白い結婚のはずでしたが、選ぶ人生を取り戻しました

ふわふわ

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第32話 選び直した二人に向けられる視線

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第32話 選び直した二人に向けられる視線

 変化は、いつも静かに始まる。

 だが、広がるときは一瞬だ。

 シュヴァルツハルト公爵邸で、ディアナとクロヴィスが並んで公の場に姿を見せるようになってから、王都の空気は微妙に変わっていた。

 派手な発表は、していない。

 婚姻の再宣言も、愛を誓う式典もない。

 それでも――
 「白い結婚ではなくなった」
 という事実は、見る者にははっきりと伝わっていた。

「……最近の公爵夫妻、雰囲気が違いません?」 「ええ。以前は距離がありましたけれど……」 「今は、自然ですわね」

 茶会の席で、そんな声が囁かれる。

 好奇の視線。
 探るような目。

 それは、悪意だけではない。

 期待と戸惑いが混じった視線だった。

 ディアナは、それらを正面から受け止めていた。

(……見られることには、慣れています)

 王太子の婚約者だった頃から、
 視線は常に付きまとってきた。

 だが、今は違う。

 恐れも、身構えもない。

 クロヴィスが、隣にいる。

 それだけで、足元が揺らがなかった。

 ***

 ある日の午後。

 公爵邸に、来客があった。

 王都有数の名門伯爵家の夫人。
 社交界では、影響力のある人物だ。

「お久しぶりですわ、ディアナ様」

「ご無沙汰しております」

 丁寧な挨拶のあと、
 茶が運ばれる。

 世間話の流れで、
 夫人はふと切り出した。

「……差し出がましいとは思いますけれど」

 視線が、柔らかくも鋭くなる。

「最近のご様子を拝見して」 「少し、安心いたしましたの」

「安心、ですか?」

「ええ」

 夫人は、微笑む。

「以前は――」 「ご自分を、随分と抑えていらしたように見えましたから」

 ディアナは、驚いた。

(……見られていたのですね)

「今は」 「ここにいても、無理をしていない」 「そう感じます」

 ディアナは、静かに息を吸い、答えた。

「……ありがとうございます」

 それ以上の説明は、不要だった。

 夫人は満足そうに頷き、
 話題を変えた。

 だがその一言は、
 ディアナの胸に深く残った。

 ***

 一方で。

 すべてが好意的、というわけではない。

「調子に乗っている」 「結局、公爵の庇護が欲しかっただけでは?」

 そんな声も、確かに存在する。

 かつて、ディアナを
 「使いやすい令嬢」と見ていた者たち。

 彼女が“自分の意思で立っている”姿は、
 彼らにとって都合が悪い。

 だが。

 その声は、以前ほど大きくならなかった。

 なぜなら――
 反論する者が、増えたからだ。

「結果を見なさい」 「彼女は、責任から逃げなかった」

「誰かの陰に隠れるなら」 「断罪の場に、立つ必要はなかったでしょう」

 評価は、少しずつ塗り替えられていく。

 それは、劇的な逆転ではない。

 だが確実な、
 信頼の積み重ねだった。

 ***

 夜。

 書斎で仕事を終えたディアナは、
 窓際に立ち、外を眺めていた。

 そこへ、クロヴィスが入ってくる。

「……今日は、どうだった」

「穏やかでしたわ」

 少し考えてから、付け加える。

「良くも、悪くも」

 クロヴィスは、察したように頷く。

「周囲は、まだ様子見だ」

「ええ」

 ディアナは、振り返る。

「でも」 「以前のように、怖くはありません」

「なぜだ?」

 彼女は、迷わず答えた。

「選んだからです」

 誰かに与えられた立場ではなく。
 流されて受け入れた役割でもなく。

「自分で、ここに立つと決めたから」

 クロヴィスは、静かに微笑んだ。

「……強くなったな」

「いいえ」

 ディアナは、首を振る。

「弱いままです」 「ただ、逃げなくなっただけ」

 クロヴィスは、その言葉を噛みしめる。

「それが、一番難しい」

「そうですね」

 二人は、並んで窓の外を見る。

 夜の庭園には、柔らかな灯りが点っている。

 白い結婚の頃には、
 見えなかった景色だ。

 ***

 翌日。

 ディアナは、一つの決断をした。

 領内の孤児院支援に、
 自ら名前を出して関わること。

 これまでは、公爵家名義。
 あるいは、匿名だった。

 だが今は――

「“ディアナ・フォン・ヴァイスリーベ”として」 「責任を持ちます」

 周囲は、少し驚いた。

 だが、反対は少なかった。

 それが、
 積み重ねの結果だった。

 ディアナは、書類に署名しながら思う。

(……私はもう)

(過去の肩書きだけの人間ではない)

 選び直した人生は、
 こうして形になっていく。

 静かに。
 だが、確実に。

 外では、風が木々を揺らしていた。

 それは、不安を煽る音ではない。

 前へ進むための、追い風だった。
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