20 / 32
第20話 戻る決意、切り捨てる覚悟
しおりを挟む
第20話 戻る決意、切り捨てる覚悟
朝霧が、林の中をゆっくりと流れていた。
焚き火の名残から立ちのぼる細い煙が、霧と溶け合い、境目を曖昧にしている。エレナはその中で目を覚まし、しばらく天を仰いだ。
(……静か)
昨夜の揺り戻しが嘘のように、心は落ち着いていた。
だが、静けさは安堵ではなく、決断の前触れのようにも感じられる。
身を起こすと、すでにカイルは起きていた。剣を整え、外套を羽織り直している。
「……早いですね」
「癖だ」
短く答え、彼は霧の向こうを見た。
「……今日で、方向を決める」
エレナは、ゆっくりと頷いた。
(……来た)
ここまでの旅は、“逃げないための準備”だった。
だが、いつまでも準備のままではいられない。
――向き合う。
それを、選ぶ時だ。
「……王都へ、戻ります」
エレナは、はっきりと言った。
カイルは、驚かない。
ただ、視線をエレナへ向ける。
「……今、か」
「ええ」
即答だった。
「遠回りは、もう必要ありません」
癒しの力を持つ者として。
呪いの力を制御できる者として。
そして――選ぶことを覚えた人間として。
「……逃げていたわけじゃない」
エレナは、自分に言い聞かせるように続けた。
「力を確かめ、線を引き、決意を固めてきました」
カイルは、しばらく黙ってから言う。
「王都に戻れば……確実に、捕まえに来る」
「分かっています」
それでも、エレナは迷わなかった。
「でも、もう“連れ戻される側”ではありません」
カイルは、ふっと小さく息を吐いた。
「……なら、条件がある」
「何でしょうか」
「王都に入る前に……一つ、切り捨てろ」
その言葉に、エレナは眉をひそめる。
「……切り捨てる?」
「ああ」
彼は、真っ直ぐに言った。
「同情だ」
エレナは、言葉を失った。
「助けたい、分かってほしい、誤解を解きたい……そういう気持ちだ」
カイルの声は、静かだが鋭い。
「それが残っている限り、相手はそこを突く」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
(……誤解を、解きたい)
確かに、どこかに残っている。
王太子が、いつか分かってくれるのではないかという、愚かな期待。
(……違う)
エレナは、深く息を吸った。
「……切り捨てます」
小さく、しかしはっきりと。
「私は、理解されるために戻るのではありません」
エレナは、拳を握る。
「私の選択を、突きつけるために戻るのです」
カイルは、わずかに口角を上げた。
「……それでいい」
――――――――
その日の昼過ぎ、二人は街道に近い高台に出た。
遠くに、王都へ続く道が見える。
人の往来。
馬車。
兵の姿。
(……戻る)
心臓が、強く脈打つ。
エレナは、外套の内側に手を入れ、小さな包みを取り出した。
中にあるのは、王都を出る時に持ち出した、数少ない私物。
――婚約指輪。
王太子ルイスから贈られたものだ。
指先で、冷たい金属を撫でる。
(……これが、私を縛っていた)
象徴。
鎖。
エレナは、躊躇なく、それを地面に置いた。
「……いいのか」
カイルが、低く問う。
「はい」
エレナは、静かに答える。
「もう、必要ありません」
そして――。
指輪を、踏み砕いた。
乾いた音が、霧の中に響く。
(……終わった)
胸の奥で、何かが、すっと消える。
「……これで」
エレナは、顔を上げた。
「私は、誰の婚約者でもありません」
カイルは、無言で頷いた。
――――――――
夕刻、街道沿いの小さな茶屋で、二人は休息を取った。
人目は多いが、逆に目立ちにくい。
そのとき、使いの少年が近づいてきた。
「……手紙です」
エレナは、受け取り、封を切る。
中にあったのは、短い文。
『王都は、動いている。
王太子は、君を“保護”する名目で、迎え入れる準備を進めている。
だが、内部には不満も多い。
――選ぶなら、今だ』
差出人は――レオン。
エレナは、紙を静かに折りたたんだ。
「……来ましたね」
カイルは、内容を察したように言う。
「……ああ」
エレナは、ゆっくりと立ち上がった。
「行きましょう」
迷いは、もうない。
誤解される覚悟。
敵意を向けられる覚悟。
力を使う覚悟。
そして――。
誰かを切り捨てる覚悟。
エレナ・フォン・ローレンツは、王都へ向かう。
連れ戻されるためではない。
謝るためでも、縋るためでもない。
選んだ未来を、突きつけるために。
その一歩は、重く、しかし確かだった。
朝霧が、林の中をゆっくりと流れていた。
焚き火の名残から立ちのぼる細い煙が、霧と溶け合い、境目を曖昧にしている。エレナはその中で目を覚まし、しばらく天を仰いだ。
(……静か)
昨夜の揺り戻しが嘘のように、心は落ち着いていた。
だが、静けさは安堵ではなく、決断の前触れのようにも感じられる。
身を起こすと、すでにカイルは起きていた。剣を整え、外套を羽織り直している。
「……早いですね」
「癖だ」
短く答え、彼は霧の向こうを見た。
「……今日で、方向を決める」
