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第4話 失われたものに、気づくのはいつも遅い
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第4話 失われたものに、気づくのはいつも遅い
王宮の執務室は、以前よりも広く、そして――うるさく感じられた。
机の上に積み上げられた書類の山。
決裁待ちの案件、数字の合わない帳簿、各地から届く要請文。
第一王太子アルノルトは、苛立ちを隠そうともせず、椅子に深く腰掛けていた。
「……多すぎる」
吐き捨てるように呟き、書類を一枚手に取る。
だが、数行目を読んだところで眉をひそめた。
「なんだ、これは……?」
税収見込みが合わない。
支出の内訳が不明瞭。
どこかが、確実におかしい。
「おかしいな……以前は、こんなことは……」
――その“以前”を支えていた存在を、彼はまだ正確に認識していなかった。
扉がノックされ、侍従が顔を出す。
「殿下、財務官がお待ちです」
「今行く」
苛立ちを抑えきれないまま、アルノルトは執務室を出た。
会議室では、財務官たちが硬い表情で並んでいる。
「殿下、まずこちらをご覧ください」
差し出されたのは、赤字で修正された予算案。
「……なぜ、ここが削られている?」
「以前は、別の項目から調整が入っておりましたが……
今回は、その指示がありませんでしたので」
アルノルトは一瞬、言葉に詰まった。
“その指示”。
確かに以前は、こうした細かな調整が、自然と行われていた。
誰がやっていたのかを、深く考えたことはなかったが。
「……今後は、君たちで何とかしろ」
投げやりな返答に、財務官たちの顔が強張る。
「殿下、それは……」
「時間がない。次だ」
会議は、終始噛み合わないまま終わった。
執務室へ戻る途中、廊下でアルノルトは足を止める。
視線の先には、淡い色のドレスを身にまとった少女――ノエリアがいた。
「殿下……」
彼女は控えめに頭を下げる。
「どうした?」
「……その、皆さまが慌ただしくなさっているようで……
私に、何かできることがあれば……」
その声音は優しく、労わるようだった。
それに、アルノルトはほっと息をつく。
「大丈夫だ。君は気にしなくていい」
「でも……」
ノエリアは、言葉を探すように視線を伏せた。
「私、殿下のお力になりたいんです。
セラフィ……いえ……」
言いかけて、彼女は慌てて口をつぐむ。
アルノルトの胸に、わずかな違和感が走った。
――今、彼女は何と言いかけた?
「……続けて」
「い、いえ……なんでもありません」
ノエリアは小さく首を振った。
その仕草は、確かに“守ってあげたい”と思わせる。
だが――
(……癒やし、だけだ)
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
彼は、意識的にその考えを振り払う。
「心配しなくていい。
君は、君のままでいればいい」
それは、以前、誰かに向けて言われたことのある台詞だった気がする。
誰だったか――。
その夜。
アルノルトは、久しぶりに一人で夕食を取っていた。
食卓は整えられているが、どこか味気ない。
「……味が、薄いな」
そう呟いてから、彼は気づく。
料理の味付けを細かく確認し、季節ごとに調整案を出していた人物が、もういないことに。
食後、執務室に戻り、書類を開く。
だが、数字は踊り、意味を成さない。
「……なぜだ」
苛立ちとともに、胸の奥に、じわじわと不安が広がる。
そのとき、机の引き出しの奥に、一通の古いメモが目に入った。
整った文字。
簡潔な要点。
的確な指示。
――セラフィナ・ヴァルシュタインの筆跡。
そこには、こう記されていた。
『※この項目は三年後に問題化する可能性あり。
早めの対応を推奨』
アルノルトは、息を呑んだ。
「……ああ」
ようやく、点と点が繋がる。
これまで、滞りなく回っていた国政。
見えないところで、整えられていた仕組み。
それを支えていたのは――
「……完璧すぎる、だと?」
自分が放った言葉が、胸に突き刺さる。
その頃。
隣国シュタインベルク公国では、セラフィナが静かに紅茶を口にしていた。
机の上には、新たな領地改革案。
それを見つめるカルヴァスは、短く言った。
「……早いな」
「必要なことを、必要な順に整理しただけですわ」
淡々と返す彼女を見て、カルヴァスはほんの一瞬、口元を緩めた。
王国で失われた歯車は、
