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第二章:ジュディスの恋
8.婚約
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■
「ジュディス王女? 大丈夫ですか」
心配そうに覗き込む深い青の瞳。
美しく賢いエルドレットの手を取るなど、自殺行為だ。
傍にいて尊重された風に扱われれば、また、あっさりとジュディスは心を傾けてしまうだろう。
いいや、本当のことを白状すれば、それについては疾っくの疾うに手遅れだ。
見つめてくる瞳に恋の情熱など何処にもないのに。
見返す自分の瞳にそれが宿っていない自信は、ジュディスにはまるでなかった。
はしたなくもあからさまに、抱き寄せられた手を乗せられている部分が熱い。
傍迷惑な勘違い女にはなりたくなかった。
けれど、ジュディスの意見を求められることなど無かったのだ。女性として尊重されることも、大きな手で守られたことも、初めてだった。
もう二度と恋などしないと心に誓っていた癖に。
ジュディスはとっくに、恋に落ちていた。
ジュディスへの恋心などこれっぽっちも持っていない癖に、自分の手を取れと迫ってくる異国の王子へ。
(一度目の恋は、両想いだと思い込んで勘違いしていたから伝えられた。けれど、二度目のこの恋はきっと、死ぬまで伝えることすらできずに終わるんだわ)
いいや、もしかしたら死んでも伝えられないままになるかもしれないとまで思う。ジュディスの胸は、その恋の苦さに塞いだ。
それでも目の前にいるこの人の手を、取らずにはいられない。
自分の心に灯った恋の炎が、すでに強く燃え上がっていることに気が付いて、ジュディスは激しく動揺した。翡翠色の瞳が揺れる。
そのちいさな異変に誰より先に気が付いたのは、ジュディスが誰よりも知られたくはなかった妹リリアーヌだった。
「あははっ。なんて馬鹿なのかしら、お姉さまったら! また身の程知らずな恋に身を任せようというのね?」
指差し唇を歪ませてあげつらう。その顔は、あまりにも醜悪であった。
「リリアーヌ。やめて」
「頭の良さしか自慢できる事がないっていうのに。なのになんでお姉さまったら、そんなに愚かなのかしら。その王子様は、未来の王妃として公務を立派に熟せる能力だけが欲しいだけなのよ? たとえ実際に結婚できたとしても、それで幸せになれるとでも思っているなら、勘違いも甚だしいわ! 恋や愛や慰めは、美しい側妃や愛妾へ求めるつもりなに違いないんだから!」
お茶の席での会話が、王妃専属の侍女から伝えられていたのだろう。
当らずと雖も遠からず、見当違いだとも言い難いリリアーヌの指摘がジュディスの心の弱い部分を抉った。
「おねえさまったら、本当に馬鹿ね。まぁ、自分を振った婚約者すら庇って、お咎めなしにするお人好しだものね。上辺だけの美辞麗句を信じようなんて、本当に、馬鹿!」
嘲笑うリリアーヌにつられた貴族たちも笑い出した。
『また、でしたわね』『それは、そうでしょう』『ですわよねぇ』『くすくす』
くすくす、くすくすくすくす……
広間に伝わり広がっていく嘲笑の合間に聞こえて来た言葉は、ジュディスの隠してきた弱点を的確に狙って突き刺した。
蒼白になったジュディスは、これ以上はもう耐えられないと一目散に逃げ出そうとした。
しかしその手を、エルドレットが握りしめて離さない
「確かに私はジュディス王女に恋をしているとは言えません。私には、私のすべてを捧げると誓った存在があります。彼女の事をなによりも大切にするとここで宣言することもできない。それは嘘になってしまう」
悪びれることなく堂々と、エルドレットの声が会場に響き渡る。
その言葉に、リリアーヌがどれだけ喜んでいるのか、ジュディスには見なくても分かった。
「手を、離して」
