シャルルは死んだ

ふじの

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「こんにちは」
「いらっしゃいませ!ご用件は?」
「こちらの店は、髪染めで評判だと聞きまして。私のような白髪でも染まるでしょうか?」
「うーん、ちょっと見せてもらっていいですか」

 初老の男性のお客さんが一人やって来た。僕は散髪台に彼を座らせて、髪をひと房持ち上げる。髪染めは元来痛むものだという事もあって、若い人がやるのが主流だ。白髪は僕も染めた事がない。金髪なら綺麗に染まるが、真っ白となるとどうだろうか……。
 僕は鏡越しにお客さんに微笑む。

「やった事はないんですけど、挑戦してもいいですか?少し強めに染料を入れるので、もしかしたら少しキシキシしちゃうかもだけど……」
「構いませんよ。お願いします」

 初老の男性は微笑んだ。僕は彼の首にケープを巻くと、染料の調合を始めた。
 あまりに黒さが強くても、年齢的におかしいだろう。自然な明るさの色で、且つ白髪と白髪じゃない部分の境目を無くしたい。うーんと唸りながら染料を調合し、僕はお客さんの髪に染料を塗り始めた。

 お客さんの初老の男性は仕立ての良い服を着ていた。僕は元々貴族で、しかもとりわけ服装には煩い男だったのでよく分かる。男性の服装は一切華美ではなく地味だが、しかしその辺の平民では手が出ないであろう生地の服を着ている。仕立ても良く体型に合っていて、注文して作らせた品なのも分かる。
 つまりは、この人は貴族ではないだろうが、それに近しい人物かもしれない。たとえば貴族の教育係とか、執事長とか。重宝された馬車の運転手なんかの可能性もあるな、と僕は睨んだ。

 仕事柄、僕は人の観察が癖になっている。僕の店に来てくれる人にはまた来てもらいたいので、なるべくお客さんの特徴を覚えている様にしているのだ。前にも来てくれましたよね?前回の紫のスカーフも素敵でしたけど、今日の赤色のも素敵ですよ。なんて会話をすれば、たちまちお客さんは喜んだ。技術でも評判な僕の店だが、接客でも評判が良い。僕自身が目利きができて服装や髪型を覚えるのが得意である事以上に、せっかく僕の店に態々来て貰える人も増えたので、良い気分になって欲しいという気持ちだった。

 染料を塗り終えて、少し置いた後に洗い流し、乾かす。するとどうだろう。少し白髪の部分の面影も残ってしまったが、概ね均一に自然な黒茶色に染まっていた。

「いかがです?よく見たらちょっと白髪の部分も残ってるけど……」
「いえいえ、これは本当に素晴らしい!十歳は若く見えるじゃないですか」
「確かに相当お若く見えますね」
「感動しました。白髪に悩む仲間にも店の事を伝えておきます」
「ありがとうございます!でも退色も早いかもしれないから、しばらく様子を見て下さいね。それでもいい感じだったらぜひ広めて下さい!」
「素直で謙虚な方だ。ありがとう」

 男性は何度も鏡の中の自分を見詰めて、嬉しそうに微笑む。

「何だか、良い香りもしますね。髪染めの染料は嫌な匂いがするものだとばかり思っていましたけど」
「ああ!そうなんですよ。天然由来の花の油を使ってまして。艶も出るし髪も保護出来るし、匂いも良いんですよね」
「成程」

 男性は満足気に頷くと、多すぎる代金を無理矢理置いて、にこやかに帰って行った。
 白髪染めもありかもしれない。もっと染料の濃さなんかを調整して、より均一に染まる方法を編み出してみたいなあ。僕はその日から白髪染めにも挑戦する日々を送った。

