底がもやもやとして苦しくなった。

 そんな自分を無視して、僕はにこやかに食事を再開した。
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