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第四話 救いの手
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「ご無沙汰しております、クラリス嬢」
その声は、冬の湖面のように静かで、凛としていた。
けれど同時に、どこか心の奥をやわらかく撫でるような温かさがあった。
クラリスが振り返ると、扉の前に立っていたのは──。
「ユリウス=エルディーン殿下……」
アグナリア王国の第二王子。
その名を知らぬ者は、今の王宮にはいない。
高貴な青銀の髪。長身で、仕立ての良い黒の軍装。
そして何より、氷のように整った顔立ちに、やさしさの影を灯す眼差し。
まさに、絵に描いた王子という言葉がふさわしい。
「突然の訪問をお許しください。……少しだけ、お時間をいただけますか?」
「もちろん。ちょうど、お茶をお入れするところでしたの」
クラリスは微笑み、ユリウスに席をすすめた。
彼が腰を下ろすと、静かに二人だけの時間が始まった。
淡い香りのハーブティーが、二人の間に小さな温度をもたらす。
「……舞踏会の夜、見ていました。あなたが去る姿を」
クラリスの手が、わずかに止まる。
「何も言わず、ただ一礼してその場を去る姿が……あまりにも、強くて、美しかった」
「……過分なお言葉ですわ」
クラリスは視線を伏せたまま応じる。
だがその内心では、警戒と驚きが交錯していた。
(まさか、この方がそんな目で私を……?)
ユリウスは少しだけ身を乗り出した。
「クラリス嬢。あなたは、聖女の資質をお持ちです」
「……え?」
「正確には、聖なる波動が、ごく微かにあなたの周囲を包んでいる。私の国の魔術師がそう申しておりました。だからこそ、あなたに会いに来たのです」
クラリスの胸に、初めて混じる戸惑い。
「私が……聖女、ですの?」
「はい。そしてその力は、今、正しく扱われていない。いいえ──無視されている、と言うべきでしょうか」
言葉に棘はなかった。
けれどその指摘は、まっすぐにクラリスの現実を刺した。
ユリウスの視線が、クラリスの指先にそっと向けられる。
「……手が、少し震えています。けれど、その指で書き続けてきたのでしょう? あなたの記録を」
クラリスは、心臓が一拍、跳ねるのを感じた。
(見られていた……? 私が、あのノートを扱う姿を?)
「私はあなたに、国を越えて協力をお願いしたいのです」
ユリウスは立ち上がり、ゆっくりとひざを折った。
「クラリス=ルミエール嬢。アグナリア王国へ、いらしていただけませんか? あなたの力を必要としている人々が、そこにいます」
まるで騎士のような、完璧な所作。
だが彼の眼差しは、外交官のものでも、王族のものでもなかった。
ただ、一人の男の目だった。
(この人は……私を、「クラリス」として見ている)
クラリスはゆっくりと息を吐き、立ち上がった。
「……お話、前向きに考えさせていただきますわ。ですがその前に、ひとつだけ……」
彼女は書棚に歩み、小さなノートを手に取った。
そして、そのままユリウスの目の前に掲げる。
「このリストが埋まりきるまでは。私にはやり残したことがあるのです」
ユリウスは静かに微笑んだ。
「それなら、協力いたします。……ひとつずつ、その名前に『チェック』をつけるお手伝いを」
氷の王子が、ささやかに、けれど確かに、笑った。
それは、クラリスの世界が変わる音だった。
その声は、冬の湖面のように静かで、凛としていた。
けれど同時に、どこか心の奥をやわらかく撫でるような温かさがあった。
クラリスが振り返ると、扉の前に立っていたのは──。
「ユリウス=エルディーン殿下……」
アグナリア王国の第二王子。
その名を知らぬ者は、今の王宮にはいない。
高貴な青銀の髪。長身で、仕立ての良い黒の軍装。
そして何より、氷のように整った顔立ちに、やさしさの影を灯す眼差し。
まさに、絵に描いた王子という言葉がふさわしい。
「突然の訪問をお許しください。……少しだけ、お時間をいただけますか?」
「もちろん。ちょうど、お茶をお入れするところでしたの」
クラリスは微笑み、ユリウスに席をすすめた。
彼が腰を下ろすと、静かに二人だけの時間が始まった。
淡い香りのハーブティーが、二人の間に小さな温度をもたらす。
「……舞踏会の夜、見ていました。あなたが去る姿を」
クラリスの手が、わずかに止まる。
「何も言わず、ただ一礼してその場を去る姿が……あまりにも、強くて、美しかった」
「……過分なお言葉ですわ」
クラリスは視線を伏せたまま応じる。
だがその内心では、警戒と驚きが交錯していた。
(まさか、この方がそんな目で私を……?)
ユリウスは少しだけ身を乗り出した。
「クラリス嬢。あなたは、聖女の資質をお持ちです」
「……え?」
「正確には、聖なる波動が、ごく微かにあなたの周囲を包んでいる。私の国の魔術師がそう申しておりました。だからこそ、あなたに会いに来たのです」
クラリスの胸に、初めて混じる戸惑い。
「私が……聖女、ですの?」
「はい。そしてその力は、今、正しく扱われていない。いいえ──無視されている、と言うべきでしょうか」
言葉に棘はなかった。
けれどその指摘は、まっすぐにクラリスの現実を刺した。
ユリウスの視線が、クラリスの指先にそっと向けられる。
「……手が、少し震えています。けれど、その指で書き続けてきたのでしょう? あなたの記録を」
クラリスは、心臓が一拍、跳ねるのを感じた。
(見られていた……? 私が、あのノートを扱う姿を?)
「私はあなたに、国を越えて協力をお願いしたいのです」
ユリウスは立ち上がり、ゆっくりとひざを折った。
「クラリス=ルミエール嬢。アグナリア王国へ、いらしていただけませんか? あなたの力を必要としている人々が、そこにいます」
まるで騎士のような、完璧な所作。
だが彼の眼差しは、外交官のものでも、王族のものでもなかった。
ただ、一人の男の目だった。
(この人は……私を、「クラリス」として見ている)
クラリスはゆっくりと息を吐き、立ち上がった。
「……お話、前向きに考えさせていただきますわ。ですがその前に、ひとつだけ……」
彼女は書棚に歩み、小さなノートを手に取った。
そして、そのままユリウスの目の前に掲げる。
「このリストが埋まりきるまでは。私にはやり残したことがあるのです」
ユリウスは静かに微笑んだ。
「それなら、協力いたします。……ひとつずつ、その名前に『チェック』をつけるお手伝いを」
氷の王子が、ささやかに、けれど確かに、笑った。
それは、クラリスの世界が変わる音だった。
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