 そうして閉店後にも練習に練習を重ねていると、染料や油、保湿剤が枯渇してきた。良くある事だ。僕は仕入れのために、店休日に街へ繰り出す事にした。


 街は相変わらず人でごった返している。この街レガロは海沿いの貿易が盛んな土地で、王都からは相当離れているものの、貿易の要所となっているため人口も多い。地方から商売のため移り住む人も多く、僕もそれに紛れて移り住んで来たクチだ。
 国中の物がなんでも手に入るのも良い。僕の染料に必要不可欠な油や保湿剤は、地方だと手に入らないだろうから。

 いつもの店で染料の原液を買い込み、今度は油を買いに違う店へと歩みを進めた。
 僕がいつも油を仕入れている店は、女性向けの香油を扱う店だ。肌や髪に使える様々な油を売っている高級店のため、客層は地方貴族のマダムばかりだと思う。しかし僕は大量購入を条件に、破格の値段で売ってもらっているのだ。
 いつもの店の前に来て、ショーケースを眺める。いつもの花の他に、新しい花の油も入荷しているとの見出しを見つけた。香りが良ければ買ってみようか。香りが普通でも、染料との相性が良ければ使えるかもしれない。少し買おう。そう思いながらじっと眺めていた。

 ふと、同じショーケースを見つめる人が横に立っていることに気が付いた。大きな男の気配だ。こんな女性向けの店の前に、僕以外の男が立っているなんて珍しいな。そう思って僕は何気無く横を向いた。



 心臓が口から飛び出るかと思った。
 有り得ない。
 頭が混乱した。知っている。この男性を知っているからだ。

 ファビアン殿下。僕が間違うはずが無い。
 どうしてここに?王都からは遠く離れた場所に、何故第二王子の彼がいるのか。まるで理解が追い付かない。
 最後に会った時よりも、ずっと大人びた顔をしているのが横顔でも分かる。美しい顔立ちはそのままに、精悍さが加わって近寄り難い美貌だ。

 逃げなければ。とにかく、ここを去らないといけない。そう思って後ずさりした時、ショーケースを見つめていた瞳がこちらに向いた。
 視線が合う。そしてたちまち、殿下の目が見開かれていった。
 まずい。そう思い駆け出そうとしたが、殿下は大股で距離を一瞬で詰めて、僕の腕を痛い程掴んだ。


「シャルル」
「……」
「シャルルだな?」
「ひ、人違いでは?僕はジルといいますが……」
「今はジルと言うのか」

 僕をシャルルだと信じて疑わない強い視線で、殿下は僕を射抜いた。
 もしかして僕は、恨まれているんだろうか。殿下のためを思って僕は貴族社会から退いたが、いきなり消えた事は間違いない。お披露目の準備も相当進んでしまっていたし、迷惑をかけたから恨まれているに違いない。
 とにかく、謝らないといけない。僕は震えそうな唇を抑えて、口を開いた。

「あの、とりあえず……うちの店来ます?」


───


「……」
「……」

 何故僕の店にファビアン殿下が居るんだろう。不釣り合いにも程がある。

 あれから殿下の馬車に乗せられ、僕の店に二人でやって来た。車内は終始重たい空気のまま無言で、店に着いてもそれは変わらなかった。とりあえずお茶を出して、殿下を待合スペースの椅子に座らせた。僕も少し離れた所に座る。
 空気が重すぎて、口が開かない。とりあえず謝らないとと思って連れてきたは言いものの、いざとなると何て切り出すのが正解なのか不明だ。僕はシャルルではありませんよの方向性は、どうやら効かない様子だし。なら開き直って謝る他ないのは分かっているが……。
 僕が何を言ったらいいのか分からず口をぱくぱくしていると、殿下は僕の方を見ずに前を向いたまま、話し始めた。

「元気だったか」
「え?あ、はい。元気です。この通り」
「なら良かった」
「……えっと、殿下は……どうしてここに?」
「視察だ。ここ数年は地方を転々と回っている」
「そうなんですねえ……」

