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六、「好きにして」と言ったのは確かにぼくです・・・ええ、確かに。
2、
しおりを挟む「・・・もう、大丈夫そうです。エアリー公爵子息。ご協力、ありがとうございました」
扉に耳をあて、外の様子を探ったチェスターが、そう言ってウォルターに頭を下げる。
「ううん、恥ずかしかったけど大丈夫・・・だけど。ねえ、チェスター。何があったの?」
余程恥ずかしかったのか、紅くなった顔を逸らすウォルターを、なんて可愛い、と見つめていたチェスターの顔がその問に曇り、不快な感情を表すように眉が寄った。
「ラット誘発剤を使われたのです。すみません、エアリー公爵子息。私の判断が甘かったせいで、貴方にまで迷惑をかけてしまいました」
『本当に申し訳ありません』と、深々と頭を下げるチェスターに、ウォルターは慌てた声を出した。
「ラット誘発剤!?大変じゃないか!・・・って。でも、そんな様子は無いよね」
そんな物を使われれば、手あたり次第にオメガを襲うけだものと化してしまう、とアリスターから習ったウォルターだが、目の前のチェスターは、いたって平静である。
「ええ。ちょうど中和剤を持っていまして。既に無効化しているので大丈夫です」
「そうなんだね・・・良かった」
けれど、ほっと胸を撫でおろすウォルターに、チェスターは首を振る。
「いいえ。私を追い落としたい動きがあることは分かっていたのです。エアリー公爵閣下・・大臣からも、慎重に行動するようにと言われていたのに、犯人確保を焦ったばかりに、エアリー公爵子息まで巻き込んでしまいました」
後悔している、と表情で語るチェスターに、ウォルターは、気にしない、というように微笑んだ。
「予測出来ていたのなら、さっさと片を付けたいと思うのは当然のことだよ。嫌なことは、早くに終わらせてしまいたいもの」
「エアリー公爵子息」
心からのウォルターの笑顔に、チェスターも漸くほっとしたような笑みを浮かべる。
「そうか。つまり、ぼくをここへ誘導したのは、ラットになっているチェスターに襲わせるためで、チェスターがあんな演技をしたのは、その罠に嵌ったように見せかけるためだったんだね」
「え。分かっていなかったのですか?」
漸く納得したと頷くウォルターを、チェスターは驚きの表情で見た。
「あ!いや!さっきの、色っぽい台詞で、なんとなく分かったよ?本当だよ?」
「なんとなく・・・」
「ああ、ねえ!これで、片ついたかな?ほら、チェスターを追い落としたい輩の謀」
必死に話題を変えようとするウォルターを、可愛らしいものを見る目で見たチェスターは、ウォルターの願い通り話題を変換する。
「そうですね。恐らく、連中は今現在私がウォルター様を襲っている真っ最中と思い、黒幕へ連絡に走っている頃でしょうから、彼らが戻ったら第二部の開始となりますね」
現状を演劇と捉えるチェスターが、そう言って楽し気にウォルターを見た。
「じゃあ、もう少ししたら黒幕がここへ来るね。ふふ。予想とは大違いの状況に、どう出るかな?」
濡れ場とは程遠い自分達を見てどうするのかと、ウォルターが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「そうですね。恐らくは、大騒ぎをして現れるでしょうから。この状況をみて、咄嗟にでも『ふたりきりでいることが、既に不義の証だ』くらいは言ってもらわないと」
その程度の機転は欲しいと、チェスターは対峙する相手の実力をはかった。
「そっか。大騒ぎをして、たくさんの目撃者を作るつもりなのかな?」
「それも狙うかも知れませんが、まず確実に当事者を連れて来るでしょう」
「当事者?」
チェスターの言葉に首を傾げたウォルターに、チェスターは問題を出す教師のように咳払いをする。
「そうです、エアリー公爵子息。今回の件で、目的を達成するために必要な人材は?」
「今回の件の目的は、チェスターを追い落とすこと、だから・・あ!父上を連れて来るってことか!」