エルドレットが言っていることは、ジュディスだってちゃんと理解していることだった。説明もされている。
それでも言葉の続きを聞いていたくなかった。
これ以上打ちのめされるのは嫌だとジュディスは掴まれた手を引き剥がそうとしたが、男性の力には敵わない。藻掻いても、言葉で訴えても、離して貰うことはできずに心ばかりが焦る。
涙が零れる前に、ここから消え去りたかった。
ジュディスが去った後でなら、どんな辛い事実であろうと公表して構わないというのに。
せめて、自覚したばかりの恋にとどめを刺されるその惨めな姿だけは、誰にも見られず陰でと願うことすら許されないことなのか。それほど身の程知らずな恋をしてしまったことは罪深いことなのか。
惨めな想いに我慢しきれなかった涙が、ジュディスの頬を滑り落ちていく。
前の婚約破棄騒動によって打ちのめされたことで、自分の価値を弁えることができるようになった。
そうしてようやく最近は慰問先で歓迎されるようになり、奉仕活動に関する会議で無視もされなくなった。ジュディスにも居場所ができつつあったところだった筈なのに。
それすらも幻想でしかなかったのだと、周囲からの嘲笑が突き付ける。
訪問先の教会や孤児院で向けられた笑顔が浮かんで消えていく。
あの笑顔も、叶いもしない恋に落ちては振られてしまうジュディスの情けないところを見たら馬鹿にしたようなものに変わってしまうのだろうか。それとも嫌悪に歪むのか。知るのが怖い。知りたくもなかった。
「私のこの身は、コベット国に捧げると決めております。ですから愛を捧げることはできないかもしれません。そんな私ではありますが、伴侶に望むのは、嘘偽りなくフリーゼグリーン王国ジュディス第一王女だけです」
「エルドレット様」
真摯な声に、ジュディスは藻掻くことを止めた。
ジュディスをまっすぐに見るエルドレットの瞳に嘘はない。
なによりお茶の席での言葉との齟齬もなかった。
改めて、ジュディスを愛せないと線引きを示されたというだけだ。
一度目に好きになった相手には、傍にいることすら拒絶されたジュディスだが、二度目の恋をした相手からは、傍にいて欲しいと望まれている。
どうせ両想いなどジュディスには見果てぬ夢でしかないのなら、能力だけでも求められ役立って欲しいと請われるだけでもマシというものかもしれない。
ジュディスは自分がいばらの道を選ぼうとしていることに恐れながら、エルドレットに向かって一歩、足を前へ踏み出す。
「お姉さまったら、本当に馬鹿で物好きね。そうやって仕事をたっぷり押し付けておいて、いつ愛する女性が見つかったと他に囲うかもしれない男の役に立ってあげようなんて」
悔し紛れなのだろうリリアーヌの言葉は、けれども的確にジュディスの懸念を言い当てた。
たぶんきっと、間違いなく。その日はやってくるのだとジュディスも思っていた。
(それでも、いいの)
このままこの国で、ジュディスの努力も考えも何もかもを認めてくれない人達に囲まれて鬱々と過ごすより、女性の活躍が認められるコベット国へ行けるだけでもジュディスにとっては十分意味のある選択だ。
(しかも、好きな人の役にも立てる。それ以上の何が必要だろう)
「エルドレット様からの婚姻の申し入れ、謹んでお受けいたします」
握られた手は未だ離して貰えていなかったので、そのまま精一杯のカーテシーを取ろうとしたところを、エルドレットに止められた。
「あの?」
「まぁ、エルドレット様ったら酷い御方なのね。お姉さまが本気にして受け入れようとしたところで、冗談だったとでも仰るつもりだなんて。悪趣味だわ」
にんまりと。クリームを舐めた猫のように満足そうな顔をしたリリアーヌがあげつらうが、それを無視してエルドレットは、ジュディスの手を両手で包み込んだ。
そのままその場に跪く。
