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第11話 呪いに触れる夜、制御への第一歩
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第11話 呪いに触れる夜、制御への第一歩
その夜、森はいつもより深い静寂に包まれていた。
焚き火の炎がぱちぱちと音を立て、赤い光が小屋の壁に揺れる影を落としている。昼間の穏やかな空気とは違い、夜の森は本来の顔を隠そうともしなかった。
エレナは焚き火の前に座り、膝の上で両手を組んでいた。
今日一日、魔力を使わないと決めて過ごしたことで、身体は驚くほど軽い。だが、その代わり、胸の奥の“もう一つの存在”が、はっきりと主張してきていた。
(……抑え込まれていた分、表に出たがっている)
癒しの魔力を前面に出している時は、奥に沈んでいた冷たい流れ。
それが今は、じわじわと意識の表層に近づいてきている。
――呪いの魔力。
怖くないと言えば、嘘になる。
だが、逃げ続けることはできないと、今日一日で思い知った。
「……まだ起きているのか」
背後から、カイルの声がした。
振り返ると、彼は外套を脱ぎ、木壁にもたれかかるように立っている。
「はい。少し……自分の魔力と向き合おうかと」
そう答えると、カイルは眉をひそめた。
「無理はするなと言ったはずだ」
「分かっています」
エレナは小さく微笑んだ。
「でも、逃げないとも決めました」
その言葉に、カイルは一瞬だけ黙り込み、それから焚き火の向かい側に腰を下ろした。
「……何をするつもりだ」
「触れてみます」
短い答えだった。
エレナは目を閉じ、深く息を吸う。
癒しの魔力を意識の表層に残したまま、その奥へと、そっと手を伸ばす感覚。
――冷たい。
それが、最初の印象だった。
水に沈めた指先のような、ひやりとした感覚が、胸の内側から広がる。
(……これが、呪い)
拒絶しようとすれば、鋭い棘のように反発してくる。
だが、今は押し返さない。ただ、そこにあると認める。
焚き火の炎が、一瞬だけ強く揺れた。
「……エレナ」
カイルの声が、わずかに低くなる。
「今、何を見ている」
「……感情、です」
目を閉じたまま、エレナは答えた。
「怒り、悔しさ、恐怖……でも、それだけじゃない」
胸の奥に、もう一つ、はっきりとした感情があった。
「……守りたい、という気持ちも」
自分でも意外だった。
呪いの力は、破壊のためだけにあると思っていた。
だが、根底にあるのは――奪われないための、強い拒絶。
(……踏み越えさせないための力)
エレナは、そっと意識を巡らせる。
呪いの魔力を、外へ向けるのではなく、自分の周囲に“壁”として広げるイメージ。
次の瞬間、空気が、ぴりりと震えた。
焚き火の炎が、一瞬だけ青白く変わる。
「……っ」
反射的に、エレナは息を詰めた。
「止めろ」
カイルが即座に立ち上がる。
「今のは……」
「大丈夫です」
エレナは、すぐに魔力を引き戻した。
胸がどくどくと脈打っているが、痛みはない。
「……今の、見ましたか」
「ああ」
カイルは短く答える。
「防御に近い。攻撃ではない」
その言葉に、エレナの胸が少しだけ軽くなる。
「やっぱり……この力、選べるんですね」
「ああ」
焚き火を見つめながら、カイルは続けた。
「呪いとは、他者を縛る力だ。だが、縛る対象は“他人”だけとは限らない」
「……自分、ですか」
「そうだ」
エレナは、ゆっくりと頷いた。
(……制御できる)
完璧ではない。
だが、確かな手応えがあった。
そのとき、小屋の外で、がさり、と音がした。
エレナとカイルは同時に顔を上げる。
「……魔物?」
「いや」
カイルは静かに首を振った。
「人間だ。二人……いや、三人いる」
エレナの胸が、きゅっと締まる。
「村の人、でしょうか」
「違う」
カイルの声が低くなる。
「気配が、慣れている。探す側の人間だ」
追っ手――という言葉が、頭をよぎった。
だが、エレナは、不思議と恐怖を感じなかった。
(……今なら)
彼女は、そっと立ち上がる。
「……私、試してもいいですか」
カイルは一瞬、驚いたようにエレナを見る。
「相手は人間だぞ」
「分かっています」
エレナは、静かに答えた。
「だからこそ……傷つけません」
呪いの魔力を、再び意識する。
今度は、相手を害するためではなく――近づかせないために。
「……五歩以上、近づけさせない」
小さく呟き、魔力を展開する。
次の瞬間、森の奥から、戸惑った声が上がった。
「……なんだ、これ……足が……」
「進めない……?」
姿は見えない。
だが、確かに、何かが“拒んでいる”。
エレナは、息を詰め、集中を保った。
怒りを混ぜない。恐怖も、混ぜない。
ただ、境界を示すだけ。
数秒後、足音が後退する。
「……ちっ、引くぞ。何かある」
やがて、気配は森の奥へ消えた。
エレナは、ふらりと膝をつく。
「……はぁ……」
カイルがすぐに支えた。
「無茶をしたな」
「……でも」
エレナは、かすかに笑った。
「……傷つけずに、守れました」
カイルは、しばらくエレナを見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……ああ。十分だ」
焚き火の炎が、再び安定した色に戻る。
その光の中で、エレナは確信していた。
――この力は、復讐のためだけにあるのではない。
奪われないために。
選び続けるために。
