婚約破棄された公爵令嬢ですが、王太子を破滅させたあと静かに幸せになります

ふわふわ

文字の大きさ
26 / 32

第26話 強行という選択、夜に鳴る足音

しおりを挟む
第26話 強行という選択、夜に鳴る足音

 深夜、王都の空気はひどく乾いていた。
 窓の外で、甲冑の擦れる音が、規則正しく近づいてくる。あからさまではない。だが、隠す気もない――そんな足音だった。

(……来た)

 エレナは、寝台から身を起こし、静かに外套を羽織る。
 恐怖はない。あるのは、予定通りという感覚だけだ。

「……始まったな」

 部屋の隅で、カイルが低く言った。
 剣には、すでに手がかかっている。

「想定より、少し早いですね」

「包囲網が効いた。……焦っている証拠だ」

 外から、門を叩く音が響いた。
 礼儀正しいノック――だが、拒否を想定していない強さ。

 ほどなく、使用人が駆け足で廊下を通る気配。
 屋敷全体が、ざわりと揺れる。

 やがて、扉が開いた。

「……エレナ」

 公爵夫人だった。
 顔色は悪いが、背筋は伸びている。

「兵が……王太子の命だそうよ」

「ええ」

 エレナは、落ち着いて頷いた。

「“事情聴取”ですね」

 母は、唇を噛む。

「……本当に、行かないつもり?」

「行きません」

 迷いのない声。

「ですが、抵抗もしません」

「……どういうこと?」

 エレナは、静かに答えた。

「こちらから、場を指定します」

 ――――――――

 大広間に、兵たちが踏み込んできた。
 数は多い。だが、隊列は乱れている。

(……急造)

 エレナは、一目で理解した。

 先頭に立つのは、王城付きの近衛兵長。
 昨夜まで、彼はここに来る予定ではなかったはずだ。

「エレナ・フォン・ローレンツ」

 形式的な声。

「王太子殿下の命により、王城へ同行していただく」

「……拒否します」

 エレナは、はっきりと言った。

 空気が、ぴたりと止まる。

「ですが」

 彼女は、続ける。

「対話の場を拒むわけではありません」

 兵長が、眉をひそめた。

「……何を言っている」

「この屋敷で」

 エレナは、静かに告げた。

「王太子殿下本人が来られるなら、お話しします」

 ざわめきが走る。

「……殿下を、ここへ?」

 兵長は、思わず聞き返した。

「はい」

 エレナは、微笑む。

「“事情聴取”なのですよね。なら、逃げる必要はありません」

 理屈としては、通っている。
 だが、それは――命令を出した側の想定には、ない選択肢だった。

「……勝手な条件だ」

 兵長が、苛立ちを滲ませる。

「そうでしょうか」

 エレナは、落ち着いて言う。

「私は、容疑者ではありません」

 正論だった。

 兵長は、舌打ちしそうになるのを堪え、背後を一瞥する。
 指示を仰ぐ者はいない。

(……想定外だ)

「……少し、待て」

 兵長は、そう言い残し、外へ出た。

 ――――――――

 その間、屋敷の空気は張り詰めていた。
 使用人たちは息を潜め、兵たちは警戒を解かない。

「……大胆だな」

 カイルが、小声で言う。

「ええ」

 エレナは、静かに答えた。

「でも、王城へ連れて行かれれば……向こうの舞台です」

「ここなら?」

「こちらの舞台です」

 エレナは、視線を上げる。

「逃げ場がないのは、殿下の方になります」

 ――――――――

 しばらくして、再び足音が響いた。
 今度は――重い。

 扉が開き、現れたのは、王太子ルイスだった。

 怒りを抑えきれない表情。
 だが、その背後には、数名の貴族と――記録官の姿がある。

(……来た)

 エレナは、心の中で息を整えた。

「……随分と、勝手な真似をしてくれるな」

 ルイスは、吐き捨てるように言った。

「殿下が、直々に来てくださるとは」

 エレナは、丁寧に一礼する。

「光栄です」

「ふざけるな」

 ルイスは、一歩前に出た。

「命令を拒み、条件を突きつけるとは……まだ、自分の立場が分からないのか」

「分かっています」

 エレナは、静かに答えた。

「だからこそ、ここでお話ししたいのです」

「何を」

「なぜ、今夜、強行されたのか」

 その問いに、ルイスの表情が一瞬、揺れた。

「……必要だからだ」

「必要?」

 エレナは、穏やかに首を傾げる。

「それは、王国のためですか」

 沈黙。

「それとも――」

 エレナは、はっきりと言った。

「ご自身の立場を、守るためですか」

 ざわめきが、背後の貴族たちから漏れる。

「……黙れ」

 ルイスの声が、低く震えた。

「私は、王太子だ」

「ええ」

 エレナは、頷く。

「ですが、王太子であることと――正しい判断ができることは、別です」

 その言葉は、鋭かった。

「今夜の行動は、記録に残ります」

 エレナは、記録官へ一瞥を送る。

「“話し合い”ではなく、“強行”を選んだと」

 ルイスは、初めてはっきりと動揺した。

「……脅すつもりか」

「いいえ」

 エレナは、静かに否定する。

「選択肢を、示しているだけです」

 彼女は、一歩前へ出た。

「今、ここで話し合うか。
 それとも、この強行を――公にするか」

 重い沈黙が落ちる。

 王太子は、屋敷を見回した。
 視線の先には、怯える使用人。
 冷静な貴族。
 そして――一歩も引かない、エレナ。

(……詰められている)

