19 / 32
第19話 揺り戻しの痛み、それでも進む心
しおりを挟む
第19話 揺り戻しの痛み、それでも進む心
雨上がりの道は、ぬかるんでいた。
祠を離れてからしばらく、二人は無言で歩き続けている。水を含んだ土が靴底に重く絡みつき、歩を進めるたびに、ぐ、と鈍い感触が伝わってきた。
エレナは、胸の奥に残る冷えを意識しないよう、呼吸を整えていた。
(……大丈夫)
そう思い込もうとするほど、昨夜――いや、先ほどの光景が、脳裏に浮かぶ。
男たちが地に縫い止められ、恐怖に歪めた顔。
自分の声が、思った以上に冷静だったこと。
(……私は、あんな声を出せるんだ)
それが、少しだけ怖かった。
「……足、止めろ」
前を歩いていたカイルが、低く言った。
エレナは、はっとして立ち止まる。
「……どうしましたか」
「……顔色が悪い」
振り返ったカイルの視線は、鋭いが、責める色はない。
「……無理をしていない、と言いたいところですが」
エレナは、小さく苦笑した。
「……少し、揺り戻しが来ています」
正直な言葉だった。
カイルは、周囲を一瞥し、近くの岩陰を指さす。
「……休む」
二人は腰を下ろし、水筒を回し飲む。
しばらく、雨滴が葉から落ちる音だけが続いた。
「……初めてか」
カイルが、ぽつりと聞いた。
「……人を、力で止めたのは」
エレナは、少し考え、それから頷いた。
「……はい。拒むことは、今までもありました。でも……“縛った”のは」
言葉が、喉で止まる。
「……怖かったですか」
カイルの問いは、穏やかだった。
「……怖かったです」
エレナは、正直に答えた。
「自分が……どこまで行けるのか、分からなくなりました」
沈黙。
だが、それは否定の沈黙ではない。
「……それでいい」
カイルは、低く言った。
「怖さを感じなくなったら……危ない」
その言葉に、エレナは、少しだけ救われた気がした。
「……でも」
エレナは、拳を握る。
「もし、また同じ状況になったら……私は、同じ選択をすると思います」
カイルは、わずかに口角を上げた。
「……それも、いい」
「……いい、のですか」
「ああ」
彼は、静かに続ける。
「守るために使った力だ。衝動じゃない。……それなら、誇れ」
エレナは、胸に手を当てた。
(……誇る)
まだ、そこまではいかない。
だが、少なくとも――恥じる必要はない。
「……カイル」
「ん」
「もし、あなたがあの場にいなかったら……私は」
言いかけて、言葉を探す。
「……一人でも、同じことをしました」
それは、はっきりとした答えだった。
カイルは、少しだけ驚いたように目を細め、それから頷いた。
「……そうか」
それ以上、何も言わなかった。
――――――――
夕刻、二人は小さな林に辿り着いた。
焚き火を起こすには十分な、風を避けられる場所。
火を起こしながら、エレナは、魔力の流れを確認する。
(……乱れてはいない)
癒しの魔力は、穏やか。
呪いの魔力も、暴れてはいない。
だが――。
(……少し、距離が縮まった)
以前より、呼び出しやすくなっている感覚。
それが、良いことなのか、危ういことなのか。
「……今日のこと」
焚き火の前で、カイルが口を開いた。
「今後、王都へ戻るなら……避けては通れない」
エレナは、頷く。
「……分かっています」
「今日の相手は、まだ“試し”だ」
その言葉に、エレナの背筋が伸びる。
「本気で連れ戻すなら……もっと、用意してくる」
「……王太子の、手の者ですね」
「ああ」
カイルは、淡々と答えた。
「だが……今日の件で、分かったこともある」
「……何でしょうか」
「お前は、もう“連れ戻される側”じゃない」
その言葉は、静かだが、重かった。
「拒み、止め、引かせた。それだけで、相手の計算は狂う」
エレナは、焚き火を見つめる。
(……私は、変わった)
それは、否定しようのない事実だ。
「……それでも」
エレナは、ぽつりと呟いた。
「誰かを傷つける選択を……重ねてしまったら」
カイルは、少し考え、それから言った。
「……その時は、立ち止まれ」
「……立ち止まる」
「ああ」
彼は、エレナを見る。
「お前は、それができる。今日も、そうだった」
エレナは、ゆっくりと息を吐いた。
焚き火の炎が、穏やかに揺れる。
――――――――
夜。
エレナは、簡素な寝床に横になりながら、目を閉じた。
まぶたの裏に、祠の光景が浮かぶ。
縛られた男たち。自分の声。
(……私は、どこへ向かっているのだろう)
復讐。
自立。
自由。
そのどれもが、重なり合っている。
(……でも)
胸に手を当てる。
(……戻らない)
かつての、耐えるだけの自分には。
選択の重さを知り、揺り戻しの痛みを受け止めても――前へ進む。
