婚約破棄された令嬢は、選ばれる人生をやめました

ふわふわ

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第9話 それは独占欲だと、まだ誰も呼ばない

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第9話 それは独占欲だと、まだ誰も呼ばない

 シュタインベルク公国の朝は、相変わらず静かだった。

 執務棟の廊下を進みながら、私は今日の予定を頭の中で整理していた。
 午前は商会代表との面談、午後は新たな交易路に関する最終確認。
 夜は――特に予定はない。

(……問題ありませんわね)

 白い結婚とはいえ、公爵夫人としての役割は明確だ。
 仕事があり、裁量があり、結果が返ってくる。

 それ以上を、私は求めていなかった。

「セラフィナ様」

 呼び止めたのは、外交補佐官の一人だった。

「本日の商会代表ですが、王国側の仲介人も同席を希望しているとのことです」

 私は足を止めた。

「……王国から、ですか」

「はい。非公式の立場だそうですが」

 一瞬、頭の中で状況を組み立てる。

(今さら、関係修復の糸口を探しに?
 ……いえ、もっと個人的な事情ですわね)

「公爵には、もう?」

「これからご報告を」

「でしたら、私からお話ししますわ」

 そう言って、私は執務室へ向かった。

 扉をノックし、中に入ると、カルヴァスはすでに資料に目を通していた。

「どうした」

「本日の面談ですが、王国側の仲介人が同席を希望しています」

 カルヴァスの手が、ぴたりと止まった。

「……理由は?」

「“非公式な情報交換”とのことです」

 彼は、数秒沈黙したあと、短く言った。

「断る」

 即答だった。

 私は、わずかに目を瞬かせる。

「理由を伺っても?」

「必要がない」

 その声音は、いつもより硬い。

「王国は、こちらの正式な再交渉を拒否した。
 今さら非公式など、筋が通らない」

 確かに、理屈としては正しい。

 だが――。

「商会代表が王国寄りである可能性は?」

「ある」

「なら、完全に拒絶するより、条件付きで受けた方が――」

「必要ない」

 再び、即答。

 カルヴァスは顔を上げ、こちらを見た。

「君が、王国と直接やり取りする必要はない」

 その言葉に、私はわずかに息を詰めた。

「……それは、公爵家としての判断でしょうか」

「そうだ」

 短いが、揺るぎのない返答。

 一見、合理的。
 けれど――

(少し、強すぎますわね)

 私は、慎重に言葉を選んだ。

「私は、公爵夫人であると同時に、交渉役でもあります。
 王国との折衝経験は、無駄にはなりませんわ」

「それでもだ」

 カルヴァスは、ほんのわずかに眉を寄せた。

「……あちらは、君を都合よく使おうとする」

 その言葉は、静かだったが、鋭かった。

 私は、そこでようやく理解する。

(……ああ)

 彼は、“政治的な不利”だけを見ているのではない。

「ご心配、ありがとうございます」

 私は、穏やかに微笑んだ。

「ですが、私はもう、王国の人間ではありません」

 カルヴァスの視線が、私から離れない。

「それに――」

 私は、一歩だけ近づいた。

「利用されるかどうかは、私が判断します」

 沈黙が落ちる。

 数秒後、カルヴァスは深く息を吐いた。

「……君は、本当に厄介だな」

「褒め言葉として受け取っておきますわ」

 彼は、口元を押さえるようにして、視線を逸らした。

「条件付きで、同席を認める。
 ただし、交渉の主導権はこちらにある」

「ええ。それで十分です」

 そう答えながら、私は内心で小さく首を傾げていた。

(……今の反応)

 彼は、王国を警戒している。
 それは当然だ。

 けれど、その警戒心の向きが――
 少し、私に寄りすぎている。

 午後。

 商会代表との面談は、予想以上に順調だった。

 王国側の仲介人は、終始控えめな態度を保ち、決定的な発言は避けている。

 ――だが、その視線は、何度も私に向けられていた。

「……さすがは、ヴァルシュタイン侯爵家のご令嬢」

 休憩中、仲介人が小声で言った。

「王国では、今もあなたの名が――」

「その話題は、ここでは不要です」

 私が静かに遮ると、彼は慌てて頭を下げた。

 その様子を、少し離れた場所から見ていたカルヴァスの表情は、いつも以上に冷えていた。

 面談が終わり、関係者が退出したあと。

 執務室には、私とカルヴァスだけが残った。

「……先ほどの仲介人」

「はい」

「二度と、君に直接話しかけさせるな」

 命令口調ではない。
 だが、はっきりとした拒絶だった。

 私は、少し驚いて彼を見た。

「それは、少々――」

「必要な措置だ」

 彼は、目を伏せたまま続ける。

「君は、こちらの人間だ。
 王国の思惑に、引きずられる必要はない」

 “こちらの人間”。

 その言葉が、胸の奥に静かに落ちる。

「……ありがとうございます」

 私がそう言うと、カルヴァスは一瞬だけ視線を上げた。

 そして、少し困ったように言った。

「誤解するな。
 これは、政治的判断だ」

 ……ええ。

 そういうことに、しておきましょう。

 その夜。

 自室で紅茶を飲みながら、私は今日の出来事を思い返していた。

 合理的な判断。
 冷静な拒絶。

 けれど、その裏にあった感情は――
 果たして、どこまでが“政治”なのか。

(独占欲、ですか……?)

 首を振り、その考えを追い払う。

 白い結婚だ。
 期待する必要はない。

 ……ない、はずなのに。

 一方、カルヴァスは執務室で一人、無言で書類を見つめていた。

 だが、視線は文字を追っていない。

「……厄介だ」

 そう呟いた声は、誰に向けられたものでもない。

 ただ一つ確かなのは――
 彼が“協力者”以上の存在として、セラフィナを意識し始めているという事実だった。

 それを、まだ彼自身だけが、理解していない。


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