婚約破棄された公爵令嬢ですが、王太子を破滅させたあと静かに幸せになります

ふわふわ

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第12話 噂は静かに広がり、牙は内側から迫る

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第12話 噂は静かに広がり、牙は内側から迫る

 翌朝、森は霧に包まれていた。
 白く濁った空気が木々の間を漂い、視界は数歩先までしか利かない。昨夜の出来事が嘘だったかのような静けさだが、エレナの胸の内は、妙に冴え渡っていた。

(……あれは、偶然じゃない)

 焚き火の灰を片づけながら、エレナは昨夜の“探す側の人間”を思い返す。
 村の住民ではない。狩人とも違う。足運びは慣れていて、目的を持った動きだった。

 ――追われているのは、私だけじゃない。

 その可能性が、はっきりと形を持ち始めている。

「考え事か」

 背後から、カイルの声がした。
 彼はすでに外套を整え、森へ出る準備をしている。

「……昨夜の人たちのことです」

 エレナは正直に答えた。

「村の方向から来ていました。偶然ではないと思います」

「だろうな」

 カイルは短く頷いた。

「村で治療をしただろう。噂は、もう動き始めている」

 その言葉に、エレナは胸を押さえた。

「……やはり、魔法を使ったことが……」

「違う」

 カイルはきっぱりと言った。

「癒しの魔法そのものじゃない。“癒せる女がいる”という事実だ」

 エレナは、はっとする。

 王都では、癒しの魔法はありふれた力だと言われた。
 だが、それは宮廷という特殊な場所での話だ。

 医者も薬も不足する辺境では、一人の治療師が持つ価値は、比べものにならない。

「……狙われる、ということですか」

「利用される、という方が近い」

 カイルは静かに続けた。

「傭兵、盗賊、あるいは……どこかの貴族の手の者」

 最後の言葉に、エレナの背筋が冷える。

(……王都)

 まだ、完全に切り離されたわけではない。

「……村へは、しばらく行かない方がいいですね」

「ああ」

 カイルは同意した。

「だが、もう遅いかもしれない」

 小屋の外で、木の枝が折れる音がした。
 昨夜とは違う。足音は重く、数も多い。

「……来た」

 カイルは即座に剣に手をかける。

 エレナは、深く息を吸った。

(……逃げる?)

 だが、霧の中で逃げれば、かえって危険だ。
 そして何より――。

(……私は、もうただ守られるだけじゃない)

 エレナは、静かに一歩前へ出た。

「……私が、話します」

 カイルは驚いたように彼女を見る。

「相手は善意とは限らない」

「分かっています」

 エレナは、はっきりと答えた。

「でも……私が“どういう存在か”を示さなければ、終わりません」

 癒しの魔法使いとしてではない。
 奪われる存在としてでもない。

 ――選ぶ側として。

 霧の向こうから、人影が現れた。
 三人。粗末だが手入れの行き届いた装備。傭兵だ。

「……よう」

 先頭の男が、にやりと笑う。

「ここに、治療ができる女がいると聞いてな」

 エレナは一歩も引かず、彼らを見据えた。

「……どこで、その話を」

「村だよ。口が軽い連中だ」

 男は、遠慮なく言った。

「俺たちは悪さをしに来たわけじゃない。ちょっと、雇いたいだけだ」

「……雇う?」

「ああ」

 男は肩をすくめる。

「俺たちの仲間を治してもらう。その代わり、守ってやる。悪い話じゃないだろ」

 守る、という言葉が、やけに軽い。

 エレナは、静かに首を振った。

「……お断りします」

 男たちの笑みが、ぴたりと止まる。

「は?」

「私は、誰かに“所有”されるつもりはありません」

 その声は、震えていなかった。

「必要なら、正当な対価と条件を提示してください。それができないなら……帰ってください」

 一瞬の沈黙。
 次の瞬間、男の表情が歪む。

「……ずいぶん、偉そうだな」

 剣の柄に、手がかかる。

 カイルが前に出ようとするのを、エレナはそっと制した。

(……大丈夫)

 胸の奥で、冷たい力が静かに広がる。
 昨夜の感覚を、思い出す。

 怒りは混ぜない。
 恐怖も、混ぜない。

 ただ――境界を引く。

「……これ以上、近づかないでください」

 エレナが告げた瞬間、空気が張り詰めた。

「……また、これか……!」

 男の一人が、足を止める。

「動けねぇ……!」

 目に見えない壁が、三人を阻んでいた。

「……女、何をした」

「何も」

 エレナは、静かに答えた。

「ただ……拒んでいるだけです」

 数秒の緊張の後、先頭の男が舌打ちした。

「……面倒な女だ」

 剣から手を離し、後退する。

「今は引く。だが……覚えておけ」

 霧の中へ、三人の気配が消えていく。

 エレナは、ゆっくりと息を吐いた。

「……はぁ……」

 足から、力が抜けそうになる。

 カイルが、すぐに支えた。

「上出来だ」

 低く、しかしはっきりとした声だった。

「選んだな。自分で」

 エレナは、かすかに笑った。

「……はい」

 霧が、少しずつ晴れていく。
 木々の輪郭が、再びはっきりと見え始めた。

 噂は、確かに広がっている。
 だが、それは危機であると同時に――道標でもあった。

 エレナは理解していた。

 この先、彼女を求める者は増える。
 利用しようとする者も、支配しようとする者も現れるだろう。

 だからこそ。

 ――選ばなければならない。

 誰に力を使うのか。
 どこに立つのか。

 そして、いつか。

 この噂は、王都へも届く。

 その時、エレナはもう、追放された令嬢ではない。
 静かに、しかし確実に――“戻る力”を持つ者になっている。

 森の朝は、そう告げるかのように、静かに光を取り戻していた。

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