「正解です」
『よく出来ました』と、やはり教師になり切ってチェスターに、ウォルターも嬉しそうに笑い返した。
「でも、どうしてその相手がぼく・・・ああ、そうか。ぼくとチェスターがそういうことになったら、ぼくとアリスター殿下の婚約は破棄されるし、連座で父上も失脚する。つまり、ぼく達が邪魔な人たちにとっては、この上なく素晴らしい計画だったってことだね」
「おや。そこまでお分かりになるとは、流石ですエアリー公爵子息。普段は甘ったれなのに、なかなか聡い」
目を細め、チェスターは嬉し気に褒めてから容赦なく落とした。
とはいえ、その声は揶揄いに満ちた愉快そうなもの。
「甘ったれは余計だよ、チェスター。まあ、過保護に護られているのは事実だけど」
『父上とか母上とか兄上とかアリ様とか』と、ウォルターが遠い目をすれば、チェスターが楽しそうに笑ってから、困ったようにため息を吐いた。
「という訳で、エアリー公爵子息には、未だこちらに居ていただく必要があるのです。授業の後の、折角の自由時間なのに申し訳ありません」
「それは気にしなくていいよ。かかわったんだから、最後まで責任持つし。それより。ねえ、チェスター。他国の歴史上の人物を覚えるのに、有効な方法って何かないかな?」
話題を変えるように言うウォルターに、チェスターは不思議そうな目を向ける。
「歴史上の人物を、ですか?ですがエアリー公爵子息は、特に不自由なく覚えていらっしゃるかと思いますが」
首を捻るチェスターに、ウォルターは肩を竦めてみせた。
「大体は、ね。でも、二代前の西の国王と三代前の東の国王の名前が同じで年代もほぼ被っているうえ、特にこれといった逸話とか政策とか無くて。どっちがどっちだったか分からなくなっちゃうんだよ」
今すぐには困らなくとも、いつ何時、外交時に必要となるかも知れない、他国の王家のことで誤りなどあったら大変だ、とウォルターはため息を吐く。
「真面目ですね。未来の王子妃殿下は」
「揶揄わないでよ。ほんとに困っているんだから。チェスターは、他国の文化や歴史にも造詣が深いでしょ。どうやって覚えたのかな、って」
じっ、とウォルターがチェスターを見れば、その瞳から揶揄いが消え、真摯な色で満たされた。
「そうですね。私はベッドで一夜の恋人から得ることも多いのですが、それは初心なエアリー公爵子息には向かないでしょうから」
「真面目に!もう、真剣な目になったから安心してたのに」
呆れたように唇を尖らせるウォルターの頭を、チェスターが可笑しみの籠った顔でぽんぽんと撫でる。
「可愛いですよ、その顔。お預け喰らった仔犬みたいで。そうですね。エアリー公爵子息、彼等のことを学ぶ時、肖像画はご覧になりましたか?」
揶揄ったり真面目になったりと忙しいチェスターだが、そんな彼に慣れっこのウォルターは、特に驚くこともなく言葉を紡いだ。
「肖像画は見ていないよ」
「なら、肖像画で判別してみる、というのもひとつの手でしょう。とはいえ、あのふたりであれば、共に長い髭が特徴、なのですがね」
「駄目じゃん」
「そうなんですよね。これと言って功績も無いうえ、髪の色も瞳の色も同じで、唯一の特徴と言われる髭まで同じなんですから」
「チェスター。笑いごとじゃないんだけど」
ははは、と楽しそうに笑うチェスターを、ウォルターは、じと、と見あげた。
「笑いごとでいいんですよ、エアリー公爵子息。それだけ似ているのです。多少取り違えたところで、誰も気づきはしません」
「あっ」
なるほど、とウォルターが、ぽんっ、と手を打ったその時。
「こちらです!こちらで、おふたりが睦み合っていて!他言は無用と言われたのですが、私はどうしても王家を裏切ることが出来ず・・・!だってそうでしょう!これは、すべての方に対する裏切りでもあるのですから!」
騒がしい喚き声と共に、扉が勢いよく開いた。
~・~・~・~・~・
エール、いいね、お気に入り、しおり、ありがとうございます。
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