エレナは、ゆっくりと頷いた。
(……来た)
ここまでの旅は、“逃げないための準備”だった。
だが、いつまでも準備のままではいられない。
――向き合う。
それを、選ぶ時だ。
「……王都へ、戻ります」
エレナは、はっきりと言った。
カイルは、驚かない。
ただ、視線をエレナへ向ける。
「……今、か」
「ええ」
即答だった。
「遠回りは、もう必要ありません」
癒しの力を持つ者として。
呪いの力を制御できる者として。
そして――選ぶことを覚えた人間として。
「……逃げていたわけじゃない」
エレナは、自分に言い聞かせるように続けた。
「力を確かめ、線を引き、決意を固めてきました」
カイルは、しばらく黙ってから言う。
「王都に戻れば……確実に、捕まえに来る」
「分かっています」
それでも、エレナは迷わなかった。
「でも、もう“連れ戻される側”ではありません」
カイルは、ふっと小さく息を吐いた。
「……なら、条件がある」
「何でしょうか」
「王都に入る前に……一つ、切り捨てろ」
その言葉に、エレナは眉をひそめる。
「……切り捨てる?」
「ああ」
彼は、真っ直ぐに言った。
「同情だ」
エレナは、言葉を失った。
「助けたい、分かってほしい、誤解を解きたい……そういう気持ちだ」
カイルの声は、静かだが鋭い。
「それが残っている限り、相手はそこを突く」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
(……誤解を、解きたい)
確かに、どこかに残っている。
王太子が、いつか分かってくれるのではないかという、愚かな期待。
(……違う)
エレナは、深く息を吸った。
「……切り捨てます」
小さく、しかしはっきりと。
「私は、理解されるために戻るのではありません」
エレナは、拳を握る。
「私の選択を、突きつけるために戻るのです」
カイルは、わずかに口角を上げた。
「……それでいい」
――――――――
その日の昼過ぎ、二人は街道に近い高台に出た。
遠くに、王都へ続く道が見える。
人の往来。
馬車。
兵の姿。
(……戻る)
心臓が、強く脈打つ。
エレナは、外套の内側に手を入れ、小さな包みを取り出した。
中にあるのは、王都を出る時に持ち出した、数少ない私物。
――婚約指輪。
王太子ルイスから贈られたものだ。
指先で、冷たい金属を撫でる。
(……これが、私を縛っていた)
象徴。
鎖。
エレナは、躊躇なく、それを地面に置いた。
「……いいのか」
カイルが、低く問う。
「はい」
エレナは、静かに答える。
「もう、必要ありません」
そして――。
指輪を、踏み砕いた。
乾いた音が、霧の中に響く。
(……終わった)
胸の奥で、何かが、すっと消える。
「……これで」
エレナは、顔を上げた。
「私は、誰の婚約者でもありません」
カイルは、無言で頷いた。
――――――――
夕刻、街道沿いの小さな茶屋で、二人は休息を取った。
人目は多いが、逆に目立ちにくい。
そのとき、使いの少年が近づいてきた。
「……手紙です」
エレナは、受け取り、封を切る。
中にあったのは、短い文。
『王都は、動いている。
王太子は、君を“保護”する名目で、迎え入れる準備を進めている。
だが、内部には不満も多い。
――選ぶなら、今だ』
差出人は――レオン。
エレナは、紙を静かに折りたたんだ。
「……来ましたね」
カイルは、内容を察したように言う。
「……ああ」
エレナは、ゆっくりと立ち上がった。
「行きましょう」
迷いは、もうない。
誤解される覚悟。
敵意を向けられる覚悟。
力を使う覚悟。
そして――。
誰かを切り捨てる覚悟。
エレナ・フォン・ローレンツは、王都へ向かう。
連れ戻されるためではない。
謝るためでも、縋るためでもない。
選んだ未来を、突きつけるために。
その一歩は、重く、しかし確かだった。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄を「奪った側」から見たならば ~王子、あなたの代わりはいくらでもいます~
フーラー
恋愛
王子が「真実の愛」を見つけて婚約破棄をする物語を「奪ったヒロイン側」の視点で『チート相手に勝利する』恋愛譚。
舞台は中世風ファンタジー。
転生者である貴族の娘『アイ』は、前世から持ち込んだ医療や衛生の知識を活かして、世界一の天才研究家として名を馳せていた。
だが、婚約者の王子ソームはそれを快く思っていなかった。
彼女のその活躍こそ目覚ましかったが、彼が求めていたのは『優秀な妻』ではなく、自分と時間を共有してくれる『対等なパートナー』だったからだ。
だが、それを周りに行っても「彼女の才能に嫉妬している」と嘲笑されることがわかっていたため、口に出せなかった。
一方のアイも、もともと前世では『本当の意味でのコミュ障』だった上に、転生して初めてチヤホヤされる喜びを知った状態では、王子にかまける余裕も、彼の内面に目を向ける意識もなかった。
そんなときに王子は、宮廷道化師のハーツに相談する。
