32 / 41
第32話 選び直した二人に向けられる視線
しおりを挟む
第32話 選び直した二人に向けられる視線
変化は、いつも静かに始まる。
だが、広がるときは一瞬だ。
シュヴァルツハルト公爵邸で、ディアナとクロヴィスが並んで公の場に姿を見せるようになってから、王都の空気は微妙に変わっていた。
派手な発表は、していない。
婚姻の再宣言も、愛を誓う式典もない。
それでも――
「白い結婚ではなくなった」
という事実は、見る者にははっきりと伝わっていた。
「……最近の公爵夫妻、雰囲気が違いません?」 「ええ。以前は距離がありましたけれど……」 「今は、自然ですわね」
茶会の席で、そんな声が囁かれる。
好奇の視線。
探るような目。
それは、悪意だけではない。
期待と戸惑いが混じった視線だった。
ディアナは、それらを正面から受け止めていた。
(……見られることには、慣れています)
王太子の婚約者だった頃から、
視線は常に付きまとってきた。
だが、今は違う。
恐れも、身構えもない。
クロヴィスが、隣にいる。
それだけで、足元が揺らがなかった。
***
ある日の午後。
公爵邸に、来客があった。
王都有数の名門伯爵家の夫人。
社交界では、影響力のある人物だ。
「お久しぶりですわ、ディアナ様」
「ご無沙汰しております」
丁寧な挨拶のあと、
茶が運ばれる。
世間話の流れで、
夫人はふと切り出した。
「……差し出がましいとは思いますけれど」
視線が、柔らかくも鋭くなる。
「最近のご様子を拝見して」 「少し、安心いたしましたの」
「安心、ですか?」
「ええ」
夫人は、微笑む。
「以前は――」 「ご自分を、随分と抑えていらしたように見えましたから」
ディアナは、驚いた。
(……見られていたのですね)
「今は」 「ここにいても、無理をしていない」 「そう感じます」
ディアナは、静かに息を吸い、答えた。
「……ありがとうございます」
それ以上の説明は、不要だった。
夫人は満足そうに頷き、
話題を変えた。
だがその一言は、
ディアナの胸に深く残った。
***
一方で。
すべてが好意的、というわけではない。
「調子に乗っている」 「結局、公爵の庇護が欲しかっただけでは?」
そんな声も、確かに存在する。
かつて、ディアナを
「使いやすい令嬢」と見ていた者たち。
彼女が“自分の意思で立っている”姿は、
彼らにとって都合が悪い。
だが。
その声は、以前ほど大きくならなかった。
なぜなら――
反論する者が、増えたからだ。
「結果を見なさい」 「彼女は、責任から逃げなかった」
「誰かの陰に隠れるなら」 「断罪の場に、立つ必要はなかったでしょう」
評価は、少しずつ塗り替えられていく。
それは、劇的な逆転ではない。
だが確実な、
信頼の積み重ねだった。
***
夜。
書斎で仕事を終えたディアナは、
窓際に立ち、外を眺めていた。
そこへ、クロヴィスが入ってくる。
「……今日は、どうだった」
「穏やかでしたわ」
少し考えてから、付け加える。
「良くも、悪くも」
クロヴィスは、察したように頷く。
「周囲は、まだ様子見だ」
「ええ」
ディアナは、振り返る。
「でも」 「以前のように、怖くはありません」
「なぜだ?」
彼女は、迷わず答えた。
「選んだからです」
誰かに与えられた立場ではなく。
流されて受け入れた役割でもなく。
「自分で、ここに立つと決めたから」
クロヴィスは、静かに微笑んだ。
「……強くなったな」
「いいえ」
ディアナは、首を振る。
「弱いままです」 「ただ、逃げなくなっただけ」
クロヴィスは、その言葉を噛みしめる。
「それが、一番難しい」
「そうですね」
二人は、並んで窓の外を見る。
夜の庭園には、柔らかな灯りが点っている。
白い結婚の頃には、
見えなかった景色だ。
***
翌日。
ディアナは、一つの決断をした。
領内の孤児院支援に、
自ら名前を出して関わること。
これまでは、公爵家名義。
あるいは、匿名だった。
だが今は――
「“ディアナ・フォン・ヴァイスリーベ”として」 「責任を持ちます」
周囲は、少し驚いた。
だが、反対は少なかった。
それが、
積み重ねの結果だった。
ディアナは、書類に署名しながら思う。
(……私はもう)
(過去の肩書きだけの人間ではない)
選び直した人生は、
こうして形になっていく。
静かに。
だが、確実に。
外では、風が木々を揺らしていた。
それは、不安を煽る音ではない。
前へ進むための、追い風だった。
変化は、いつも静かに始まる。
だが、広がるときは一瞬だ。
シュヴァルツハルト公爵邸で、ディアナとクロヴィスが並んで公の場に姿を見せるようになってから、王都の空気は微妙に変わっていた。
派手な発表は、していない。
婚姻の再宣言も、愛を誓う式典もない。
それでも――
「白い結婚ではなくなった」
という事実は、見る者にははっきりと伝わっていた。
「……最近の公爵夫妻、雰囲気が違いません?」 「ええ。以前は距離がありましたけれど……」 「今は、自然ですわね」
茶会の席で、そんな声が囁かれる。
好奇の視線。
探るような目。
それは、悪意だけではない。
期待と戸惑いが混じった視線だった。
ディアナは、それらを正面から受け止めていた。
(……見られることには、慣れています)
王太子の婚約者だった頃から、
視線は常に付きまとってきた。
だが、今は違う。
恐れも、身構えもない。
クロヴィスが、隣にいる。
それだけで、足元が揺らがなかった。
***
ある日の午後。
公爵邸に、来客があった。
王都有数の名門伯爵家の夫人。
社交界では、影響力のある人物だ。
「お久しぶりですわ、ディアナ様」
「ご無沙汰しております」
丁寧な挨拶のあと、
茶が運ばれる。
世間話の流れで、
夫人はふと切り出した。
「……差し出がましいとは思いますけれど」
視線が、柔らかくも鋭くなる。
「最近のご様子を拝見して」 「少し、安心いたしましたの」
「安心、ですか?」
「ええ」
夫人は、微笑む。
「以前は――」 「ご自分を、随分と抑えていらしたように見えましたから」
ディアナは、驚いた。
(……見られていたのですね)
「今は」 「ここにいても、無理をしていない」 「そう感じます」
ディアナは、静かに息を吸い、答えた。
「……ありがとうございます」
それ以上の説明は、不要だった。
夫人は満足そうに頷き、
話題を変えた。
だがその一言は、
ディアナの胸に深く残った。
***
一方で。
すべてが好意的、というわけではない。
「調子に乗っている」 「結局、公爵の庇護が欲しかっただけでは?」
そんな声も、確かに存在する。
かつて、ディアナを
「使いやすい令嬢」と見ていた者たち。
彼女が“自分の意思で立っている”姿は、
彼らにとって都合が悪い。
だが。
その声は、以前ほど大きくならなかった。
なぜなら――
反論する者が、増えたからだ。
「結果を見なさい」 「彼女は、責任から逃げなかった」
「誰かの陰に隠れるなら」 「断罪の場に、立つ必要はなかったでしょう」
評価は、少しずつ塗り替えられていく。
それは、劇的な逆転ではない。
だが確実な、
信頼の積み重ねだった。
***
夜。
書斎で仕事を終えたディアナは、
窓際に立ち、外を眺めていた。
そこへ、クロヴィスが入ってくる。
「……今日は、どうだった」
「穏やかでしたわ」
少し考えてから、付け加える。
「良くも、悪くも」
クロヴィスは、察したように頷く。
「周囲は、まだ様子見だ」
「ええ」
ディアナは、振り返る。
「でも」 「以前のように、怖くはありません」
「なぜだ?」
彼女は、迷わず答えた。
「選んだからです」
誰かに与えられた立場ではなく。
流されて受け入れた役割でもなく。
「自分で、ここに立つと決めたから」
クロヴィスは、静かに微笑んだ。
「……強くなったな」
「いいえ」
ディアナは、首を振る。
「弱いままです」 「ただ、逃げなくなっただけ」
クロヴィスは、その言葉を噛みしめる。
「それが、一番難しい」
「そうですね」
二人は、並んで窓の外を見る。
夜の庭園には、柔らかな灯りが点っている。
白い結婚の頃には、
見えなかった景色だ。
***
翌日。
ディアナは、一つの決断をした。
領内の孤児院支援に、
自ら名前を出して関わること。
これまでは、公爵家名義。
あるいは、匿名だった。
だが今は――
「“ディアナ・フォン・ヴァイスリーベ”として」 「責任を持ちます」
周囲は、少し驚いた。
だが、反対は少なかった。
それが、
積み重ねの結果だった。
ディアナは、書類に署名しながら思う。
(……私はもう)
(過去の肩書きだけの人間ではない)
選び直した人生は、
こうして形になっていく。
静かに。
だが、確実に。
外では、風が木々を揺らしていた。
それは、不安を煽る音ではない。
前へ進むための、追い風だった。
0
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢、休職致します
碧井 汐桜香
ファンタジー
そのキツい目つきと高飛車な言動から悪役令嬢として中傷されるサーシャ・ツンドール公爵令嬢。王太子殿下の婚約者候補として、他の婚約者候補の妨害をするように父に言われて、実行しているのも一因だろう。
しかし、ある日突然身体が動かなくなり、母のいる領地で療養することに。
作中、主人公が精神を病む描写があります。ご注意ください。
作品内に登場する医療行為や病気、治療などは創作です。作者は医療従事者ではありません。実際の症状や治療に関する判断は、必ず医師など専門家にご相談ください。
あっ、追放されちゃった…。
satomi
恋愛
ガイダール侯爵家の長女であるパールは精霊の話を聞くことができる。がそのことは誰にも話してはいない。亡き母との約束。
母が亡くなって喪も明けないうちに義母を父は連れてきた。義妹付きで。義妹はパールのものをなんでも欲しがった。事前に精霊の話を聞いていたパールは対処なりをできていたけれど、これは…。
ついにウラルはパールの婚約者である王太子を横取りした。
そのことについては王太子は特に魅力のある人ではないし、なんにも感じなかったのですが、王宮内でも噂になり、家の恥だと、家まで追い出されてしまったのです。
精霊さんのアドバイスによりブルハング帝国へと行ったパールですが…。
ちゃんと忠告をしましたよ?
柚木ゆず
ファンタジー
ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。
「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」
アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。
アゼット様。まだ間に合います。
今なら、引き返せますよ?
※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです
藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。
家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。
その“褒賞”として押しつけられたのは――
魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。
けれど私は、絶望しなかった。
むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。
そして、予想外の出来事が起きる。
――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。
「君をひとりで行かせるわけがない」
そう言って微笑む勇者レオン。
村を守るため剣を抜く騎士。
魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。
物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。
彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。
気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き――
いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。
もう、誰にも振り回されない。
ここが私の新しい居場所。
そして、隣には――かつての仲間たちがいる。
捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。
これは、そんな私の第二の人生の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる