『アルファ拒食症』のオメガですが、運命の番に出会いました

小池 月

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Ⅴ⑤

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 良く知っている優しい抱擁だ。心地よい腕の中で安心するアルファの香りを吸い込む。これは弘夢の匂い。うつらうつらする意識の中で、壱兎は幸福感に微笑んだ。

「壱兎……」
 耳に弘夢の切ない声が届く。壱兎の心まで入り込むような優しい声だ。

 壱兎の唇に柔らかい感触がした。唇に触れる吐息を感じる。
(これ、キスだ)
 壱兎は夢うつつだったが、そう思った。ゆっくりと唇が去っていく。離れてしまうのが惜しくて壱兎の唇が追いかけた。

 分かってくれたのかもう一度、唇が降りてくる。

 心地いい。少し食んでみた。すると角度を変えてキスが深くなった。壱兎は夢中で食いついた。与えられるアルファのフェロモンに身体の芯が喜んでいる。

 心のままに欲すれば底なしに与えてもらえる。壱兎の全てが満たされる。温かくて幸せな気分になる。いつの間にか気持ち悪さが無くなっていた。

 壱兎はゆっくり目を開けた。弘夢と目が合う。

 視線が合うと急に恥ずかしくなり壱兎の心臓が走り出す。目が覚めたのにキスをやめてくれない弘夢をそっと押し返した。

 残念そうに弘夢が顔を離す。そのゆっくりとした動きに見とれた。弘夢が壱兎の唇を指で拭う。

 壱兎は弘の膝の上で横抱きにされていた。周りを見てタクシーの後部座席にいることが分かった。ゆっくり弘夢の膝から降りて隣の席に座り直した。

 壱兎はこのまま流されてはいけないと思った。少し冷静にならないと。背もたれに身体を預けて壱兎は深呼吸をした。

「僕のうちに、送って」
「俺のところにおいでよ」

「そうしたら、また訳が分からなくなる。一度落ち着きたい」
 壱兎の言葉に弘夢が寂しそうな顔をする。

「……わかった」
 壱兎は弘夢が見られなくて窓の外を見た。

 訳が分からなくなっても良いと考える自分がいる。弘夢は信用できる男だと思う。壱兎に向き合ってくれる。それでもオメガであることに怖いと思う自分もいる。

「俺じゃ、ダメなのかな」

 弘夢の一言に壱兎はビクリと身体を震わせる。隣を見れば、弘夢が悲しそうに微笑んでいる。壱兎の心臓がズキリと痛んだ。
(こんな顔をしてほしくない。そうじゃない。違うんだ! 弘夢に何かを伝えなきゃ)と思ったのに。

「着きましたよ」
タクシー運転手の声がした。気が付くと壱兎の家だった。

「送るのはここまでにするよ。壱兎が家に入るまで見守っているから」
 弘夢に背を押されてタクシーを降りた。押された背中が妙に熱かった。

 壱兎は自宅アパートに戻るのが正解なのか分からず、ゆっくり歩いた。振り向けばタクシーからこちらを見ている弘夢がいる。

 悲しそうな微笑みを浮かべて手を振る様子に壱兎の胸がズキズキと痛んだ。

ーーこれで良いのだろうか? 

 壱兎の心に浮かぶ疑念を抱えたまま習慣のごとく家に入る。ガチャリと内側から鍵を閉めてその場にうずくまった。

 膝に顔を埋めて自分の唇に触れる。キス、気持ち良かった。フニフニと唇を触り、何故か流れる涙を止められなかった。弘夢も泣いているのだろうか。そんな思いが壱兎に過った。

 毎日来ていた弘夢からのメッセージは、その日以降パタリと止んだ。

 大学ではいつも通り友人としての顔をする弘夢。壱兎と少し距離を置いているのが分かる。それでも壱兎を守るために傍に居る。それは弘夢のアルファとしての義務感なのだろう。

 一線を引かれたような、目に見えない距離感が壱兎の心を沈ませた。
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