白い結婚のはずでしたが、選ぶ人生を取り戻しました

ふわふわ

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第16話 さりげない接触

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第16話 さりげない接触

 それは、あまりにも“丁寧”な形で始まった。

 シュヴァルツハルト公爵邸に、一通の正式な書簡が届いたのは、午後の静かな時間帯だった。

 封蝋には、王宮の印章。

 だが、文面は驚くほど穏やかだ。

「……“近況伺い”ですか」

 ディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、書簡を読み終え、小さく息を吐いた。

『王都では、皆さまのご健勝を案じております。
 もし差し支えなければ、近く非公式の茶会に――』

 非公式。
 それが、すべてを物語っている。

(正式な招待ではない。けれど、無視もできない)

 これは、命令ではない。
 だが、好意を装った“確認”だ。

「……公爵様は?」

 侍女に尋ねる。

「執務中でいらっしゃいますが……」

「では、後ほどお話しします」

 ディアナは、書簡を丁寧に折り畳んだ。

(来ましたわね)

 王宮は、こちらの様子を“遠巻きに眺める段階”を終えたのだ。

 夕刻。

 クロヴィス・フォン・シュヴァルツハルトは、書簡に目を通し、無言のまま机に置いた。

「……随分と、回りくどい」

 感想は、それだけだった。

「私が出向くべきでしょうか」

 ディアナは、落ち着いた声で尋ねる。

 クロヴィスは、即座に否定した。

「いや」

 短く、しかしはっきりと。

「これは、“様子見”だ」 「こちらが動けば、向こうの思惑に乗ることになる」

 ディアナは、少しだけ考えた。

「では、無視を?」

「無視は、刺激が強すぎる」

 クロヴィスは、視線を上げる。

「“受け取ったが、応じない”」 「それが、最も分かりにくい返答だ」

(……さすがですわ)

 王宮の空気を、よく理解している。

「ですが」

 ディアナは、静かに続けた。

「いずれ、直接の接触は避けられません」

「分かっている」

 クロヴィスは、即答した。

「だからこそ、今は――」

 言葉が、わずかに途切れる。

「……あなたを前に出すつもりはない」

 その言い方は、以前とは違っていた。

 “契約上”ではなく、
 “判断として”。

 ディアナは、内心で小さく息を呑む。

(……また、無意識の保護)

 夜。

 ディアナは、自室で考えていた。

 王宮からの接触。
 それは、想定していた未来の一つだ。

(でも……)

 自分は、逃げるためにここへ来たわけではない。

(避けることと、拒むことは違う)

 そのとき、窓の外に気配を感じた。

 庭の灯りの下。
 護衛が、いつもより近い位置に立っている。

(……やはり、警戒が強まっていますわね)

 翌日。

 公爵邸に、予告なしの来客があった。

「王宮より、使者がお見えです」

 執事の声が、少し硬い。

 クロヴィスは、即座に判断した。

「通せ」 「だが、奥様は呼ぶな」

「承知いたしました」

 ディアナは、その報告を別室で聞き、静かに目を伏せた。

(……直接、来ましたか)

 応接室では、形式的な挨拶が交わされている。

 王宮使者は、丁寧で、低姿勢だ。

「公爵殿下、あくまで非公式なものです」 「王太子殿下が、奥様の近況を案じておられまして……」

「必要ない」

 クロヴィスは、即答した。

 使者は、一瞬言葉に詰まる。

「……奥様が、ご不便を感じていないかを――」

「こちらで判断する」

 それ以上の会話は、不要だった。

 だが、使者は最後にこう言い残す。

「……殿下は、“誤解があれば解きたい”と」

 その言葉に、クロヴィスの視線が冷たくなる。

「誤解は、向こうの問題だ」

 応接室を出た使者の背中は、明らかに重かった。

 その夜。

 クロヴィスは、珍しくディアナを呼んだ。

「……今日、使者が来た」

「存じております」

「王太子は、あなたに“直接”接触するつもりだ」

 ディアナは、驚かなかった。

「……そうでしょうね」

「どうする」

 それは、命令ではない。

 選択を委ねる問いだ。

 ディアナは、少しだけ考え、答えた。

「会いません」

 即答だった。

「今は、まだ」

 クロヴィスは、静かに頷いた。

「その判断を、尊重する」

 その言葉に、ディアナは胸の奥で何かがほどけるのを感じた。

(……尊重、ですか)

 王宮では、一度も与えられなかったもの。

 夜更け。

 クロヴィスは、執務室で一人、地図を見ていた。

 王都と、公爵領。

 その距離は、物理的には変わらない。

 だが。

(……今は、遠い)

 ディアナを守るという判断が、
 すでに“契約の範囲”を越えていることを、
 彼は理解していた。

 それでも。

(……引く気はない)

 一方、ディアナは窓辺で、夜風に当たっていた。

 王宮は、こちらを見ている。
 だが、まだ踏み込めていない。

(……選ぶのは、私)

 白い結婚。
 形式的な関係。

 そのはずの場所で、
 彼女は初めて――
 自分の意思を、完全に尊重されていた。

 そしてその事実が、
 王宮にとって最大の誤算であることを、
 まだ誰も知らなかった。


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