婚約破棄された令嬢は、選ばれる人生をやめました

ふわふわ

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第6話 癒やしでは、国は回らない

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第6話 癒やしでは、国は回らない

 王宮の回廊は、朝から落ち着きがなかった。

 足早に行き交う侍従、険しい表情の官僚たち。
 ひそひそと交わされる低い声は、どれも切迫している。

 ノエリアは、その中心を歩きながら、胸の奥に小さな不安を抱えていた。

(……最近、空気が重い)

 アルノルト殿下の婚約者として王宮に迎えられてから、まだそれほど時間は経っていない。
 それなのに、ここ数日は特に、殿下の周囲が騒がしい。

 控え室に入ると、侍女たちが一斉に頭を下げた。

「ノエリア様、本日は――」

「えっと……皆さん、そんなにかしこまらなくて大丈夫です」

 慌てて手を振るが、侍女たちの表情は硬いままだ。

 以前は、もっと柔らかかったはずなのに。

(……私、何かしてしまったのかしら)

 しばらくして、アルノルトが現れた。

 だが、その顔色は冴えない。

「ノエリア、すまない。
 少し、時間をくれ」

「は、はい……」

 彼はそう言うと、机に広げられた書類に再び向き直る。
 声をかける隙もないほど、苛立った様子だった。

 沈黙が、重く落ちる。

 耐えきれず、ノエリアは小さく口を開いた。

「……殿下。
 私に、何かお手伝いできることはありませんか?」

 アルノルトは一瞬、顔を上げた。

「君には関係ない」

 その言葉は、突き放すようだった。

 ノエリアは、胸がちくりと痛むのを感じる。

「で、でも……私は、殿下を支えたいんです。
 そのために、ここに――」

「ノエリア」

 遮るように呼ばれ、彼女は言葉を止めた。

「今は……癒やしだけでは足りない」

 その言葉は、彼自身に向けたもののようにも聞こえた。

 ノエリアは、何も返せなかった。

 ――癒やし。

 それが、自分に求められている役割だと思っていた。
 それで十分だと、信じていた。

 けれど今、殿下の前には、山のような問題が積まれている。

 財政の遅れ。
 貴族たちからの抗議。
 地方から届く、不満の声。

 どれも、優しい言葉だけでは解決しない。

「……失礼いたします」

 控えめに頭を下げ、ノエリアは部屋を出た。

 回廊を歩きながら、胸がぎゅっと締め付けられる。

(私、場違いなのかな……)

 ふと、すれ違う侍女たちの会話が耳に入った。

「最近、決裁が遅れてるらしいわ」
「前は、もっとスムーズだったのに……」

「前は――」

 その続きは、聞かなくてもわかってしまった。

 ――前は、セラフィナがいた。

 その名前が頭に浮かび、ノエリアは思わず足を止めた。

 婚約破棄の場で、凛と立っていたあの姿。
 悲しむふりをしながらも、どこか余裕を感じさせる態度。

(……私とは、違う)

 比べるつもりはなかった。
 けれど、どうしても比べてしまう。

 その夜。

 ノエリアは、アルノルトとともに夕食の席についた。

 料理は豪華だが、会話は少ない。

「……お口に合いませんか?」

 意を決して尋ねると、アルノルトは首を振った。

「いや。問題ない」

 だが、表情は硬いままだ。

「殿下……」

 ノエリアは、勇気を振り絞った。

「私、もっと勉強した方がいいでしょうか。
 政務のこと……少しでも……」

 その言葉に、アルノルトの手が止まる。

「……無理をする必要はない」

 即答だった。

「君は、そういうことをしなくていい」

 その言葉は、優しいはずなのに。

 ノエリアの胸には、冷たいものが残った。

(“できない”って、言われているみたい……)

 食後、アルノルトは一人、執務室へ戻っていった。

 ノエリアは、広い自室で一人、椅子に腰を下ろす。

 窓の外には、夜の王都の灯り。

 綺麗なのに、どこか遠い。

(私……ここにいて、いいのかな)

 その頃。

 王宮の別室では、重臣たちが小声で話し合っていた。

「王太子殿下のご判断、やはり早すぎたのでは……」
「代わりの補佐が、追いついておりません」

「……セラフィナ嬢が抜けた穴は、大きい」

 その名前が、再び静かに囁かれる。

 ノエリアは、その事実をまだ知らない。

 自分が“選ばれた”ことの重さを、
 そして、“選ばれなかった者”が担っていた役割の大きさを。

 癒やしでは、国は回らない。

 その現実が、ゆっくりと、しかし確実に彼女を追い詰め始めていた。

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