呪いと癒し、その狭間で、エレナはようやく“自分の力”を掴み始めていた。
それは、王都へ戻るための、確かな一歩だった。
その夜、森はいつもより深い静寂に包まれていた。
焚き火の炎がぱちぱちと音を立て、赤い光が小屋の壁に揺れる影を落としている。昼間の穏やかな空気とは違い、夜の森は本来の顔を隠そうともしなかった。
エレナは焚き火の前に座り、膝の上で両手を組んでいた。
今日一日、魔力を使わないと決めて過ごしたことで、身体は驚くほど軽い。だが、その代わり、胸の奥の“もう一つの存在”が、はっきりと主張してきていた。
(……抑え込まれていた分、表に出たがっている)
癒しの魔力を前面に出している時は、奥に沈んでいた冷たい流れ。
それが今は、じわじわと意識の表層に近づいてきている。
――呪いの魔力。
怖くないと言えば、嘘になる。
だが、逃げ続けることはできないと、今日一日で思い知った。
「……まだ起きているのか」
背後から、カイルの声がした。
振り返ると、彼は外套を脱ぎ、木壁にもたれかかるように立っている。
「はい。少し……自分の魔力と向き合おうかと」
そう答えると、カイルは眉をひそめた。
「無理はするなと言ったはずだ」
「分かっています」
エレナは小さく微笑んだ。
「でも、逃げないとも決めました」
その言葉に、カイルは一瞬だけ黙り込み、それから焚き火の向かい側に腰を下ろした。
「……何をするつもりだ」
「触れてみます」
短い答えだった。
エレナは目を閉じ、深く息を吸う。
癒しの魔力を意識の表層に残したまま、その奥へと、そっと手を伸ばす感覚。
――冷たい。
それが、最初の印象だった。
水に沈めた指先のような、ひやりとした感覚が、胸の内側から広がる。
(……これが、呪い)
拒絶しようとすれば、鋭い棘のように反発してくる。
だが、今は押し返さない。ただ、そこにあると認める。
焚き火の炎が、一瞬だけ強く揺れた。
「……エレナ」
カイルの声が、わずかに低くなる。
「今、何を見ている」
「……感情、です」
目を閉じたまま、エレナは答えた。
「怒り、悔しさ、恐怖……でも、それだけじゃない」
胸の奥に、もう一つ、はっきりとした感情があった。
「……守りたい、という気持ちも」
自分でも意外だった。
呪いの力は、破壊のためだけにあると思っていた。
だが、根底にあるのは――奪われないための、強い拒絶。
(……踏み越えさせないための力)
エレナは、そっと意識を巡らせる。
呪いの魔力を、外へ向けるのではなく、自分の周囲に“壁”として広げるイメージ。
次の瞬間、空気が、ぴりりと震えた。
焚き火の炎が、一瞬だけ青白く変わる。
「……っ」
反射的に、エレナは息を詰めた。
「止めろ」
カイルが即座に立ち上がる。
「今のは……」
「大丈夫です」
エレナは、すぐに魔力を引き戻した。
胸がどくどくと脈打っているが、痛みはない。
「……今の、見ましたか」
「ああ」
カイルは短く答える。
「防御に近い。攻撃ではない」
その言葉に、エレナの胸が少しだけ軽くなる。
「やっぱり……この力、選べるんですね」
「ああ」
焚き火を見つめながら、カイルは続けた。
「呪いとは、他者を縛る力だ。だが、縛る対象は“他人”だけとは限らない」
「……自分、ですか」
「そうだ」
エレナは、ゆっくりと頷いた。
(……制御できる)
完璧ではない。
だが、確かな手応えがあった。
そのとき、小屋の外で、がさり、と音がした。
エレナとカイルは同時に顔を上げる。
「……魔物?」
「いや」
カイルは静かに首を振った。
「人間だ。二人……いや、三人いる」
エレナの胸が、きゅっと締まる。
「村の人、でしょうか」
「違う」
カイルの声が低くなる。
「気配が、慣れている。探す側の人間だ」
追っ手――という言葉が、頭をよぎった。
だが、エレナは、不思議と恐怖を感じなかった。
(……今なら)
彼女は、そっと立ち上がる。
「……私、試してもいいですか」
カイルは一瞬、驚いたようにエレナを見る。
「相手は人間だぞ」
「分かっています」
エレナは、静かに答えた。
「だからこそ……傷つけません」
呪いの魔力を、再び意識する。
今度は、相手を害するためではなく――近づかせないために。
「……五歩以上、近づけさせない」
小さく呟き、魔力を展開する。
次の瞬間、森の奥から、戸惑った声が上がった。
「……なんだ、これ……足が……」
「進めない……?」
姿は見えない。
だが、確かに、何かが“拒んでいる”。
エレナは、息を詰め、集中を保った。
怒りを混ぜない。恐怖も、混ぜない。
ただ、境界を示すだけ。
数秒後、足音が後退する。
「……ちっ、引くぞ。何かある」
やがて、気配は森の奥へ消えた。
エレナは、ふらりと膝をつく。
「……はぁ……」
カイルがすぐに支えた。
「無茶をしたな」
「……でも」
エレナは、かすかに笑った。
「……傷つけずに、守れました」
カイルは、しばらくエレナを見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……ああ。十分だ」
焚き火の炎が、再び安定した色に戻る。
その光の中で、エレナは確信していた。
――この力は、復讐のためだけにあるのではない。
奪われないために。
選び続けるために。
呪いと癒し、その狭間で、エレナはようやく“自分の力”を掴み始めていた。
それは、王都へ戻るための、確かな一歩だった。
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