それが、今の自分だ。
遠くで、夜鳥が鳴いた。
エレナは、ゆっくりと眠りに落ちる。
揺れる心を抱えたままでも、歩みは止めない。
王都への道は、確実に近づいていた。
雨上がりの道は、ぬかるんでいた。
祠を離れてからしばらく、二人は無言で歩き続けている。水を含んだ土が靴底に重く絡みつき、歩を進めるたびに、ぐ、と鈍い感触が伝わってきた。
エレナは、胸の奥に残る冷えを意識しないよう、呼吸を整えていた。
(……大丈夫)
そう思い込もうとするほど、昨夜――いや、先ほどの光景が、脳裏に浮かぶ。
男たちが地に縫い止められ、恐怖に歪めた顔。
自分の声が、思った以上に冷静だったこと。
(……私は、あんな声を出せるんだ)
それが、少しだけ怖かった。
「……足、止めろ」
前を歩いていたカイルが、低く言った。
エレナは、はっとして立ち止まる。
「……どうしましたか」
「……顔色が悪い」
振り返ったカイルの視線は、鋭いが、責める色はない。
「……無理をしていない、と言いたいところですが」
エレナは、小さく苦笑した。
「……少し、揺り戻しが来ています」
正直な言葉だった。
カイルは、周囲を一瞥し、近くの岩陰を指さす。
「……休む」
二人は腰を下ろし、水筒を回し飲む。
しばらく、雨滴が葉から落ちる音だけが続いた。
「……初めてか」
カイルが、ぽつりと聞いた。
「……人を、力で止めたのは」
エレナは、少し考え、それから頷いた。
「……はい。拒むことは、今までもありました。でも……“縛った”のは」
言葉が、喉で止まる。
「……怖かったですか」
カイルの問いは、穏やかだった。
「……怖かったです」
エレナは、正直に答えた。
「自分が……どこまで行けるのか、分からなくなりました」
沈黙。
だが、それは否定の沈黙ではない。
「……それでいい」
カイルは、低く言った。
「怖さを感じなくなったら……危ない」
その言葉に、エレナは、少しだけ救われた気がした。
「……でも」
エレナは、拳を握る。
「もし、また同じ状況になったら……私は、同じ選択をすると思います」
カイルは、わずかに口角を上げた。
「……それも、いい」
「……いい、のですか」
「ああ」
彼は、静かに続ける。
「守るために使った力だ。衝動じゃない。……それなら、誇れ」
エレナは、胸に手を当てた。
(……誇る)
まだ、そこまではいかない。
だが、少なくとも――恥じる必要はない。
「……カイル」
「ん」
「もし、あなたがあの場にいなかったら……私は」
言いかけて、言葉を探す。
「……一人でも、同じことをしました」
それは、はっきりとした答えだった。
カイルは、少しだけ驚いたように目を細め、それから頷いた。
「……そうか」
それ以上、何も言わなかった。
――――――――
夕刻、二人は小さな林に辿り着いた。
焚き火を起こすには十分な、風を避けられる場所。
火を起こしながら、エレナは、魔力の流れを確認する。
(……乱れてはいない)
癒しの魔力は、穏やか。
呪いの魔力も、暴れてはいない。
だが――。
(……少し、距離が縮まった)
以前より、呼び出しやすくなっている感覚。
それが、良いことなのか、危ういことなのか。
「……今日のこと」
焚き火の前で、カイルが口を開いた。
「今後、王都へ戻るなら……避けては通れない」
エレナは、頷く。
「……分かっています」
「今日の相手は、まだ“試し”だ」
その言葉に、エレナの背筋が伸びる。
「本気で連れ戻すなら……もっと、用意してくる」
「……王太子の、手の者ですね」
「ああ」
カイルは、淡々と答えた。
「だが……今日の件で、分かったこともある」
「……何でしょうか」
「お前は、もう“連れ戻される側”じゃない」
その言葉は、静かだが、重かった。
「拒み、止め、引かせた。それだけで、相手の計算は狂う」
エレナは、焚き火を見つめる。
(……私は、変わった)
それは、否定しようのない事実だ。
「……それでも」
エレナは、ぽつりと呟いた。
「誰かを傷つける選択を……重ねてしまったら」
カイルは、少し考え、それから言った。
「……その時は、立ち止まれ」
「……立ち止まる」
「ああ」
彼は、エレナを見る。
「お前は、それができる。今日も、そうだった」
エレナは、ゆっくりと息を吐いた。
焚き火の炎が、穏やかに揺れる。
――――――――
夜。
エレナは、簡素な寝床に横になりながら、目を閉じた。
まぶたの裏に、祠の光景が浮かぶ。
縛られた男たち。自分の声。
(……私は、どこへ向かっているのだろう)
復讐。
自立。
自由。
そのどれもが、重なり合っている。
(……でも)
胸に手を当てる。
(……戻らない)
