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6 全部、嘘
しおりを挟む「ナンパじゃないですからね!? 彼女は、広瀬紬さん。西橋の彼女ですよ」
「君が……」
慌てて弁解する柿谷さんの言葉に、神崎さんが目を見開く。
どうやら倫太郎の口から、私のことを聞いたことがあるらしい。
「初めまして。神崎利仁です」
穏やかに手を差し出され、握手を交わす。
……なぜか少しだけ居心地が悪い。
私と倫太郎の関係は、もう終わった。
それなのに、彼の上司や同僚とこれ以上親睦を深めても、あとで気まずくなるだけだろう。
そう思って、私は意を決した。
「倫太郎とは……ついさっき、別れました」
「「「…………え!?」」」
事実を告げると、彼らは驚きの表情を見せる。
沈黙に耐え切れず、私は頭を下げた。
「すみません、言い出せなくて……」
「っ、紬が謝ることじゃないでしょ!」
凛音の声が、静まり返った空気を鋭く裂いた。
「仕事が忙しいからって、何ヶ月も紬を放置して……。そのくせ、紬を家政婦扱いして、自分は他の女と高級レストランで食事をしているんだもの。あんな男、別れて正解よ!!」
美しい顔が怒りに染まり、倫太郎の同僚たちは目を白黒とさせる。
道行く人々の視線が集まり始めたところで、神崎さんが口を開いた。
「僕は彼女たちと少し話をしたい。二次会は、お前たちだけで行ってきてくれるか?」
「は、はい……!」
柿谷さんたちは、すっかり酔いも覚めた様子で頭を下げ、その場を離れていった。
「っ、ごめん、紬……。つい、声が大きくなっちゃって。でも、あんなふうに傷つけられているのを見たら、もう我慢できなかったの。私、自分のことより、紬が泣かされる方がずっと辛くて……」
「凛音っ」
堪えていた涙が、静かに頬を伝った。
凛音も目を潤ませていたけれど、声は出さず、ただ私の肩を軽く抱く。
その静かな仕草の中に、強い意思と優しさが同時に感じられ、胸の奥がじんわりと熱くなった。
そんな私たちに、少し離れた場所から静かな声がかかる。
「……落ち着ける場所へ行きませんか?」
神崎さんの穏やかな声が、冷えた夜風の中に温かく溶けていく。
私は涙をぬぐいながら、凛音と顔を見合わせ、小さくうなずいた。
そして、三人で並んで歩き出した。
それから神崎さんに案内され、通りから少し奥まった落ち着いた店に入った。
店内は華美すぎず、それでいて洗練された装いの客たちが、静かにグラスを傾け、控えめに会話する姿が店全体に穏やかな気品を漂わせていた。
かすかに流れるジャズピアノの旋律が、街の喧騒を遠ざける。
(こんなオシャレなお店があったんだ……)
奥の個室に通される。
扉を閉めると、外界と切り離された静寂の中で、神崎さんの存在感だけがひときわ際立った。
神崎さんはゆったりと椅子に腰を下ろす。
グラスの水を静かに口に運び、落ち着いた目でこちらを見つめる。
「西橋のことですけど……なにがあったのか、聞いてもいいですか?」
私は喉の渇きを誤魔化すように、一口だけお酒を口に含む。
琥珀色の液体が、胸の奥を少しだけ温めた。
「言いづらかったら無理にとは言いません。三人で話すだけでもいいですよ」
神崎さんは、どこまでも穏やかだった。
人を安心させる話し方も、柔らかい眼差しも、ご両親から受け継いだものなのだろう。
華やかな外見なのに、不思議と親しみやすさを感じる人だった。
だからか、ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問を、私は思わず口にしていた。
「そちらの会社は、残業で日付をまたぐことはあるのでしょうか……?」
「それはありません」
「っ……」
即答するその声に、息が詰まる。
「うちは、人との縁を大事にすることが理念なんです。特に父は“家族を大切に”という考えが強くてね。社員の私生活を守るためにも、基本的に残業は禁止しています」
「……そう、なんですね」
静かに頷く。
神崎さんの言葉が本当なら――倫太郎は、ずっと嘘をついていたことになる。
(あの人は、そんなことをする人じゃなかったのに)
信じたくない気持ちと、認めざるを得ない現実が胸の中でせめぎ合った。
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