婚約破棄された令嬢は、選ばれる人生をやめました

ふわふわ

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第5話 白い結婚は、冷たいとは限らない

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第5話 白い結婚は、冷たいとは限らない

 シュタインベルク公国の朝は、静かだった。

 窓の外では、規則正しく整備された庭園に朝日が差し込み、鳥のさえずりすらどこか控えめに聞こえる。

 ――無駄がない国。

 それが、この地に来てからの私の率直な印象だった。

「お嬢様、こちらを」

 エマが差し出したのは、薄青色のドレス。
 華美ではないが、生地も仕立ても一級品だ。

「今日の式には、これが最適かと」

「ええ。ありがとうございます」

 鏡に映る自分の姿を見つめ、私は静かに息を整えた。

 今日、私は結婚する。

 恋愛感情はない。
 甘い誓いの言葉もない。

 ――いわゆる、白い結婚。

 それでも、不安がないと言えば嘘になる。
 けれど、それ以上に、心は驚くほど落ち着いていた。

(条件は、すべて明確ですもの)

 互いに干渉しない。
 役割は、協力者。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 式は、公爵邸の小礼拝堂で執り行われた。

 参列者は最低限。
 派手な祝宴もない。

 その合理性が、むしろ心地よかった。

 祭壇の前に立つカルヴァスは、いつもと変わらない無表情だった。
 けれど、こちらを見る視線には、確かな集中があった。

「――これより、婚姻の儀を執り行う」

 司祭の声が、静かに響く。

 誓いの言葉も、簡潔だった。

 愛を誓う代わりに、
 互いの立場と責務を尊重すること。

 それが、この結婚の本質。

「……異議は?」

 司祭の問いに、私ははっきりと答えた。

「ありません」

 カルヴァスも、同じく短く言う。

「ない」

 指輪が交換される。

 その動作すら、儀式の一部として正確だった。

 ――けれど。

 私の指に指輪を通すとき、カルヴァスの手が、ほんの一瞬だけ躊躇した。

 ごく僅かな、気のせいかもしれない程度の間。

(……今のは?)

 視線を上げると、彼はすでに何事もなかったような顔をしていた。

 式が終わり、控え室へ移動する。

「疲れたか」

 カルヴァスが、唐突に尋ねた。

「いいえ。問題ありませんわ」

 事実だった。

「無理をする必要はない。
 この結婚に、感情的な負担は求めていない」

「承知しております」

 私は、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。

「ですが……」

「?」

「ご配慮、ありがとうございます」

 その言葉に、カルヴァスは一瞬だけ目を瞬かせた。

「……必要なことだ」

 それ以上は何も言わない。

 昼食は、執務を兼ねた簡素なものだった。

 食卓には、すでにいくつかの書類が並べられている。

「早速だが、これを見てほしい」

 渡されたのは、公国北部の物流に関する報告書。

 私は目を通し、数分で要点を掴んだ。

「街道の再整備が、優先ですわね。
 ただし全面改修ではなく、要所のみ補強する形で」

「理由は?」

「予算と、工期短縮。
 それに――」

 私は、報告書の一部を指で示す。

「三年以内に交易量が増加する見込みがあります。
 今は“耐える設計”で十分です」

 カルヴァスは、無言で頷いた。

「……的確だ」

 その評価は、簡潔だが重い。

 昼食後、側近のクラウスが控えめに言った。

「公爵、失礼ですが……
 本日はご婚姻の日です。少しは――」

「平常通りでいい」

 即答だった。

 だが、カルヴァスは一度、こちらへ視線を向ける。

「……不満はないか」

 その問いは、意外だった。

 私は一瞬考え、正直に答える。

「いいえ。
 むしろ、ありがたいですわ」

「?」

「“役割”を求めていただけることが」

 彼は、ほんのわずかに眉を寄せた。

「……普通は、そうは思わない」

「普通でなくて結構です」

 私は静かに言った。

 沈黙。

 だが、それは気まずいものではなかった。

 夜。

 それぞれの部屋に戻る前、カルヴァスが立ち止まる。

「……寝室は分けてある。
 必要があれば、変更も可能だ」

「このままで問題ありません」

 私は即答した。

 彼は、わずかに頷く。

「そうか」

 扉が閉まり、一人になる。

 私はベッドに腰を下ろし、指輪を見つめた。

 白い結婚。
 感情を伴わない契約。

 ――なのに。

(……不思議ですわね)

 冷たいはずのその関係は、
 思っていたより、ずっと居心地がいい。

 その頃、カルヴァスは執務室で一人、書類を見つめていた。

 視線は、先ほどセラフィナが示した改善案に留まっている。

「……合理的だ」

 だが、その言葉の裏に、別の感情が混じっていることを、彼自身はまだ認めていなかった。

 白い結婚は、冷たい契約のはずだった。

 ――少なくとも、始まりは。

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