かつての、耐えるだけの自分には。
選択の重さを知り、揺り戻しの痛みを受け止めても――前へ進む。
それが、今の自分だ。
遠くで、夜鳥が鳴いた。
エレナは、ゆっくりと眠りに落ちる。
揺れる心を抱えたままでも、歩みは止めない。
王都への道は、確実に近づいていた。
0
あなたにおすすめの小説
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
【完結】✴︎私と結婚しない王太子(あなた)に存在価値はありませんのよ?
綾雅(りょうが)今年は7冊!
恋愛
「エステファニア・サラ・メレンデス――お前との婚約を破棄する」
婚約者であるクラウディオ王太子に、王妃の生誕祝いの夜会で言い渡された私。愛しているわけでもない男に婚約破棄され、断罪されるが……残念ですけど、私と結婚しない王太子殿下に価値はありませんのよ? 何を勘違いしたのか、淫らな恰好の女を伴った元婚約者の暴挙は彼自身へ跳ね返った。
ざまぁ要素あり。溺愛される主人公が無事婚約破棄を乗り越えて幸せを掴むお話。
表紙イラスト:リルドア様(https://coconala.com/users/791723)
【完結】本編63話+外伝11話、2021/01/19
【複数掲載】アルファポリス、小説家になろう、エブリスタ、カクヨム、ノベルアップ+
2021/12 異世界恋愛小説コンテスト 一次審査通過
2021/08/16、「HJ小説大賞2021前期『小説家になろう』部門」一次選考通過
愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。
それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。
一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。
いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。
変わってしまったのは、いつだろう。
分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。
******************************************
こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。
あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。
【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした
miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。
婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。
(ゲーム通りになるとは限らないのかも)
・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。
周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。
馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。
冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。
強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!?
※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして
東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。
破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。
勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。
いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。
ただし、後のことはどうなっても知りませんよ?
* 他サイトでも投稿
* ショートショートです。あっさり終わります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる