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第15話 要求は、交渉ではない
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第15話 要求は、交渉ではない
その書簡は、朝一番で公爵邸に届いた。
装飾は控えめ。
封蝋も、形式通り。
だが、差出人を見た瞬間、執務室の空気がわずかに張り詰める。
「……王国から、ですか」
セラフィナは、机の向かいに立つ使者を一瞥し、淡々と言った。
「あくまで“要請”とのことですが」
使者の声には、どこか含みがあった。
カルヴァスは書簡を受け取り、無言で封を切る。
中身に目を通した、その次の瞬間。
――彼の表情が、完全に冷えた。
「……ふむ」
短い一言。
それだけで、内容の重さが伝わる。
カルヴァスは書簡を机に置き、セラフィナへ視線を向けた。
「読むか」
「ええ」
彼女は、静かに頷いた。
文章は、丁寧に整えられていた。
言葉遣いも、礼を失してはいない。
――だが。
『シュタインベルク公国におかれては、王国経由の交易再開を速やかに検討されたい。
加えて、貴国の政策立案に関与する人材の一部を、王国へ一時的に派遣することを要請する』
セラフィナは、そこで視線を止めた。
「……人材の派遣、ですか」
「ああ」
カルヴァスの声は低い。
「名は出ていないが、対象は明白だ」
セラフィナは、苦笑に近い微笑を浮かべた。
「私、ですわね」
否定の余地はない。
王国は、ようやく気づいたのだ。
失ったものの“正体”に。
だが、その気づきは――遅すぎた。
「これは、交渉ではありません」
セラフィナは、静かに言った。
「“要求”です」
「同意する」
カルヴァスは、即答した。
「立場を理解していない。
こちらが、すでに選択を終えたという事実を」
王国は、まだ“対等”だと思っている。
あるいは――
“上位”であると。
「返答は、どうなさいますか」
セラフィナの問いに、カルヴァスは一瞬も迷わなかった。
「拒否だ」
「理由は?」
「不要だ」
だが、セラフィナは首を振る。
「いいえ。理由は、必要です」
彼女は、机上の書簡に指を置いた。
「王国は、“拒否された理由”を理解できていません。
ここで曖昧にすれば、次は“命令”になります」
カルヴァスは、彼女を見つめた。
「……書けるか」
「ええ」
セラフィナは、即座に筆を取った。
文章は、冷静で、正確で、徹底的に礼儀正しい。
『貴国の要請について検討した結果、現時点での交易再開および人材派遣はいずれも見送る判断となりました。
本件は、貴国の要請内容が“協議”ではなく“前提条件の提示”である以上、両国の利益に資する形での合意形成が困難であるためです』
さらに、こう続けた。
『なお、当該人材は現在、当公国の政策運営に不可欠な役割を担っており、代替は存在しません』
――完全な拒否。
だが、感情は一切混じっていない。
カルヴァスは、その文面を読み、静かに頷いた。
「送れ」
その日の午後。
王城では、再び会議が開かれていた。
書簡を手にしたアルノルトは、顔色を変えずに読み終え――
次の瞬間、机を強く叩いた。
「……馬鹿にしているのか!」
「殿下!」
重臣たちが慌てて声を上げる。
「“代替は存在しない”だと?