「どうやら私の言葉が足りなかったようです。私は、ジュディス王女以外の女性に目を向けることなど致しません。王族としての矜持を胸に努力ができるあなただからこそ、妻にしたいと願いました。お会いしてみてその想いが強くなりこそしても、薄れることはありません」
「でも、私よりずっと美しい方も、愛らしい女性も世界にはたくさんいらっしゃいます。いつかエルドレット様の理想の女性が現れることだってあるかもしれません」
「私の理想の女性はあなただと、お茶の席でも今も重ねてお伝えしているつもりなのですが。どうして理解していただけないのでしょう。顔の美醜の好みだけが、伴侶を選ぶポイントなのでしょうか。私は誰よりあなたを、好ましく思っているのです」
「エルドレット様」
「それに、ジュディス王女はラヴィニア王妃やリリアーヌ王女とよく似ているではありませんか。この国の人々が言うほどの差があるとは思っていません」
「なんですって!?」
「!!!!」
エルドレットの言葉に、誰より憤慨したのはラヴィニアだった。美しい顔を歪め、真っ赤にして詰め寄る。
リリアーヌは、その後ろで怒りのあまり真っ青になっている。怒りからだろうか、真っ白になるほど強く握りしめた手が震えていた。
エルドレットがフリーゼグリーン王国へやってきてから、幾度となくふたりと衝突してきたのだが、今この時が最も激しくラヴィニアとリリアーヌの怒りを買った。
「コベット国の王子には、審美眼が備わっていないのね」
「目が悪いのではありませんか? 悪いのは女性の趣味かしら」
プライドが傷ついたのだろう。ラヴィニアとリリアーヌが、よく似た桃色の瞳を
怒りで釣り上げていた。口汚くエルドレットをあげつらう。
しかし、そんなふたりから投げつけられた言葉を、エルドレットはさらりと受け流した。
「ふふ、そうですね。美というものは、国や民族的にも基準が違ってくるようですから」
美女が怒っているところは大変迫力があるのだが、その怒りを向けられている方はまるで動じていなかった。
むしろ外野である周囲が、居た堪れない気持ちで身体を縮こませていた。
晩餐会は、まだ始まってもいない。
厨房では出来上がりつつある料理が大渋滞で大騒ぎになっているし、乾杯の準備を進めていた給仕係たちも温くなっていく酒や果実水の扱いに困惑している。
ごたついている裏方や怒りに目を吊り上げる女性ふたりを尻目に、エルドレットは優雅にジュディスの手を取り、ボウ・アンド・スクレープを取る。
「フリーゼグリーン王国的な審美眼を持たない私には、この国でいうところの美姫の伴侶となる資格はないでしょう。宝石の評価はその国によって違うといいます。インクルージョンを傷と見るか、天然である印と見るか。価値の高さをその大きさよりも色の濃さや透明度で決める国もあります。コベット国の王子として、コベット国の審美眼で美しい方だと思うジュディス王女との婚姻をお許しいただけますか、フリーゼグリーン王国国王アシェル陛下」
それまでずっと蚊帳の外に置かれていたアシェルは、突然名前を呼ばれて驚いた。
実のところ、アシェルはジュディスの前の婚約を取りつけた挙句にあまりにも不名誉な破談とさせてしまったことについて居心地の悪い思いをしていたので、エルドレットからの申し出はありがたいと思っていた。
アシェルは、リリアーヌを出来れば手元に残したいと思っているほど可愛がっている。誰よりその望みを叶えてやりたいと思う反面、無理を通してまでそうそう行き来ができる訳でもない遠いコベット国へ嫁に出したい筈もない。
「より大きく美しい宝石への入れ替えを拒むのは、国による価値観の違いか。それがコベット国からの最初の申し入れであったのだ。受け入れよう」
「お父様!!」「あなた!?」
「いいではないか。ジュディスの幸せを祈ってやれ」
遠い国で、アシェルの失敗の埋め合わせをして貰い、できることならフリーゼグリーン王国に益を齎してくれれば万々歳だ。
