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第31話 その後に残った静けさ
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第31話 その後に残った静けさ
王都は、何事もなかったかのように動いていた。
市場は開き、人々は行き交い、
噂話は次の話題へと移っていく。
――王太子エドガルド・ヴァルシュタイン失脚。
数日前までは王都中を覆っていたその話題も、
今や「知っている者だけが覚えている出来事」になりつつあった。
それが、世界の常だ。
ディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、
シュヴァルツハルト公爵邸の庭園を歩いていた。
初夏の光が、葉の隙間から柔らかく差し込む。
花々は変わらず咲き、風は穏やかだ。
「……本当に、終わったのですね」
ぽつりと漏れた言葉は、
誰に向けたものでもなかった。
断罪は終わった。
裁きは下った。
けれど、胸の奥に残るのは、
高揚でも、勝利感でもない。
静けさだった。
そこへ、足音が近づく。
「……ここにいたか」
クロヴィス・フォン・シュヴァルツハルトだった。
「ええ」
ディアナは振り返り、微笑む。
「少し、風に当たりたくて」
クロヴィスは、彼女の隣に立つ。
二人の間に、沈黙が落ちる。
だが、それは気まずいものではない。
必要のない言葉を、
無理に探す必要がない沈黙だ。
「……王宮から、正式な通達が来た」
クロヴィスが、先に口を開く。
「処分は、確定した」 「覆ることはない」
「そう……」
ディアナは、ゆっくりと頷いた。
「では、もう」 「過去に、引き戻されることはありませんね」
「ああ」
クロヴィスは、短く答える。
その言葉に、
ディアナは小さく息を吐いた。
(……ようやく)
(“その後”を、生きられる)
***
午後。
ディアナは、執務室の一角で書類を整理していた。
公爵夫人としての役目。
それは、飾りではない。
領内から届く陳情。
孤児院の支援要請。
商会からの相談。
王宮にいた頃は、
こうしたものは“調整役”として処理してきた。
だが今は違う。
(……自分で、決めている)
小さなことかもしれない。
だが、確実に。
そこへ、侍女が控えめに声をかける。
「奥様」 「王都からの手紙が……数通」
「ありがとうございます」
差し出された封筒に、
ディアナは目を通した。
内容は、似通っている。
『お疲れ様でした』
『大変な時期でしたね』
『今後のご活躍を――』
そして、その中に。
――見覚えのある筆跡。
「……」
一通だけ、開かずに置く。
差出人は、
かつて“理解者”だと思っていた人物。
王宮で、彼女のそばにいた者。
(……もう、必要ありません)
ディアナは、その手紙を机の引き出しにしまい、
鍵をかけた。
忘れるためではない。
終わらせるためだ。
***
夕刻。
書類仕事を終えたディアナは、
屋敷の回廊を歩いていた。
そこへ、クロヴィスが現れる。
「……時間は、取れるか」
「はい」
即答だった。
「お話が、ありますか」
「ああ」
少し、間を置いて。
「これからのことだ」
ディアナの足が、止まる。
(……来ましたわね)
避けては通れない話。
白い結婚。
契約として始まった関係。
ざまぁのための舞台装置。
だが今、その前提は――
すでに崩れている。
庭園のベンチに腰掛け、
二人は向かい合った。
クロヴィスは、珍しく言葉を選んでいる。
「……王太子の件が終わった以上」 「あなたは、完全に自由だ」
ディアナは、黙って聞く。
「白い結婚の条件も」 「契約としては、すでに役目を終えた」
それは、
解消の提案でもあった。
「……だから」
クロヴィスは、視線を上げる。
「改めて、聞きたい」
まっすぐに。
「あなたは」 「これから、どう生きたい」
ディアナは、すぐには答えなかった。
胸に手を当てる。
王宮で生きた日々。
切り捨てられた婚約。
白い結婚。
断罪の場。
すべてを越えて、
今ここにいる自分。
「……私は」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「“選ばれる人生”を、終わらせたいです」
クロヴィスは、何も言わない。
「誰かに必要とされるかどうかで」 「自分の価値が決まる人生は」 「もう、十分でした」
一息ついて、続ける。
「だから」 「これからは――」
顔を上げ、彼を見る。
「自分で選びたい」
どこで生きるか。
誰と笑うか。
何を大切にするか。
「……ここでの生活は」 「私が、選んだものです」
クロヴィスの表情が、わずかに変わる。
「……それは」
「はい」
ディアナは、はっきりと言った。
「今も、変わりません」
沈黙。
だが、今度の沈黙は。
未来へ向かうための間だった。
クロヴィスは、深く息を吸い、
そして言った。
「……なら」
静かに。
「俺も、選ばせてほしい」
ディアナの目が、少し見開かれる。
「あなたの隣に立つことを」
それは、
公爵としての宣言ではない。
一人の人間としての言葉だった。
ディアナは、微笑んだ。
「……それは」
少しだけ、意地悪そうに。
「白い結婚の条件には、含まれていませんわね」
クロヴィスは、苦笑する。
「承知している」
「なら」
ディアナは、立ち上がり、
彼に手を差し出した。
「新しく、選び直しましょう」
白ではなく。
契約でもなく。
自分たちの意思で。
クロヴィスは、その手を取った。
ゆっくりと。
確かめるように。
夕陽が、庭園を黄金色に染める。
ざまぁは終わった。
裁きも、終わった。
けれど。
物語は、まだ続いていく。