 ルイスは、ようやく理解した。

 追い詰められて、牙を剥いたつもりが――
 その瞬間こそ、最も無防備だったのだと。

「……話をしよう」

 絞り出すような声。

 エレナは、深く息を吐いた。

(……第一段階、完了)

 強行という選択は、王太子自身の首を絞める。
 夜に鳴った足音は――彼の立場が、確実に軋む音だった。

 だが、これは終わりではない。
 本当の対峙は――これからだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愚かな者たちは国を滅ぼす【完結】

春の小径
ファンタジー
婚約破棄から始まる国の崩壊 『知らなかったから許される』なんて思わないでください。 それ自体、罪ですよ。 ⭐︎他社でも公開します

婚約破棄を「奪った側」から見たならば ~王子、あなたの代わりはいくらでもいます~

フーラー
恋愛
王子が「真実の愛」を見つけて婚約破棄をする物語を「奪ったヒロイン側」の視点で『チート相手に勝利する』恋愛譚。 舞台は中世風ファンタジー。 転生者である貴族の娘『アイ』は、前世から持ち込んだ医療や衛生の知識を活かして、世界一の天才研究家として名を馳せていた。 だが、婚約者の王子ソームはそれを快く思っていなかった。 彼女のその活躍こそ目覚ましかったが、彼が求めていたのは『優秀な妻』ではなく、自分と時間を共有してくれる『対等なパートナー』だったからだ。 だが、それを周りに行っても「彼女の才能に嫉妬している」と嘲笑されることがわかっていたため、口に出せなかった。 一方のアイも、もともと前世では『本当の意味でのコミュ障』だった上に、転生して初めてチヤホヤされる喜びを知った状態では、王子にかまける余裕も、彼の内面に目を向ける意識もなかった。 そんなときに王子は、宮廷道化師のハーツに相談する。 「私にアイ様のような才能はないですが、王子と同じ時間は過ごすことは出来ます」 そういった彼女は、その王子をバカにしながらも、彼と一緒に人生を歩く道を模索する。 それによって、王子の心は揺れ動いていくことになる。 小説家になろう・カクヨムでも掲載されています! ※本作を執筆するにあたりAIを補助的に利用しています

【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~

朝日みらい
恋愛
煌びやかな晩餐会。クラリッサは上品に振る舞おうと努めるが、周囲の貴族は彼女の地味な外見を笑う。 婚約者ルネがワインを掲げて笑う。「俺は華のある令嬢が好きなんだ。すまないが、君では退屈だ。」 静寂と嘲笑の中、クラリッサは微笑みを崩さずに頭を下げる。 夜、涙をこらえて母宛てに手紙を書く。 「恥をかいたけれど、泣かないことを誇りに思いたいです。」 彼女の最初の手紙が、物語の始まりになるように――。

お前との婚約は、ここで破棄する!

ねむたん
恋愛
「公爵令嬢レティシア・フォン・エーデルシュタイン! お前との婚約は、ここで破棄する!」  華やかな舞踏会の中心で、第三王子アレクシス・ローゼンベルクがそう高らかに宣言した。  一瞬の静寂の後、会場がどよめく。  私は心の中でため息をついた。

【完結】「めでたし めでたし」から始まる物語

つくも茄子
恋愛
身分違の恋に落ちた王子様は「真実の愛」を貫き幸せになりました。 物語では「幸せになりました」と終わりましたが、現実はそうはいかないもの。果たして王子様と本当に幸せだったのでしょうか? 王子様には婚約者の公爵令嬢がいました。彼女は本当に王子様の恋を応援したのでしょうか? これは、めでたしめでたしのその後のお話です。 番外編がスタートしました。 意外な人物が出てきます!

婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃

ぜらちん黒糖
恋愛
​「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」 ​甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。 旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。 「それは本当に私の子供なのか?」

婚約破棄をされるのですね? でしたらその代償を払っていただきます

柚木ゆず
恋愛
「フルール・レファネッサル! この時を以てお前との婚約を破棄する!!」  私フルールの婚約者であるラトーレルア侯爵令息クリストフ様は、私の罪を捏造して婚約破棄を宣言されました。  クリストフ様。貴方様は気付いていないと思いますが、そちらは契約違反となります。ですのでこれから、その代償を払っていただきますね。

処理中です...