ラヴィニア王妃とリリアーヌ王女が激しい反対の声を上げる中、こうしてジュディス第一王女へのコベット国エルドレット第一王子からの婚姻の申し入れは、あまりにもあっさりと受け入れられたのだった。
「ジュディス王女? 大丈夫ですか」
心配そうに覗き込む深い青の瞳。
美しく賢いエルドレットの手を取るなど、自殺行為だ。
傍にいて尊重された風に扱われれば、また、あっさりとジュディスは心を傾けてしまうだろう。
いいや、本当のことを白状すれば、それについては疾っくの疾うに手遅れだ。
見つめてくる瞳に恋の情熱など何処にもないのに。
見返す自分の瞳にそれが宿っていない自信は、ジュディスにはまるでなかった。
はしたなくもあからさまに、抱き寄せられた手を乗せられている部分が熱い。
傍迷惑な勘違い女にはなりたくなかった。
けれど、ジュディスの意見を求められることなど無かったのだ。女性として尊重されることも、大きな手で守られたことも、初めてだった。
もう二度と恋などしないと心に誓っていた癖に。
ジュディスはとっくに、恋に落ちていた。
ジュディスへの恋心などこれっぽっちも持っていない癖に、自分の手を取れと迫ってくる異国の王子へ。
(一度目の恋は、両想いだと思い込んで勘違いしていたから伝えられた。けれど、二度目のこの恋はきっと、死ぬまで伝えることすらできずに終わるんだわ)
いいや、もしかしたら死んでも伝えられないままになるかもしれないとまで思う。ジュディスの胸は、その恋の苦さに塞いだ。
それでも目の前にいるこの人の手を、取らずにはいられない。
自分の心に灯った恋の炎が、すでに強く燃え上がっていることに気が付いて、ジュディスは激しく動揺した。翡翠色の瞳が揺れる。
そのちいさな異変に誰より先に気が付いたのは、ジュディスが誰よりも知られたくはなかった妹リリアーヌだった。
「あははっ。なんて馬鹿なのかしら、お姉さまったら! また身の程知らずな恋に身を任せようというのね?」
指差し唇を歪ませてあげつらう。その顔は、あまりにも醜悪であった。
「リリアーヌ。やめて」
「頭の良さしか自慢できる事がないっていうのに。なのになんでお姉さまったら、そんなに愚かなのかしら。その王子様は、未来の王妃として公務を立派に熟せる能力だけが欲しいだけなのよ? たとえ実際に結婚できたとしても、それで幸せになれるとでも思っているなら、勘違いも甚だしいわ! 恋や愛や慰めは、美しい側妃や愛妾へ求めるつもりなに違いないんだから!」
お茶の席での会話が、王妃専属の侍女から伝えられていたのだろう。
当らずと雖も遠からず、見当違いだとも言い難いリリアーヌの指摘がジュディスの心の弱い部分を抉った。
「おねえさまったら、本当に馬鹿ね。まぁ、自分を振った婚約者すら庇って、お咎めなしにするお人好しだものね。上辺だけの美辞麗句を信じようなんて、本当に、馬鹿!」
嘲笑うリリアーヌにつられた貴族たちも笑い出した。
『また、でしたわね』『それは、そうでしょう』『ですわよねぇ』『くすくす』
くすくす、くすくすくすくす……
広間に伝わり広がっていく嘲笑の合間に聞こえて来た言葉は、ジュディスの隠してきた弱点を的確に狙って突き刺した。
蒼白になったジュディスは、これ以上はもう耐えられないと一目散に逃げ出そうとした。
しかしその手を、エルドレットが握りしめて離さない
「確かに私はジュディス王女に恋をしているとは言えません。私には、私のすべてを捧げると誓った存在があります。彼女の事をなによりも大切にするとここで宣言することもできない。それは嘘になってしまう」
悪びれることなく堂々と、エルドレットの声が会場に響き渡る。
その言葉に、リリアーヌがどれだけ喜んでいるのか、ジュディスには見なくても分かった。
「手を、離して」
エルドレットが言っていることは、ジュディスだってちゃんと理解していることだった。説明もされている。