「私にアイ様のような才能はないですが、王子と同じ時間は過ごすことは出来ます」
そういった彼女は、その王子をバカにしながらも、彼と一緒に人生を歩く道を模索する。
それによって、王子の心は揺れ動いていくことになる。
小説家になろう・カクヨムでも掲載されています!
※本作を執筆するにあたりAIを補助的に利用しています
【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~
朝日みらい
恋愛
煌びやかな晩餐会。クラリッサは上品に振る舞おうと努めるが、周囲の貴族は彼女の地味な外見を笑う。
婚約者ルネがワインを掲げて笑う。「俺は華のある令嬢が好きなんだ。すまないが、君では退屈だ。」
静寂と嘲笑の中、クラリッサは微笑みを崩さずに頭を下げる。
夜、涙をこらえて母宛てに手紙を書く。
「恥をかいたけれど、泣かないことを誇りに思いたいです。」
彼女の最初の手紙が、物語の始まりになるように――。
お前との婚約は、ここで破棄する!
ねむたん
恋愛
「公爵令嬢レティシア・フォン・エーデルシュタイン! お前との婚約は、ここで破棄する!」
華やかな舞踏会の中心で、第三王子アレクシス・ローゼンベルクがそう高らかに宣言した。
一瞬の静寂の後、会場がどよめく。
私は心の中でため息をついた。
【完結】「めでたし めでたし」から始まる物語
つくも茄子
恋愛
身分違の恋に落ちた王子様は「真実の愛」を貫き幸せになりました。
物語では「幸せになりました」と終わりましたが、現実はそうはいかないもの。果たして王子様と本当に幸せだったのでしょうか?
王子様には婚約者の公爵令嬢がいました。彼女は本当に王子様の恋を応援したのでしょうか?
これは、めでたしめでたしのその後のお話です。
番外編がスタートしました。
意外な人物が出てきます!
婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです
藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。
家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。
その“褒賞”として押しつけられたのは――
魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。
けれど私は、絶望しなかった。
むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。
そして、予想外の出来事が起きる。
――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。
「君をひとりで行かせるわけがない」
そう言って微笑む勇者レオン。
村を守るため剣を抜く騎士。
魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。
物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。
彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。
気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き――
いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。
もう、誰にも振り回されない。
ここが私の新しい居場所。
そして、隣には――かつての仲間たちがいる。
捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。
これは、そんな私の第二の人生の物語。
《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃
ぜらちん黒糖
恋愛
「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」
甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。
旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。
「それは本当に私の子供なのか?」
婚約破棄をされるのですね? でしたらその代償を払っていただきます
柚木ゆず
恋愛
「フルール・レファネッサル! この時を以てお前との婚約を破棄する!!」
私フルールの婚約者であるラトーレルア侯爵令息クリストフ様は、私の罪を捏造して婚約破棄を宣言されました。
クリストフ様。貴方様は気付いていないと思いますが、そちらは契約違反となります。ですのでこれから、その代償を払っていただきますね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる