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第21話 王都の影、迎え入れられる罠
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第21話 王都の影、迎え入れられる罠
王都の城壁が視界に入った瞬間、エレナの呼吸がわずかに浅くなった。
白い石で築かれた高い壁は、記憶の中と何一つ変わらない。それなのに、かつて守られていると信じていたその姿が、今は檻のようにも見えた。
(……戻ってきた)
街道には人の列が絶えず、商人、巡礼者、兵士が入り混じっている。
エレナとカイルは、旅人として目立たぬ装いのまま、その流れに紛れて歩いた。
「……空気が、重いですね」
エレナが小さく呟く。
「ああ」
カイルは、周囲を一瞥しながら答えた。
「動いている。だが……表向きは平穏だ」
それが、何より不穏だった。
城門をくぐると、懐かしい街並みが広がる。石畳、噴水、行き交う貴族の馬車。
だが、視線は確実に集まっていた。
(……噂は、もう届いている)
追放された公爵令嬢。
辺境で癒しの力を振るう女。
王太子に見捨てられた、はずの存在。
「……エレナ様?」
その声に、足が止まる。
振り返ると、王城付きの侍従服を着た男が、驚いた表情で立っていた。
見覚えがある。王太子ルイスの側近の一人だ。
「……本当に、戻られたのですね」
声音は丁寧だが、目は笑っていない。
「……ご用件は」
エレナは、淡々と答えた。
「王太子殿下が、大変ご心配なさっております」
その言葉に、胸の奥が冷える。
「保護、という名目ですか」
侍従は、わずかに目を見開いた。
「……さすがに、お話が早い」
「私は、求めていません」
エレナは、はっきりと言った。
「それでも」
侍従は、一歩前に出る。
「殿下は、正式に“迎え入れ”を表明されるご予定です。公の場で」
――公の場。
エレナは、即座に理解した。
(……逃げ場を塞ぐ気)
婚約破棄をしたのも、公衆の面前。
ならば、連れ戻すのも――同じ場所で。
「……返事は、今でなくとも結構です」
侍従は、薄く笑った。
「ですが、殿下は“拒否される”とは、思っておられません」
その言葉に、カイルが一歩前へ出る。
「……伝えておけ」
低く、鋭い声。
「彼女は、誰の所有物でもない」
侍従は、カイルを一瞥し、鼻で笑った。
「……あなたは?」
「通りすがりだ」
短い答え。
「それ以上、詮索するな」
数秒の沈黙の後、侍従は一礼した。
「……では、また」
その背中が、人混みに消える。
エレナは、静かに息を吐いた。
「……やはり、用意されていますね」
「ああ」
カイルは、即答した。
「迎え入れという名の、囲い込みだ」
エレナは、歩きながら、胸に手を当てる。
(……同情は、切り捨てた)
だが、怒りに任せるのも違う。
「……王城には、行きません」
エレナは、はっきりと言った。
「こちらから出向けば、主導権を渡す」
「なら」
カイルが言う。
「先に、地盤を作れ」
「……地盤」
「味方だ」
その言葉に、エレナは思い当たる。
(……家)
ローレンツ公爵家。
父は、王太子派閥だった。だが――。
「……母は、まだ屋敷にいます」
小さく呟く。
「会うつもりか」
「……はい」
カイルは、止めなかった。
「だが、期待はするな」
「分かっています」
エレナは、頷いた。
「理解されるために行くのではありません」
ただ、告げるために。
――私は、戻った。
――もう、従わない。
――――――――
ローレンツ公爵家の屋敷は、王都でも指折りの規模を誇る。
かつて、エレナが“帰る場所”だと思っていた場所だ。
門前で名を告げると、使用人たちが一瞬、凍りついた。
「……エ、エレナ様……?」
囁きが、連鎖する。
「……ご無沙汰しています」
エレナは、穏やかに言った。
「母に、お会いしたいのですが」
しばらくの沈黙の後、案内される。
広間に入ると、そこにいたのは――母、公爵夫人だった。
変わらぬ姿。
だが、目に宿る光は、以前よりも疲れている。
「……戻ったのね」
その声には、驚きと、安堵と、そして――複雑な感情が混じっていた。
「はい」
エレナは、まっすぐに答えた。
「ご報告があります」
公爵夫人は、ゆっくりと頷く。
「……聞きましょう」
エレナは、一歩前に出た。
「私は、王太子殿下の保護も、迎え入れも、受けません」
空気が、張り詰める。
「そして――」
エレナは、静かに告げた。
「ローレンツ家の都合で、再び差し出されるつもりもありません」
母の瞳が、大きく揺れた。
「……それは」
「通告です」
エレナは、はっきりと言った。
「私は、私の意思で動きます」
沈黙が落ちる。
その重さを、エレナは受け止めた。
(……これが、王都)
甘い言葉と、善意の仮面。
迎え入れという名の罠。
だが――。
(……もう、絡め取られない)
エレナ・フォン・ローレンツは、王都の中心に立っていた。
罠の中に、踏み込む覚悟を持ったまま。
迎え入れられる側ではなく――
切り込む側として。
王都の城壁が視界に入った瞬間、エレナの呼吸がわずかに浅くなった。
白い石で築かれた高い壁は、記憶の中と何一つ変わらない。それなのに、かつて守られていると信じていたその姿が、今は檻のようにも見えた。
(……戻ってきた)
街道には人の列が絶えず、商人、巡礼者、兵士が入り混じっている。
エレナとカイルは、旅人として目立たぬ装いのまま、その流れに紛れて歩いた。
「……空気が、重いですね」
エレナが小さく呟く。
「ああ」
カイルは、周囲を一瞥しながら答えた。
「動いている。だが……表向きは平穏だ」
それが、何より不穏だった。
城門をくぐると、懐かしい街並みが広がる。石畳、噴水、行き交う貴族の馬車。
だが、視線は確実に集まっていた。
(……噂は、もう届いている)
追放された公爵令嬢。
辺境で癒しの力を振るう女。
王太子に見捨てられた、はずの存在。
「……エレナ様?」
その声に、足が止まる。
振り返ると、王城付きの侍従服を着た男が、驚いた表情で立っていた。
見覚えがある。王太子ルイスの側近の一人だ。
「……本当に、戻られたのですね」
声音は丁寧だが、目は笑っていない。
「……ご用件は」
エレナは、淡々と答えた。
「王太子殿下が、大変ご心配なさっております」
その言葉に、胸の奥が冷える。
「保護、という名目ですか」
侍従は、わずかに目を見開いた。
「……さすがに、お話が早い」
「私は、求めていません」
エレナは、はっきりと言った。
「それでも」
侍従は、一歩前に出る。
「殿下は、正式に“迎え入れ”を表明されるご予定です。公の場で」
――公の場。
エレナは、即座に理解した。
(……逃げ場を塞ぐ気)
婚約破棄をしたのも、公衆の面前。
ならば、連れ戻すのも――同じ場所で。
「……返事は、今でなくとも結構です」
侍従は、薄く笑った。
「ですが、殿下は“拒否される”とは、思っておられません」
その言葉に、カイルが一歩前へ出る。
「……伝えておけ」
低く、鋭い声。
「彼女は、誰の所有物でもない」
侍従は、カイルを一瞥し、鼻で笑った。
「……あなたは?」
「通りすがりだ」
短い答え。
「それ以上、詮索するな」
数秒の沈黙の後、侍従は一礼した。
「……では、また」
その背中が、人混みに消える。
エレナは、静かに息を吐いた。
「……やはり、用意されていますね」
「ああ」
カイルは、即答した。
「迎え入れという名の、囲い込みだ」
エレナは、歩きながら、胸に手を当てる。
(……同情は、切り捨てた)
だが、怒りに任せるのも違う。
「……王城には、行きません」
エレナは、はっきりと言った。
「こちらから出向けば、主導権を渡す」
「なら」
カイルが言う。
「先に、地盤を作れ」
「……地盤」
「味方だ」
その言葉に、エレナは思い当たる。
(……家)
ローレンツ公爵家。
父は、王太子派閥だった。だが――。
「……母は、まだ屋敷にいます」
小さく呟く。
「会うつもりか」
「……はい」
カイルは、止めなかった。
「だが、期待はするな」
「分かっています」
エレナは、頷いた。
「理解されるために行くのではありません」
ただ、告げるために。
――私は、戻った。
――もう、従わない。
――――――――
ローレンツ公爵家の屋敷は、王都でも指折りの規模を誇る。
かつて、エレナが“帰る場所”だと思っていた場所だ。
門前で名を告げると、使用人たちが一瞬、凍りついた。
「……エ、エレナ様……?」
囁きが、連鎖する。
「……ご無沙汰しています」
エレナは、穏やかに言った。
「母に、お会いしたいのですが」
しばらくの沈黙の後、案内される。
広間に入ると、そこにいたのは――母、公爵夫人だった。
変わらぬ姿。
だが、目に宿る光は、以前よりも疲れている。
「……戻ったのね」
その声には、驚きと、安堵と、そして――複雑な感情が混じっていた。
「はい」
エレナは、まっすぐに答えた。
「ご報告があります」
公爵夫人は、ゆっくりと頷く。
「……聞きましょう」
エレナは、一歩前に出た。
「私は、王太子殿下の保護も、迎え入れも、受けません」
空気が、張り詰める。
「そして――」
エレナは、静かに告げた。
「ローレンツ家の都合で、再び差し出されるつもりもありません」
母の瞳が、大きく揺れた。
「……それは」
「通告です」
エレナは、はっきりと言った。
「私は、私の意思で動きます」
沈黙が落ちる。
その重さを、エレナは受け止めた。
(……これが、王都)
甘い言葉と、善意の仮面。
迎え入れという名の罠。
だが――。
(……もう、絡め取られない)
エレナ・フォン・ローレンツは、王都の中心に立っていた。
罠の中に、踏み込む覚悟を持ったまま。
迎え入れられる側ではなく――
切り込む側として。
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