それはもう、
誰かに奪われるための人生ではない。
――自分で選び続ける、人生だ。
---
王都は、何事もなかったかのように動いていた。
市場は開き、人々は行き交い、
噂話は次の話題へと移っていく。
――王太子エドガルド・ヴァルシュタイン失脚。
数日前までは王都中を覆っていたその話題も、
今や「知っている者だけが覚えている出来事」になりつつあった。
それが、世界の常だ。
ディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、
シュヴァルツハルト公爵邸の庭園を歩いていた。
初夏の光が、葉の隙間から柔らかく差し込む。
花々は変わらず咲き、風は穏やかだ。
「……本当に、終わったのですね」
ぽつりと漏れた言葉は、
誰に向けたものでもなかった。
断罪は終わった。
裁きは下った。
けれど、胸の奥に残るのは、
高揚でも、勝利感でもない。
静けさだった。
そこへ、足音が近づく。
「……ここにいたか」
クロヴィス・フォン・シュヴァルツハルトだった。
「ええ」
ディアナは振り返り、微笑む。
「少し、風に当たりたくて」
クロヴィスは、彼女の隣に立つ。
二人の間に、沈黙が落ちる。
だが、それは気まずいものではない。
必要のない言葉を、
無理に探す必要がない沈黙だ。
「……王宮から、正式な通達が来た」
クロヴィスが、先に口を開く。
「処分は、確定した」 「覆ることはない」
「そう……」
ディアナは、ゆっくりと頷いた。
「では、もう」 「過去に、引き戻されることはありませんね」
「ああ」
クロヴィスは、短く答える。
その言葉に、
ディアナは小さく息を吐いた。
(……ようやく)
(“その後”を、生きられる)
***
午後。
ディアナは、執務室の一角で書類を整理していた。
公爵夫人としての役目。
それは、飾りではない。
領内から届く陳情。
孤児院の支援要請。
商会からの相談。
王宮にいた頃は、
こうしたものは“調整役”として処理してきた。
だが今は違う。
(……自分で、決めている)
小さなことかもしれない。
だが、確実に。
そこへ、侍女が控えめに声をかける。
「奥様」 「王都からの手紙が……数通」
「ありがとうございます」
差し出された封筒に、
ディアナは目を通した。
内容は、似通っている。
『お疲れ様でした』
『大変な時期でしたね』
『今後のご活躍を――』
そして、その中に。
――見覚えのある筆跡。
「……」
一通だけ、開かずに置く。
差出人は、
かつて“理解者”だと思っていた人物。
王宮で、彼女のそばにいた者。
(……もう、必要ありません)
ディアナは、その手紙を机の引き出しにしまい、
鍵をかけた。
忘れるためではない。
終わらせるためだ。
***
夕刻。
書類仕事を終えたディアナは、
屋敷の回廊を歩いていた。
そこへ、クロヴィスが現れる。
「……時間は、取れるか」
「はい」
即答だった。
「お話が、ありますか」
「ああ」
少し、間を置いて。
「これからのことだ」
ディアナの足が、止まる。
(……来ましたわね)
避けては通れない話。
白い結婚。
契約として始まった関係。
ざまぁのための舞台装置。
だが今、その前提は――
すでに崩れている。
庭園のベンチに腰掛け、
二人は向かい合った。
クロヴィスは、珍しく言葉を選んでいる。
「……王太子の件が終わった以上」 「あなたは、完全に自由だ」
ディアナは、黙って聞く。
「白い結婚の条件も」 「契約としては、すでに役目を終えた」
それは、
解消の提案でもあった。
「……だから」
クロヴィスは、視線を上げる。
「改めて、聞きたい」
まっすぐに。
「あなたは」 「これから、どう生きたい」
ディアナは、すぐには答えなかった。
胸に手を当てる。
王宮で生きた日々。
切り捨てられた婚約。
白い結婚。
断罪の場。
すべてを越えて、
今ここにいる自分。
「……私は」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「“選ばれる人生”を、終わらせたいです」
クロヴィスは、何も言わない。
「誰かに必要とされるかどうかで」 「自分の価値が決まる人生は」 「もう、十分でした」
一息ついて、続ける。
「だから」 「これからは――」
顔を上げ、彼を見る。
「自分で選びたい」
どこで生きるか。
誰と笑うか。
何を大切にするか。
「……ここでの生活は」 「私が、選んだものです」
クロヴィスの表情が、わずかに変わる。
「……それは」
「はい」
ディアナは、はっきりと言った。
「今も、変わりません」
沈黙。
だが、今度の沈黙は。
未来へ向かうための間だった。
クロヴィスは、深く息を吸い、
そして言った。
「……なら」
静かに。
「俺も、選ばせてほしい」
ディアナの目が、少し見開かれる。
「あなたの隣に立つことを」
それは、
公爵としての宣言ではない。
一人の人間としての言葉だった。
ディアナは、微笑んだ。
「……それは」
少しだけ、意地悪そうに。
「白い結婚の条件には、含まれていませんわね」
クロヴィスは、苦笑する。
「承知している」
「なら」
ディアナは、立ち上がり、
彼に手を差し出した。
「新しく、選び直しましょう」
白ではなく。
契約でもなく。
自分たちの意思で。
クロヴィスは、その手を取った。
ゆっくりと。
確かめるように。
夕陽が、庭園を黄金色に染める。
ざまぁは終わった。
裁きも、終わった。
けれど。
物語は、まだ続いていく。
それはもう、
誰かに奪われるための人生ではない。
――自分で選び続ける、人生だ。
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