それでも言葉の続きを聞いていたくなかった。
これ以上打ちのめされるのは嫌だとジュディスは掴まれた手を引き剥がそうとしたが、男性の力には敵わない。藻掻いても、言葉で訴えても、離して貰うことはできずに心ばかりが焦る。
涙が零れる前に、ここから消え去りたかった。
ジュディスが去った後でなら、どんな辛い事実であろうと公表して構わないというのに。
せめて、自覚したばかりの恋にとどめを刺されるその惨めな姿だけは、誰にも見られず陰でと願うことすら許されないことなのか。それほど身の程知らずな恋をしてしまったことは罪深いことなのか。
惨めな想いに我慢しきれなかった涙が、ジュディスの頬を滑り落ちていく。
前の婚約破棄騒動によって打ちのめされたことで、自分の価値を弁えることができるようになった。
そうしてようやく最近は慰問先で歓迎されるようになり、奉仕活動に関する会議で無視もされなくなった。ジュディスにも居場所ができつつあったところだった筈なのに。
それすらも幻想でしかなかったのだと、周囲からの嘲笑が突き付ける。
訪問先の教会や孤児院で向けられた笑顔が浮かんで消えていく。
あの笑顔も、叶いもしない恋に落ちては振られてしまうジュディスの情けないところを見たら馬鹿にしたようなものに変わってしまうのだろうか。それとも嫌悪に歪むのか。知るのが怖い。知りたくもなかった。
「私のこの身は、コベット国に捧げると決めております。ですから愛を捧げることはできないかもしれません。そんな私ではありますが、伴侶に望むのは、嘘偽りなくフリーゼグリーン王国ジュディス第一王女だけです」
「エルドレット様」
真摯な声に、ジュディスは藻掻くことを止めた。
ジュディスをまっすぐに見るエルドレットの瞳に嘘はない。
なによりお茶の席での言葉との齟齬もなかった。
改めて、ジュディスを愛せないと線引きを示されたというだけだ。
一度目に好きになった相手には、傍にいることすら拒絶されたジュディスだが、二度目の恋をした相手からは、傍にいて欲しいと望まれている。
どうせ両想いなどジュディスには見果てぬ夢でしかないのなら、能力だけでも求められ役立って欲しいと請われるだけでもマシというものかもしれない。
ジュディスは自分がいばらの道を選ぼうとしていることに恐れながら、エルドレットに向かって一歩、足を前へ踏み出す。
「お姉さまったら、本当に馬鹿で物好きね。そうやって仕事をたっぷり押し付けておいて、いつ愛する女性が見つかったと他に囲うかもしれない男の役に立ってあげようなんて」
悔し紛れなのだろうリリアーヌの言葉は、けれども的確にジュディスの懸念を言い当てた。
たぶんきっと、間違いなく。その日はやってくるのだとジュディスも思っていた。
(それでも、いいの)
このままこの国で、ジュディスの努力も考えも何もかもを認めてくれない人達に囲まれて鬱々と過ごすより、女性の活躍が認められるコベット国へ行けるだけでもジュディスにとっては十分意味のある選択だ。
(しかも、好きな人の役にも立てる。それ以上の何が必要だろう)
「エルドレット様からの婚姻の申し入れ、謹んでお受けいたします」
握られた手は未だ離して貰えていなかったので、そのまま精一杯のカーテシーを取ろうとしたところを、エルドレットに止められた。
「あの?」
「まぁ、エルドレット様ったら酷い御方なのね。お姉さまが本気にして受け入れようとしたところで、冗談だったとでも仰るつもりだなんて。悪趣味だわ」
にんまりと。クリームを舐めた猫のように満足そうな顔をしたリリアーヌがあげつらうが、それを無視してエルドレットは、ジュディスの手を両手で包み込んだ。
そのままその場に跪く。
「どうやら私の言葉が足りなかったようです。私は、ジュディス王女以外の女性に目を向けることなど致しません。王族としての矜持を胸に努力ができるあなただからこそ、妻にしたいと願いました。お会いしてみてその想いが強くなりこそしても、薄れることはありません」
「でも、私よりずっと美しい方も、愛らしい女性も世界にはたくさんいらっしゃいます。いつかエルドレット様の理想の女性が現れることだってあるかもしれません」
「私の理想の女性はあなただと、お茶の席でも今も重ねてお伝えしているつもりなのですが。どうして理解していただけないのでしょう。顔の美醜の好みだけが、伴侶を選ぶポイントなのでしょうか。私は誰よりあなたを、好ましく思っているのです」
「エルドレット様」
「それに、ジュディス王女はラヴィニア王妃やリリアーヌ王女とよく似ているではありませんか。この国の人々が言うほどの差があるとは思っていません」
「なんですって!?」
「!!!!」
エルドレットの言葉に、誰より憤慨したのはラヴィニアだった。美しい顔を歪め、真っ赤にして詰め寄る。
リリアーヌは、その後ろで怒りのあまり真っ青になっている。怒りからだろうか、真っ白になるほど強く握りしめた手が震えていた。
エルドレットがフリーゼグリーン王国へやってきてから、幾度となくふたりと衝突してきたのだが、今この時が最も激しくラヴィニアとリリアーヌの怒りを買った。
「コベット国の王子には、審美眼が備わっていないのね」
「目が悪いのではありませんか? 悪いのは女性の趣味かしら」
プライドが傷ついたのだろう。ラヴィニアとリリアーヌが、よく似た桃色の瞳を
怒りで釣り上げていた。口汚くエルドレットをあげつらう。
しかし、そんなふたりから投げつけられた言葉を、エルドレットはさらりと受け流した。
「ふふ、そうですね。美というものは、国や民族的にも基準が違ってくるようですから」
美女が怒っているところは大変迫力があるのだが、その怒りを向けられている方はまるで動じていなかった。
むしろ外野である周囲が、居た堪れない気持ちで身体を縮こませていた。
晩餐会は、まだ始まってもいない。
厨房では出来上がりつつある料理が大渋滞で大騒ぎになっているし、乾杯の準備を進めていた給仕係たちも温くなっていく酒や果実水の扱いに困惑している。
ごたついている裏方や怒りに目を吊り上げる女性ふたりを尻目に、エルドレットは優雅にジュディスの手を取り、ボウ・アンド・スクレープを取る。
「フリーゼグリーン王国的な審美眼を持たない私には、この国でいうところの美姫の伴侶となる資格はないでしょう。宝石の評価はその国によって違うといいます。インクルージョンを傷と見るか、天然である印と見るか。価値の高さをその大きさよりも色の濃さや透明度で決める国もあります。コベット国の王子として、コベット国の審美眼で美しい方だと思うジュディス王女との婚姻をお許しいただけますか、フリーゼグリーン王国国王アシェル陛下」
それまでずっと蚊帳の外に置かれていたアシェルは、突然名前を呼ばれて驚いた。
実のところ、アシェルはジュディスの前の婚約を取りつけた挙句にあまりにも不名誉な破談とさせてしまったことについて居心地の悪い思いをしていたので、エルドレットからの申し出はありがたいと思っていた。
アシェルは、リリアーヌを出来れば手元に残したいと思っているほど可愛がっている。誰よりその望みを叶えてやりたいと思う反面、無理を通してまでそうそう行き来ができる訳でもない遠いコベット国へ嫁に出したい筈もない。
「より大きく美しい宝石への入れ替えを拒むのは、国による価値観の違いか。それがコベット国からの最初の申し入れであったのだ。受け入れよう」
「お父様!!」「あなた!?」
「いいではないか。ジュディスの幸せを祈ってやれ」
遠い国で、アシェルの失敗の埋め合わせをして貰い、できることならフリーゼグリーン王国に益を齎してくれれば万々歳だ。
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