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第39話 未来を語る夜
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第39話 未来を語る夜
夜は、すべてを正直にする。
喧騒が消え、役割が外れ、
人はようやく「自分自身」に戻れる。
***
その夜、シュヴァルツハルト公爵邸は静かだった。
使用人たちは必要最低限の動きだけを残し、
屋敷全体が、眠りにつく準備をしている。
ディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、書斎の灯りを落とし、
ゆっくりと廊下を歩いていた。
(……少し、疲れましたわね)
第38話で下した判断の余波は、
まだ完全には収まっていない。
商会からの追加質問。
貴族からの探るような視線。
制度への評価と、批判。
それらを一つ一つ受け止め、
整理し、説明し、前に進める。
やりがいはある。
誇りも、ある。
だが――
人として、疲れないわけがない。
庭園に出ると、
夜風が頬を撫でた。
月明かりの下、
ベンチに一人、座る。
「……ここにいると思った」
背後から、クロヴィスの声。
振り返ると、
外套を羽織った彼が立っていた。
「顔に出ていたか」
「少しな」
クロヴィスは、彼女の隣に腰を下ろす。
しばらく、言葉はない。
だが、それでいい。
無理に埋める沈黙は、
もう二人には必要なかった。
***
「……後悔は、していないか」
クロヴィスが、先に切り出す。
唐突だが、
聞くべきことだと分かっている声だった。
ディアナは、少し考えてから答える。
「いいえ」
即答ではない。
だが、迷いでもない。
「怖さは、あります」 「正直に言えば」
視線を落とし、続ける。
「制度が失敗したら」 「誰かが傷ついたら」 「責任は、私に返ってきます」
クロヴィスは、黙って聞いている。
「でも」 「だからといって、戻りたいとは思いません」
王宮で、選ばれるだけの立場に。
安全だが、空虚な場所に。
「今は」 「自分の判断が、現実を動かしている」
「それが」 「嬉しいのです」
クロヴィスは、深く息を吸い、
そして言った。
「……なら、いい」
それだけ。
評価も、助言もない。
肯定だった。
***
しばらくして、
今度はディアナが口を開く。
「……あなたは」
言葉を探す。
「後悔は、ありませんか」
「何についてだ」
「私を」 「ここまで前に出させたこと」
制度の顔として。
批判の矢面として。
責任を背負う立場として。
クロヴィスは、即答した。
「ない」
あまりにも迷いがなく、
ディアナは思わず笑ってしまう。
「……少しは、考えてください」
「考えた上で、だ」
クロヴィスは、月を見上げる。
「俺は」 「領を治める人間だ」
「だが」 「すべてを自分で決める必要はない」
視線を、彼女へ。
「信じて任せることも」 「責任の一部だ」
ディアナは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……あなたは」
「うん?」
「不思議な方ですね」
「よく言われる」
少しだけ、口元が緩む。
***
再び、沈黙。
だが、今度は――
言葉を待つ沈黙だった。
ディアナは、意を決して口を開く。
「……これから先のことを」 「考えていました」
「ほう」
「制度の拡大」 「他領との連携」 「いずれは、王都とも」
夢物語ではない。
現実的な展望だ。
「ですが」
一拍。
「同時に」 「怖くもなったのです」
クロヴィスが、静かに促す。
「何が」
「……私が」 「前に出続けたら」
王宮での記憶が、よぎる。
「また、何かに利用されるのではないかと」
ディアナは、正直だった。
それは、過去の傷だ。
クロヴィスは、少し考え、
そして、はっきりと言った。
「その時は」 「止める」
「……え?」
「俺が」
短く、しかし明確に。
「あなたが」 「自分を見失いそうになったら」 「引き戻す」
ディアナは、言葉を失った。
「それが」 「隣に立つ人間の役目だろう」
胸の奥が、熱くなる。
「……それは」
「約束だ」
それ以上は、言わなかった。
***
夜が、深まる。
月は高く、
庭園は静寂に包まれている。
「……私」
ディアナは、そっと言う。
「この先も」 「きっと、迷います」
「だろうな」
「立ち止まることも」 「間違えることも、あるでしょう」
「それも、ある」
「でも」
顔を上げ、彼を見る。
「それでも」 「進みたいです」
クロヴィスは、頷いた。
「なら」 「一緒に、進もう」
それは、誓いではない。
契約でもない。
選び続けるという合意だった。
***
部屋へ戻る前、
ディアナはふと足を止めた。
「……明日で」
「うん?」
「すべてが、一区切りですね」
断罪。
白い結婚。
選び直し。
クロヴィスは、静かに答える。
「ああ」
「だが」 「終わりではない」
「ええ」
ディアナは、微笑んだ。
「始まり、ですね」
二人は、並んで屋敷へ戻る。
寄り添いすぎず、
離れすぎず。
それが、今の距離。
だが、その距離は――
もう、誰にも引き裂けない。
夜は、静かに更けていく。
明日。