 話が途切れてしまった。昔の僕なら、殿下に矢継ぎ早に色んな事を話しかけたものだ。しかし今の僕はジルであり、シャルルではない。あんな風に天真爛漫で人の迷惑を顧みない振る舞いは、出来そうになかった。
 兎にも角にも、僕は謝ろうと思って店に連れてきたのだ。二度と会う事は無いと思っていた人との再会に、些か頭が混乱しているけれども。でも会ってしまったのだから仕方が無い。僕は意を決して口を開こうとしたが、それよりも先に殿下の方が僕に問いかけた。

「店をやっているのだな」
「あ、はい。理髪店をやってます」
「偉いね。だからあの時も経営学等を学んでいたのだな」
「え!?いえ、あの時は別に、そこまで考えていませんでしたが……何かの役に立てばと」
「そうか」

 一瞬殿下が苦しそうな表情をしたので、僕は訳が分からなかった。慌てて取り繕う。

「僕は、殿下には感謝してます。あの頃の僕はわがままで、自分の思い通りにならないものなんて無いと信じて疑わなかった馬鹿なんです。だからこうして気付かせてくれて、ありがとうございます」
「……」
「あの、むしろすみません。勝手に家を飛び出したから、お披露目の晩餐会やパレードにも影響ありましたよね。最後にご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。恨まれても仕方ありません」
「……恨んで等、いないよ。むしろ私が謝らないといけないね」
「え?何をですか」
「私こそ、傲慢だったという事だよ、ジル。傷付けてしまい、本当にごめん。ずっと、私は後悔していた」
「はい?殿下は何も悪い事はしていませんよ」
「……」

 この人からシャルルと呼ばれない事に違和感がある。でも、ジルとしての僕を認めてくれたという事だろうか。
 よく分からないまま、ファビアン殿下は立ち上がり、こちらに視線を向けた。そして何故かあまりにも悲しそうな顔をしていたので、僕もつられて悲しくなってくる。

「今日はどうしても仕事があり、時間が無い。また、来てもいいかな」
「この店にですか?」
「……もちろん。暫くはこちらの街に滞在予定なので、その間は来てもいいだろうか」
「えっと、何も無いですよ。髪染めとか髪切るとか、そういう店だし……殿下は宮廷お抱えの美容師にやってもらってますよね?」
「構わない。また、必ず……会いに来る」

 殿下は苦しそうな表情のまま、入口のドアを押し開け、店を後にした。


 呆然としてしまう。何だったんだろう。
 殿下が居なくなって、ようやく緊張が解けた僕の心臓がバクバクと音を立て始めた。殿下はもう店から去ったが、殿下がいつも使っていた香水の残り香が、先程彼が座っていた場所からほのかに香る。

 僕は店の奥にある引き出しの鍵を開けた。中にはいくつかの宝飾品が入っている。大した価値も無いものが二、三個程しか残っていないが、僕がシャルルだった時に使っていてどうしてもお気に入りだった髪飾り等は捨てられない。その引き出しの更に奥に、木箱が入っている。僕はそれを取り出し、そっと開けた。

「……」

 綺麗な銀色の指輪だ。小さいが美しいカットの施された石がはめ込まれているそれは、僕がファビアン殿下と婚約すると決まった当初、家に送られてきた婚約指輪である。
 殿下ご本人が選んだものかは怪しい。家に送られてきただけだし、直接渡されてもいない。大方殿下がお付きの人間に適当に買わせたものだと思う。
 しかし、僕はこれを捨てられないでいた。なんならこうして、家から逃げたと言うのに、持ってきてしまっている程だ。
 
 もう二度と会う事は無いはずだった。それなのに、どうして……。
 僕は指輪をぎゅっと握りしめる。
 会いたくなかった。
 だって、もうかつての僕は死んだのだ。今ここにいるのは、ただの平民ジル。それなのに、どうして心臓が痛い程うるさく高鳴っているのだろう。
 どうして、突然の再会に喜ぶ自分を、心のどこかに感じているんだろう。

 僕は苦しくなって、その指輪をそっと木箱の中に戻した。
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