白い結婚のはずでしたが、選ぶ人生を取り戻しました

ふわふわ

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第17話 届いた手紙

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第17話 届いた手紙

 その手紙は、朝の静寂を切り裂くように届いた。

 白地に金の縁取り。
 王宮の正式な封蝋。

 それが、すでに“非公式”という言葉の嘘を物語っている。

「……奥様」

 侍女は、慎重に差し出した。

「王宮より……“個人的な書簡”とのことです」

 ディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、一瞬だけ手を止めた。

(……来ましたわね)

 昨日の使者。
 その延長線上にあるもの。

「受け取ります」

 声は、揺れていなかった。

 侍女が下がり、部屋に一人になる。

 ディアナは、机に手紙を置き、すぐには開かなかった。

(読む必要は、ある)

 無視することもできた。
 だが、それでは――
 自分が“逃げている”ことになる。

 ゆっくりと封蝋を切る。

 中の文字は、予想以上に丁寧だった。

『ディアナへ』

 名前だけ。

 称号も、敬称もない。

 それだけで、胸の奥にかすかな痛みが走る。

(……昔のまま、ですのね)

 文面は、穏やかだった。

『突然の手紙を許してほしい
 これは、王太子としてではなく
 一人の人間として書いている』

 ディアナは、静かに読み進める。

『君がシュヴァルツハルト公爵領で
 穏やかに過ごしていると聞いた』

『正直に言う
 それを聞いて、安堵した』

 ペンを握る手に、無意識に力が入る。

(……安堵?)

 どの口が、と思いかけて、
 ディアナはその感情を押し殺した。

『婚約を解消したとき
 私は、君が強すぎると思っていた』

『何でも一人で背負い
 何でも整えてしまう』

『それが、私には重かった』

 そこで、手紙を持つ手が止まる。

(……重かった)

 それは、彼が初めて口にした“本音”かもしれない。

『だが、今になって分かった』

『それは、私が
 君に頼ることを
 恐れていただけだった』

 ディアナは、深く息を吐いた。

(……今さら)

 続きが、目に入る。

『白い結婚だと聞いた』

『君が、誰にも必要とされていないのではないかと
 ……そんな考えが、頭をよぎった』

 思わず、苦笑が漏れる。

(必要とされていない?)

 まったくの逆だ。

『もし、誤解があるのなら
 一度、話をさせてほしい』

『これは、要求ではない
 お願いだ』

 最後の一文。

『君の声を
 もう一度、聞きたい』

 ディアナは、静かに手紙を机に置いた。

 部屋の空気が、妙に重い。

(……遅すぎますわ)

 彼は、変わったのかもしれない。
 成長したのかもしれない。

 だが。

(私が変わったのです)

 ディアナは、立ち上がり、窓辺へ向かう。

 外では、いつも通りの公爵邸の日常が流れている。

 整えられた秩序。
 静かな安心。

(……ここでは)

 誰も、彼女に“整えること”を強要しない。

 誰も、彼女を“重い”とは言わない。

 むしろ――
 それを当然の一部として、受け入れている。

 そこへ、控えめなノック。

「……入っていいか」

 クロヴィスだった。

「ええ」

 彼は、ディアナの手元の手紙に視線を落とし、すぐに理解した。

「……来たか」

「はい」

 ディアナは、隠さなかった。

「読みました」

「どうする」

 第16話と同じ問い。
 だが、重みは違う。

 ディアナは、しばらく沈黙した。

「……返事は、書きます」

 クロヴィスの眉が、わずかに動く。

「会うのか」

「いいえ」

 きっぱりと否定する。

「会う必要はありません」 「ですが……区切りは、つけます」

 クロヴィスは、何も言わずに頷いた。

「内容は、あなたの自由だ」

 その言葉が、
 どれほど彼女を安心させているか。

 クロヴィスは、知らない。

 夜。

 ディアナは、机に向かい、便箋を広げた。

 しばらく、何も書けない。

(……責める言葉は、簡単です)

 でも、それはしない。

 彼女は、ゆっくりとペンを走らせた。

『お手紙、拝見しました』

『率直なお気持ちを
 伝えてくださったことには
 感謝いたします』

 ここで、少しだけ迷い――
 続ける。

『ですが
 私はもう
 過去に戻ることはありません』

『あのとき
 私は、あなたを支える役割を
 無意識のうちに
 自分に課していました』

『それが
 あなたにとって
 重かったのであれば
 ――それは
 正しい別れだったのだと思います』

 手が、止まらない。

『今の私は
 誰かの不足を補う存在ではありません』

『必要とされるかどうかを
 不安に思うこともありません』

 そして、最後。

『どうか
 ご自身の選んだ道を
 大切になさってください』

『私も
 私の選んだ場所で
 生きていきます』

 署名は、
 ディアナ・フォン・ヴァイスリーベ

 それだけ。

 書き終えた瞬間、
 胸の奥にあった重みが、すっと消えた。

(……終わりましたわね)

 手紙は、静かに封をされる。

 それを見届けながら、クロヴィスは何も言わなかった。

 ただ。

(……彼女は、戻らない)

 それだけは、はっきりと理解した。

 一方、王宮。

 エドガルドは、届いた返書を読み終え、しばらく動けなかった。

 責められていない。
 だが――。

(……完全に、線を引かれた)

 優しさの形をした、決別。

 それが、何よりも重かった。

 王太子は、ゆっくりと目を閉じる。

 遅すぎた。

 だが、
 その“遅さ”の代償は、
 これから、さらに明確になっていく。

 そしてディアナは――
 もう、振り返らなかった。


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