物語は、静かに幕を下ろす。
だが――
二人の人生は、
これからも続いていく。
夜は、すべてを正直にする。
喧騒が消え、役割が外れ、
人はようやく「自分自身」に戻れる。
***
その夜、シュヴァルツハルト公爵邸は静かだった。
使用人たちは必要最低限の動きだけを残し、
屋敷全体が、眠りにつく準備をしている。
ディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、書斎の灯りを落とし、
ゆっくりと廊下を歩いていた。
(……少し、疲れましたわね)
第38話で下した判断の余波は、
まだ完全には収まっていない。
商会からの追加質問。
貴族からの探るような視線。
制度への評価と、批判。
それらを一つ一つ受け止め、
整理し、説明し、前に進める。
やりがいはある。
誇りも、ある。
だが――
人として、疲れないわけがない。
庭園に出ると、
夜風が頬を撫でた。
月明かりの下、
ベンチに一人、座る。
「……ここにいると思った」
背後から、クロヴィスの声。
振り返ると、
外套を羽織った彼が立っていた。
「顔に出ていたか」
「少しな」
クロヴィスは、彼女の隣に腰を下ろす。
しばらく、言葉はない。
だが、それでいい。
無理に埋める沈黙は、
もう二人には必要なかった。
***
「……後悔は、していないか」
クロヴィスが、先に切り出す。
唐突だが、
聞くべきことだと分かっている声だった。
ディアナは、少し考えてから答える。
「いいえ」
即答ではない。
だが、迷いでもない。
「怖さは、あります」 「正直に言えば」
視線を落とし、続ける。
「制度が失敗したら」 「誰かが傷ついたら」 「責任は、私に返ってきます」
クロヴィスは、黙って聞いている。
「でも」 「だからといって、戻りたいとは思いません」
王宮で、選ばれるだけの立場に。
安全だが、空虚な場所に。
「今は」 「自分の判断が、現実を動かしている」
「それが」 「嬉しいのです」
クロヴィスは、深く息を吸い、
そして言った。
「……なら、いい」
それだけ。
評価も、助言もない。
肯定だった。
***
しばらくして、
今度はディアナが口を開く。
「……あなたは」
言葉を探す。
「後悔は、ありませんか」
「何についてだ」
「私を」 「ここまで前に出させたこと」
制度の顔として。
批判の矢面として。
責任を背負う立場として。
クロヴィスは、即答した。
「ない」
あまりにも迷いがなく、
ディアナは思わず笑ってしまう。
「……少しは、考えてください」
「考えた上で、だ」
クロヴィスは、月を見上げる。
「俺は」 「領を治める人間だ」
「だが」 「すべてを自分で決める必要はない」
視線を、彼女へ。
「信じて任せることも」 「責任の一部だ」
ディアナは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……あなたは」
「うん?」
「不思議な方ですね」
「よく言われる」
少しだけ、口元が緩む。
***
再び、沈黙。
だが、今度は――
言葉を待つ沈黙だった。
ディアナは、意を決して口を開く。
「……これから先のことを」 「考えていました」
「ほう」
「制度の拡大」 「他領との連携」 「いずれは、王都とも」
夢物語ではない。
現実的な展望だ。
「ですが」
一拍。
「同時に」 「怖くもなったのです」
クロヴィスが、静かに促す。
「何が」
「……私が」 「前に出続けたら」
王宮での記憶が、よぎる。
「また、何かに利用されるのではないかと」
ディアナは、正直だった。
それは、過去の傷だ。
クロヴィスは、少し考え、
そして、はっきりと言った。
「その時は」 「止める」
「……え?」
「俺が」
短く、しかし明確に。
「あなたが」 「自分を見失いそうになったら」 「引き戻す」
ディアナは、言葉を失った。
「それが」 「隣に立つ人間の役目だろう」
胸の奥が、熱くなる。
「……それは」
「約束だ」
それ以上は、言わなかった。
***
夜が、深まる。
月は高く、
庭園は静寂に包まれている。
「……私」
ディアナは、そっと言う。
「この先も」 「きっと、迷います」
「だろうな」
「立ち止まることも」 「間違えることも、あるでしょう」
「それも、ある」
「でも」
顔を上げ、彼を見る。
「それでも」 「進みたいです」
クロヴィスは、頷いた。
「なら」 「一緒に、進もう」
それは、誓いではない。
契約でもない。
選び続けるという合意だった。
***
部屋へ戻る前、
ディアナはふと足を止めた。
「……明日で」
「うん?」
「すべてが、一区切りですね」
断罪。
白い結婚。
選び直し。
クロヴィスは、静かに答える。
「ああ」
「だが」 「終わりではない」
「ええ」
ディアナは、微笑んだ。
「始まり、ですね」
二人は、並んで屋敷へ戻る。
寄り添いすぎず、
離れすぎず。
それが、今の距離。
だが、その距離は――
もう、誰にも引き裂けない。
夜は、静かに更けていく。
明日。
物語は、静かに幕を下ろす。
だが――
二人の人生は、
これからも続いていく。
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