人は、いくらでもいる!」
「殿下」
宰相が、低い声で言った。
「それが、間違いなのです」
アルノルトは、言葉を失う。
「彼女は、“人材”ではありません。
“仕組み”そのものだったのです」
その指摘に、会議室が静まり返る。
王国は、ようやく理解し始めていた。
――取り返しがつかない、と。
その頃。
シュタインベルク公国では、セラフィナが執務を終え、廊下を歩いていた。
「……王国は、諦めませんわね」
隣を歩くカルヴァスに、彼女は小さく言う。
「当然だ。
自分たちの失策を、認められない」
「では、次は?」
カルヴァスは、足を止め、彼女を見た。
「次は、“条件のない懇願”か、
“責任転嫁”だ」
セラフィナは、静かに息を吐いた。
「どちらにしても、こちらの選択は変わりません」
「ああ」
カルヴァスは、はっきりと言った。
「君は、ここにいる」
その言葉は、確認だった。
命令でも、束縛でもない。
セラフィナは、一瞬だけ迷い――
そして、頷いた。
「ええ。
私は、ここにいます」
白い結婚。
合理的な関係。
その前提は、まだ崩れていない。
だが、王国が突きつけた“要求”は、
皮肉にも、ひとつの事実を明確にした。
――彼女は、もう“返してもらえる存在”ではない。
それに気づいたとき、
王国が失ったものは、もはや数字では測れないものになっていた。
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その書簡は、朝一番で公爵邸に届いた。
装飾は控えめ。
封蝋も、形式通り。
だが、差出人を見た瞬間、執務室の空気がわずかに張り詰める。
「……王国から、ですか」
セラフィナは、机の向かいに立つ使者を一瞥し、淡々と言った。
「あくまで“要請”とのことですが」
使者の声には、どこか含みがあった。
カルヴァスは書簡を受け取り、無言で封を切る。
中身に目を通した、その次の瞬間。
――彼の表情が、完全に冷えた。
「……ふむ」
短い一言。
それだけで、内容の重さが伝わる。
カルヴァスは書簡を机に置き、セラフィナへ視線を向けた。
「読むか」
「ええ」
彼女は、静かに頷いた。
文章は、丁寧に整えられていた。
言葉遣いも、礼を失してはいない。
――だが。
『シュタインベルク公国におかれては、王国経由の交易再開を速やかに検討されたい。
加えて、貴国の政策立案に関与する人材の一部を、王国へ一時的に派遣することを要請する』
セラフィナは、そこで視線を止めた。
「……人材の派遣、ですか」
「ああ」
カルヴァスの声は低い。
「名は出ていないが、対象は明白だ」
セラフィナは、苦笑に近い微笑を浮かべた。
「私、ですわね」
否定の余地はない。
王国は、ようやく気づいたのだ。
失ったものの“正体”に。
だが、その気づきは――遅すぎた。
「これは、交渉ではありません」
セラフィナは、静かに言った。
「“要求”です」
「同意する」
カルヴァスは、即答した。
「立場を理解していない。
こちらが、すでに選択を終えたという事実を」
王国は、まだ“対等”だと思っている。
あるいは――
“上位”であると。
「返答は、どうなさいますか」
セラフィナの問いに、カルヴァスは一瞬も迷わなかった。
「拒否だ」
「理由は?」
「不要だ」
だが、セラフィナは首を振る。
「いいえ。理由は、必要です」
彼女は、机上の書簡に指を置いた。
「王国は、“拒否された理由”を理解できていません。
ここで曖昧にすれば、次は“命令”になります」
カルヴァスは、彼女を見つめた。
「……書けるか」
「ええ」
セラフィナは、即座に筆を取った。
文章は、冷静で、正確で、徹底的に礼儀正しい。
『貴国の要請について検討した結果、現時点での交易再開および人材派遣はいずれも見送る判断となりました。
本件は、貴国の要請内容が“協議”ではなく“前提条件の提示”である以上、両国の利益に資する形での合意形成が困難であるためです』
さらに、こう続けた。
『なお、当該人材は現在、当公国の政策運営に不可欠な役割を担っており、代替は存在しません』
――完全な拒否。
だが、感情は一切混じっていない。
カルヴァスは、その文面を読み、静かに頷いた。
「送れ」
その日の午後。
王城では、再び会議が開かれていた。
書簡を手にしたアルノルトは、顔色を変えずに読み終え――
次の瞬間、机を強く叩いた。
「……馬鹿にしているのか!」
「殿下!」
重臣たちが慌てて声を上げる。
「“代替は存在しない”だと?
人は、いくらでもいる!」
「殿下」
宰相が、低い声で言った。
「それが、間違いなのです」
アルノルトは、言葉を失う。
「彼女は、“人材”ではありません。
“仕組み”そのものだったのです」
その指摘に、会議室が静まり返る。
王国は、ようやく理解し始めていた。
――取り返しがつかない、と。
その頃。
シュタインベルク公国では、セラフィナが執務を終え、廊下を歩いていた。
「……王国は、諦めませんわね」
隣を歩くカルヴァスに、彼女は小さく言う。
「当然だ。
自分たちの失策を、認められない」
「では、次は?」
カルヴァスは、足を止め、彼女を見た。
「次は、“条件のない懇願”か、
“責任転嫁”だ」
セラフィナは、静かに息を吐いた。
「どちらにしても、こちらの選択は変わりません」
「ああ」
カルヴァスは、はっきりと言った。
「君は、ここにいる」
その言葉は、確認だった。
命令でも、束縛でもない。
セラフィナは、一瞬だけ迷い――
そして、頷いた。
「ええ。
私は、ここにいます」
白い結婚。
合理的な関係。
その前提は、まだ崩れていない。
だが、王国が突きつけた“要求”は、
皮肉にも、ひとつの事実を明確にした。
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