偽りの令嬢を演じるオメガ(♂)を救うため、平民アルファの俺が傲慢な大公爵家に喧嘩を売って、二人で自由を掴み取る物語

水凪しおん

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第3話「秘密の共犯者」

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 夜が明け、窓から差し込む柔らかな光が部屋を白く染めていた。ベッドの上で、セシルは静かに目を覚ました。昨夜の熱に浮かされたような感覚は消え、代わりに襲ってきたのは、全てを悟られてしまったことへの絶望と恐怖だった。
 体を起こすと、自分のドレスの胸元が少し緩められていることに気づく。そして、ベッドの脇の椅子に、ケイトが座ったまま眠っているのが見えた。彼は一睡もせずに、自分を看病してくれていたのだろう。その横顔はいつもより幼く見え、どこか疲れていた。
 自分が男性であること。胸の晒し。全てを見られた。もう終わりだ。この秘密が公になれば、クラインフェルト公爵家は破滅し、自分は物言わぬ骸となってどこかに捨てられるだろう。
 逃げなければ。ケイトが目覚める前に、ここから消えなければ。
 セシルが音を立てないようにベッドから降りようとした、その時だった。
「……起きたのか」
 静かな声に、セシルの心臓が凍り付いた。見ると、ケイトがいつの間にか目を覚まし、まっすぐにこちらを見ていた。その瞳は、侮蔑でも好奇でもなく、ただ静かで、真摯な色をしていた。
「昨日のこと、覚えてるか」
 セシルは小さく頷いた。唇が震えて、声が出ない。
「何か、飲むか? 水でも」
 ケイトは立ち上がると、テーブルの上の水差しからグラスに水を注ぎ、セシルに手渡した。そのごく自然な仕草に、セシルは逆に混乱した。なぜ、彼は普通に接してくるのだろう。化け物を見るような目で見つめ、問い詰めてくるのではないのか。
 差し出されたグラスを受け取ると、ケイトは再び椅子に腰掛け、口を開いた。
「説明してくれ。何があったのか。……お前が、誰なのか」
 その言葉には、有無を言わせぬ力があった。セシルは観念したように、俯いたままぽつり、ぽつりと語り始めた。自分の本当の名前は「セシル」であること。平民街の孤児院で育った、ただの男性オメガであること。
 だがある日、彼の持つ類まれなフェロモンが、クラインフェルト公爵の目に留まった。公爵にはセシリアという一人娘がいたが、病で亡くし、跡継ぎがいない状態だった。公爵は、セシルのフェロモンを政治の道具として利用することを思いついた。より強力なアルファの一族と血縁を結び、家の権勢を盤石にするための、最高の切り札として。
 セシルは公爵家に引き取られ、死んだ娘「セシリア」として生きることを強要された。声を変えるための魔道具をつけさせられ、女性としての作法を徹底的に叩き込まれた。胸には晒しを巻き、髪を伸ばし、完璧な令嬢「セシリア・クラインフェルト」を演じることを強いられた。少しでも男だとバレるような素振りを見せれば、待っているのは死だけだと、そう脅されて。
「僕は……ずっと息を殺して生きてきた。本当の自分は、もうどこにもいないんだ……」
 偽りの人生に絶望し、いつか壊れてしまう心を必死で繋ぎ止めてきた。昨夜、温室で流した涙は、そんな自分への憐れみと、どうすることもできない未来への絶望からきたものだった。
 悲痛な告白が終わり、部屋には重い沈黙が落ちた。セシルは、どんな判決が下されるのかと、ただ身を固くしていた。
 やがて、ケイトが静かに口を開いた。
「……ふざけるな」
 その声には、静かだが、燃えるような怒りが込められていた。
「一人の人間を、なんだと思ってるんだ。道具じゃねえ。お前は、お前だろ」
 ケイトは立ち上がると、震えるセシルの前に膝をつき、その両手を取った。力強い、温かい手だった。
「辛かったな。ずっと、一人で」
 その優しい言葉に、セシルの堪えていた涙腺が崩壊した。嗚咽が漏れ、大粒の涙が次から次へと溢れ出す。今まで誰にも言えなかった苦しみ、悲しみ、孤独。その全てが、ケイトの温もりに溶けていくようだった。
 ケイトは何も言わず、ただセシルが泣き止むのを待っていた。そして、涙が落ち着いた頃、彼の顔を覗き込み、力強く宣言した。
「俺がお前を守る」
 セシルが驚いて顔を上げる。
「俺だけは、お前の本当の姿を知っている。お前がセシルだってことを、知っている。だから、俺の前ではもう偽らなくていい。辛い時は、泣け。俺がそばにいてやる」
 その真っ直ぐな瞳に見つめられ、セシルは言葉を失った。平民の、特待生の、昨日までほとんど話したこともなかったはずの彼が、なぜ、自分にこんな言葉をかけてくれるのか。
 だが、その力強い言葉は、暗闇の中に差し込んだ一筋の光のように、セシルの凍てついた心を温めた。
 その日から、二人の秘密の関係が始まった。
 彼らは人目を忍んで、古びた図書室の誰も来ない一角で会うようになった。ケイトはセシルに、外の世界の話や、平民街の賑わいの話をした。貴族社会しか知らないセシルにとって、それはまるで夢物語のように新鮮で、心を躍らせるものだった。
 そしてセシルは、ケイトにだけ、令嬢「セシリア」の仮面を脱ぎ捨て、本当の「セシル」としての顔を見せた。少しだけ低い、本来の声で話し、はにかむように笑った。ケイトの前でだけ、彼は息をすることができた。
 孤独だった二つの魂は、互いを唯一の理解者として、急速に惹かれ合っていく。それはまだ、恋と呼ぶにはあまりにも拙く、不確かで、それでいてどうしようもなく温かい感情の芽生えだった。
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