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第20話 戻る決意、切り捨てる覚悟
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第20話 戻る決意、切り捨てる覚悟
朝霧が、林の中をゆっくりと流れていた。
焚き火の名残から立ちのぼる細い煙が、霧と溶け合い、境目を曖昧にしている。エレナはその中で目を覚まし、しばらく天を仰いだ。
(……静か)
昨夜の揺り戻しが嘘のように、心は落ち着いていた。
だが、静けさは安堵ではなく、決断の前触れのようにも感じられる。
身を起こすと、すでにカイルは起きていた。剣を整え、外套を羽織り直している。
「……早いですね」
「癖だ」
短く答え、彼は霧の向こうを見た。
「……今日で、方向を決める」
エレナは、ゆっくりと頷いた。
(……来た)
ここまでの旅は、“逃げないための準備”だった。
だが、いつまでも準備のままではいられない。
――向き合う。
それを、選ぶ時だ。
「……王都へ、戻ります」
エレナは、はっきりと言った。
カイルは、驚かない。
ただ、視線をエレナへ向ける。
「……今、か」
「ええ」
即答だった。
「遠回りは、もう必要ありません」
癒しの力を持つ者として。
呪いの力を制御できる者として。
そして――選ぶことを覚えた人間として。
「……逃げていたわけじゃない」
エレナは、自分に言い聞かせるように続けた。
「力を確かめ、線を引き、決意を固めてきました」
カイルは、しばらく黙ってから言う。
「王都に戻れば……確実に、捕まえに来る」
「分かっています」
それでも、エレナは迷わなかった。
「でも、もう“連れ戻される側”ではありません」
カイルは、ふっと小さく息を吐いた。
「……なら、条件がある」
「何でしょうか」
「王都に入る前に……一つ、切り捨てろ」
その言葉に、エレナは眉をひそめる。
「……切り捨てる?」
「ああ」
彼は、真っ直ぐに言った。
「同情だ」
エレナは、言葉を失った。
「助けたい、分かってほしい、誤解を解きたい……そういう気持ちだ」
カイルの声は、静かだが鋭い。
「それが残っている限り、相手はそこを突く」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
(……誤解を、解きたい)
確かに、どこかに残っている。
王太子が、いつか分かってくれるのではないかという、愚かな期待。
(……違う)
エレナは、深く息を吸った。
「……切り捨てます」
小さく、しかしはっきりと。
「私は、理解されるために戻るのではありません」
エレナは、拳を握る。
「私の選択を、突きつけるために戻るのです」
カイルは、わずかに口角を上げた。
「……それでいい」
――――――――
その日の昼過ぎ、二人は街道に近い高台に出た。
遠くに、王都へ続く道が見える。
人の往来。
馬車。
兵の姿。
(……戻る)
心臓が、強く脈打つ。
エレナは、外套の内側に手を入れ、小さな包みを取り出した。
中にあるのは、王都を出る時に持ち出した、数少ない私物。
――婚約指輪。
王太子ルイスから贈られたものだ。
指先で、冷たい金属を撫でる。
(……これが、私を縛っていた)
象徴。
鎖。
エレナは、躊躇なく、それを地面に置いた。
「……いいのか」
カイルが、低く問う。
「はい」
エレナは、静かに答える。
「もう、必要ありません」
そして――。
指輪を、踏み砕いた。
乾いた音が、霧の中に響く。
(……終わった)
胸の奥で、何かが、すっと消える。
「……これで」
エレナは、顔を上げた。
「私は、誰の婚約者でもありません」
カイルは、無言で頷いた。
――――――――
夕刻、街道沿いの小さな茶屋で、二人は休息を取った。
人目は多いが、逆に目立ちにくい。
そのとき、使いの少年が近づいてきた。
「……手紙です」
エレナは、受け取り、封を切る。
中にあったのは、短い文。
『王都は、動いている。
王太子は、君を“保護”する名目で、迎え入れる準備を進めている。
だが、内部には不満も多い。
――選ぶなら、今だ』
差出人は――レオン。
エレナは、紙を静かに折りたたんだ。
「……来ましたね」
カイルは、内容を察したように言う。
「……ああ」
エレナは、ゆっくりと立ち上がった。
「行きましょう」
迷いは、もうない。
誤解される覚悟。
敵意を向けられる覚悟。
力を使う覚悟。
そして――。
誰かを切り捨てる覚悟。
エレナ・フォン・ローレンツは、王都へ向かう。
連れ戻されるためではない。
謝るためでも、縋るためでもない。
選んだ未来を、突きつけるために。
