婚約破棄された公爵令嬢ですが、王太子を破滅させたあと静かに幸せになります

ふわふわ

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第19話 揺り戻しの痛み、それでも進む心

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第19話 揺り戻しの痛み、それでも進む心

 雨上がりの道は、ぬかるんでいた。
 祠を離れてからしばらく、二人は無言で歩き続けている。水を含んだ土が靴底に重く絡みつき、歩を進めるたびに、ぐ、と鈍い感触が伝わってきた。

 エレナは、胸の奥に残る冷えを意識しないよう、呼吸を整えていた。

(……大丈夫)

 そう思い込もうとするほど、昨夜――いや、先ほどの光景が、脳裏に浮かぶ。
 男たちが地に縫い止められ、恐怖に歪めた顔。
 自分の声が、思った以上に冷静だったこと。

(……私は、あんな声を出せるんだ)

 それが、少しだけ怖かった。

「……足、止めろ」

 前を歩いていたカイルが、低く言った。

 エレナは、はっとして立ち止まる。

「……どうしましたか」

「……顔色が悪い」

 振り返ったカイルの視線は、鋭いが、責める色はない。

「……無理をしていない、と言いたいところですが」

 エレナは、小さく苦笑した。

「……少し、揺り戻しが来ています」

 正直な言葉だった。

 カイルは、周囲を一瞥し、近くの岩陰を指さす。

「……休む」

 二人は腰を下ろし、水筒を回し飲む。
 しばらく、雨滴が葉から落ちる音だけが続いた。

「……初めてか」

 カイルが、ぽつりと聞いた。

「……人を、力で止めたのは」

 エレナは、少し考え、それから頷いた。

「……はい。拒むことは、今までもありました。でも……“縛った”のは」

 言葉が、喉で止まる。

「……怖かったですか」

 カイルの問いは、穏やかだった。

「……怖かったです」

 エレナは、正直に答えた。

「自分が……どこまで行けるのか、分からなくなりました」

 沈黙。
 だが、それは否定の沈黙ではない。

「……それでいい」

 カイルは、低く言った。

「怖さを感じなくなったら……危ない」

 その言葉に、エレナは、少しだけ救われた気がした。

「……でも」

 エレナは、拳を握る。

「もし、また同じ状況になったら……私は、同じ選択をすると思います」

 カイルは、わずかに口角を上げた。

「……それも、いい」

「……いい、のですか」

「ああ」

 彼は、静かに続ける。

「守るために使った力だ。衝動じゃない。……それなら、誇れ」

 エレナは、胸に手を当てた。

(……誇る)

 まだ、そこまではいかない。
 だが、少なくとも――恥じる必要はない。

「……カイル」

「ん」

「もし、あなたがあの場にいなかったら……私は」

 言いかけて、言葉を探す。

「……一人でも、同じことをしました」

 それは、はっきりとした答えだった。

 カイルは、少しだけ驚いたように目を細め、それから頷いた。

「……そうか」

 それ以上、何も言わなかった。

 ――――――――

 夕刻、二人は小さな林に辿り着いた。
 焚き火を起こすには十分な、風を避けられる場所。

 火を起こしながら、エレナは、魔力の流れを確認する。

(……乱れてはいない)

 癒しの魔力は、穏やか。
 呪いの魔力も、暴れてはいない。

 だが――。

(……少し、距離が縮まった)

 以前より、呼び出しやすくなっている感覚。
 それが、良いことなのか、危ういことなのか。

「……今日のこと」

 焚き火の前で、カイルが口を開いた。

「今後、王都へ戻るなら……避けては通れない」

 エレナは、頷く。

「……分かっています」

「今日の相手は、まだ“試し”だ」

 その言葉に、エレナの背筋が伸びる。

「本気で連れ戻すなら……もっと、用意してくる」

「……王太子の、手の者ですね」

「ああ」

 カイルは、淡々と答えた。

「だが……今日の件で、分かったこともある」

「……何でしょうか」

「お前は、もう“連れ戻される側”じゃない」

 その言葉は、静かだが、重かった。

「拒み、止め、引かせた。それだけで、相手の計算は狂う」

 エレナは、焚き火を見つめる。

(……私は、変わった)

 それは、否定しようのない事実だ。

「……それでも」

 エレナは、ぽつりと呟いた。

「誰かを傷つける選択を……重ねてしまったら」

 カイルは、少し考え、それから言った。

「……その時は、立ち止まれ」

「……立ち止まる」

「ああ」

 彼は、エレナを見る。

「お前は、それができる。今日も、そうだった」

 エレナは、ゆっくりと息を吐いた。

 焚き火の炎が、穏やかに揺れる。

 ――――――――

 夜。
 エレナは、簡素な寝床に横になりながら、目を閉じた。

 まぶたの裏に、祠の光景が浮かぶ。
 縛られた男たち。自分の声。

(……私は、どこへ向かっているのだろう)

 復讐。
 自立。
 自由。

 そのどれもが、重なり合っている。

(……でも)

 胸に手を当てる。

(……戻らない)

 かつての、耐えるだけの自分には。

 選択の重さを知り、揺り戻しの痛みを受け止めても――前へ進む。

 それが、今の自分だ。

 遠くで、夜鳥が鳴いた。

 エレナは、ゆっくりと眠りに落ちる。

 揺れる心を抱えたままでも、歩みは止めない。
 王都への道は、確実に近づいていた。
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