今、別の場所で、正しく回り始めている。
――アルノルトがそれに完全に気づくのは、もう少し先の話だった。
王宮の執務室は、以前よりも広く、そして――うるさく感じられた。
机の上に積み上げられた書類の山。
決裁待ちの案件、数字の合わない帳簿、各地から届く要請文。
第一王太子アルノルトは、苛立ちを隠そうともせず、椅子に深く腰掛けていた。
「……多すぎる」
吐き捨てるように呟き、書類を一枚手に取る。
だが、数行目を読んだところで眉をひそめた。
「なんだ、これは……?」
税収見込みが合わない。
支出の内訳が不明瞭。
どこかが、確実におかしい。
「おかしいな……以前は、こんなことは……」
――その“以前”を支えていた存在を、彼はまだ正確に認識していなかった。
扉がノックされ、侍従が顔を出す。
「殿下、財務官がお待ちです」
「今行く」
苛立ちを抑えきれないまま、アルノルトは執務室を出た。
会議室では、財務官たちが硬い表情で並んでいる。
「殿下、まずこちらをご覧ください」
差し出されたのは、赤字で修正された予算案。
「……なぜ、ここが削られている?」
「以前は、別の項目から調整が入っておりましたが……
今回は、その指示がありませんでしたので」
アルノルトは一瞬、言葉に詰まった。
“その指示”。
確かに以前は、こうした細かな調整が、自然と行われていた。
誰がやっていたのかを、深く考えたことはなかったが。
「……今後は、君たちで何とかしろ」
投げやりな返答に、財務官たちの顔が強張る。
「殿下、それは……」
「時間がない。次だ」
会議は、終始噛み合わないまま終わった。
執務室へ戻る途中、廊下でアルノルトは足を止める。
視線の先には、淡い色のドレスを身にまとった少女――ノエリアがいた。
「殿下……」
彼女は控えめに頭を下げる。
「どうした?」
「……その、皆さまが慌ただしくなさっているようで……
私に、何かできることがあれば……」
その声音は優しく、労わるようだった。
それに、アルノルトはほっと息をつく。
「大丈夫だ。君は気にしなくていい」
「でも……」
ノエリアは、言葉を探すように視線を伏せた。
「私、殿下のお力になりたいんです。
セラフィ……いえ……」
言いかけて、彼女は慌てて口をつぐむ。
アルノルトの胸に、わずかな違和感が走った。
――今、彼女は何と言いかけた?
「……続けて」
「い、いえ……なんでもありません」
ノエリアは小さく首を振った。
その仕草は、確かに“守ってあげたい”と思わせる。
だが――
(……癒やし、だけだ)
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
彼は、意識的にその考えを振り払う。
「心配しなくていい。
君は、君のままでいればいい」
それは、以前、誰かに向けて言われたことのある台詞だった気がする。
誰だったか――。
その夜。
アルノルトは、久しぶりに一人で夕食を取っていた。
食卓は整えられているが、どこか味気ない。
「……味が、薄いな」
そう呟いてから、彼は気づく。
料理の味付けを細かく確認し、季節ごとに調整案を出していた人物が、もういないことに。
食後、執務室に戻り、書類を開く。
だが、数字は踊り、意味を成さない。
「……なぜだ」
苛立ちとともに、胸の奥に、じわじわと不安が広がる。
そのとき、机の引き出しの奥に、一通の古いメモが目に入った。
整った文字。
簡潔な要点。
的確な指示。
――セラフィナ・ヴァルシュタインの筆跡。
そこには、こう記されていた。
『※この項目は三年後に問題化する可能性あり。
早めの対応を推奨』
アルノルトは、息を呑んだ。
「……ああ」
ようやく、点と点が繋がる。
これまで、滞りなく回っていた国政。
見えないところで、整えられていた仕組み。
それを支えていたのは――
「……完璧すぎる、だと?」
自分が放った言葉が、胸に突き刺さる。
その頃。
隣国シュタインベルク公国では、セラフィナが静かに紅茶を口にしていた。
机の上には、新たな領地改革案。
それを見つめるカルヴァスは、短く言った。
「……早いな」
「必要なことを、必要な順に整理しただけですわ」
淡々と返す彼女を見て、カルヴァスはほんの一瞬、口元を緩めた。
王国で失われた歯車は、
今、別の場所で、正しく回り始めている。
――アルノルトがそれに完全に気づくのは、もう少し先の話だった。
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