その一歩は、重く、しかし確かだった。
朝霧が、林の中をゆっくりと流れていた。
焚き火の名残から立ちのぼる細い煙が、霧と溶け合い、境目を曖昧にしている。エレナはその中で目を覚まし、しばらく天を仰いだ。
(……静か)
昨夜の揺り戻しが嘘のように、心は落ち着いていた。
だが、静けさは安堵ではなく、決断の前触れのようにも感じられる。
身を起こすと、すでにカイルは起きていた。剣を整え、外套を羽織り直している。
「……早いですね」
「癖だ」
短く答え、彼は霧の向こうを見た。
「……今日で、方向を決める」
エレナは、ゆっくりと頷いた。
(……来た)
ここまでの旅は、“逃げないための準備”だった。
だが、いつまでも準備のままではいられない。
――向き合う。
それを、選ぶ時だ。
「……王都へ、戻ります」
エレナは、はっきりと言った。
カイルは、驚かない。
ただ、視線をエレナへ向ける。
「……今、か」
「ええ」
即答だった。
「遠回りは、もう必要ありません」
癒しの力を持つ者として。
呪いの力を制御できる者として。
そして――選ぶことを覚えた人間として。
「……逃げていたわけじゃない」
エレナは、自分に言い聞かせるように続けた。
「力を確かめ、線を引き、決意を固めてきました」
カイルは、しばらく黙ってから言う。
「王都に戻れば……確実に、捕まえに来る」
「分かっています」
それでも、エレナは迷わなかった。
「でも、もう“連れ戻される側”ではありません」
カイルは、ふっと小さく息を吐いた。
「……なら、条件がある」
「何でしょうか」
「王都に入る前に……一つ、切り捨てろ」
その言葉に、エレナは眉をひそめる。
「……切り捨てる?」
「ああ」
彼は、真っ直ぐに言った。
「同情だ」
エレナは、言葉を失った。
「助けたい、分かってほしい、誤解を解きたい……そういう気持ちだ」
カイルの声は、静かだが鋭い。
「それが残っている限り、相手はそこを突く」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
(……誤解を、解きたい)
確かに、どこかに残っている。
王太子が、いつか分かってくれるのではないかという、愚かな期待。
(……違う)
エレナは、深く息を吸った。
「……切り捨てます」
小さく、しかしはっきりと。
「私は、理解されるために戻るのではありません」
エレナは、拳を握る。
「私の選択を、突きつけるために戻るのです」
カイルは、わずかに口角を上げた。
「……それでいい」
――――――――
その日の昼過ぎ、二人は街道に近い高台に出た。
遠くに、王都へ続く道が見える。
人の往来。
馬車。
兵の姿。
(……戻る)
心臓が、強く脈打つ。
エレナは、外套の内側に手を入れ、小さな包みを取り出した。
中にあるのは、王都を出る時に持ち出した、数少ない私物。
――婚約指輪。
王太子ルイスから贈られたものだ。
指先で、冷たい金属を撫でる。
(……これが、私を縛っていた)
象徴。
鎖。
エレナは、躊躇なく、それを地面に置いた。
「……いいのか」
カイルが、低く問う。
「はい」
エレナは、静かに答える。
「もう、必要ありません」
そして――。
指輪を、踏み砕いた。
乾いた音が、霧の中に響く。
(……終わった)
胸の奥で、何かが、すっと消える。
「……これで」
エレナは、顔を上げた。
「私は、誰の婚約者でもありません」
カイルは、無言で頷いた。
――――――――
夕刻、街道沿いの小さな茶屋で、二人は休息を取った。
人目は多いが、逆に目立ちにくい。
そのとき、使いの少年が近づいてきた。
「……手紙です」
エレナは、受け取り、封を切る。
中にあったのは、短い文。
『王都は、動いている。
王太子は、君を“保護”する名目で、迎え入れる準備を進めている。
だが、内部には不満も多い。
――選ぶなら、今だ』
差出人は――レオン。
エレナは、紙を静かに折りたたんだ。
「……来ましたね」
カイルは、内容を察したように言う。
「……ああ」
エレナは、ゆっくりと立ち上がった。
「行きましょう」
迷いは、もうない。
誤解される覚悟。
敵意を向けられる覚悟。
力を使う覚悟。
そして――。
誰かを切り捨てる覚悟。
エレナ・フォン・ローレンツは、王都へ向かう。
連れ戻されるためではない。
謝るためでも、縋るためでもない。
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その一歩は、重く、しかし確かだった。
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