婚約破棄された令嬢は、選ばれる人生をやめました

ふわふわ

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第16話 白い結婚は、もう白く見えない

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第16話 白い結婚は、もう白く見えない

 違和感は、いつも外側から先に生まれる。

 シュタインベルク公国の社交界で、最初にそれを口にしたのは、古参の侯爵夫人だった。

「――最近、公爵家の空気、変わりましたわよね」

 午後の茶会。
 上質な磁器のカップが静かに触れ合う音の合間に、ささやき声が混じる。

「ええ。
 以前は“冷静”“合理的”といった印象でしたけれど……」

「今は、なんというか……」

 言葉を探す間が、不自然な沈黙を生む。

「……“落ち着いている”のに、あたたかい」

 誰かがそう言った。

 その評価は、すぐに周囲の頷きを誘った。

 白い結婚――。
 それは、公爵カルヴァスとセラフィナが結んだ、誰もが知る事実だ。

 互いに干渉しない。
 情を持ち込まない。
 あくまで、政治と合理のための結婚。

 ……の、はずだった。

「先日の公爵家主催の晩餐会、ご覧になりました?」

「ええ。
 席次が……妙でしたわよね」

 別の夫人が、声を潜める。

「奥様が、公爵の真正面でした」

 それは、象徴的な配置だった。

 夫婦としては、当然。
 だが、白い結婚という前提があるなら――
 むしろ、距離を取るはずの位置だ。

「しかも、公爵様」

「ええ」

「奥様以外と、ほとんど会話なさっていなかった」

 その事実に、誰も反論しなかった。

 一方、公爵邸の執務棟では。

 セラフィナが書類に目を通していると、側近のクラウスが報告に訪れていた。

「最近、社交界で妙な噂が広がっています」

「妙な、とは?」

 視線を上げずに、セラフィナは問う。

「白い結婚が、もはや“白くない”のではないか、と」

 ペン先が、わずかに止まった。

「……具体的には?」

「お二人の距離が、近すぎると」

 クラウスは言葉を選びながら続ける。

「業務上、必要以上に同席なさっている。
 判断を、ほぼ常に共有している。
 そして――」

「そして?」

「公爵が、奥様の不在時、明らかに機嫌を落とす、と」

 沈黙。

 セラフィナは、ゆっくりとペンを置いた。

(……観察されていますわね)

 当然だ。
 彼女たちは、外から見ている。

 当事者よりも、冷静に。

「事実誤認です、と言い切れますか?」

 クラウスの問いは、慎重だった。

 セラフィナは、すぐには答えなかった。

 嘘はつける。
 だが、説得力がない。

「……白い結婚であることに、変わりはありません」

 それは、事実だ。

「ただし」

 彼女は続ける。

「“距離を保つ努力”を、していないだけです」

 クラウスは、納得したような、しないような表情を浮かべた。

「その違いは……外から見ると、大きいようです」

 その夜。

 カルヴァスは、執務を終えたあと、自然な流れでセラフィナの部屋を訪れていた。

 以前なら、用件を明確にしてから来た。
 今は――理由が、曖昧だ。

「……今日、噂を聞きました」

 カルヴァスが言う。

「私もです」

 セラフィナは、苦笑する。

「どうやら、白い結婚は、外から見ると白くないようです」

「……困るか?」

 その問いは、単なる確認だった。

 セラフィナは、少し考えてから答える。

「政治的には、問題ありません。
 むしろ、安定して見える」

「感情的には?」

 問いが、一段深くなる。

「……簡単ではありませんわね」

 正直な答えだった。

 カルヴァスは、視線を逸らした。

「噂が広がれば、期待も生まれる」

「ええ」

「その期待に、応えられない可能性もある」

「それでも」

 セラフィナは、静かに言った。

「距離を取るためだけに、今の関係を崩す方が、
 不自然です」

 カルヴァスは、彼女を見る。

「……同意する」

 二人の間に、短い沈黙が落ちる。

 それは、緊張ではない。
 決断の前触れだ。

「白い結婚は、まだ有効だ」

 カルヴァスが言う。

「だが」

 続きの言葉を、彼は一瞬、飲み込んだ。

「“白さ”を、証明するための行動は、もう取らない」

 それは、境界線の引き直しだった。

 曖昧にする、という選択。

 逃げでも、進行でもない。

「……ずいぶん大胆ですわね」

 セラフィナは、小さく笑った。

「君に言われたくはない」

 珍しく、軽い応酬。

 そのやり取りを、扉の外で偶然耳にした侍女は、後にこう語っている。

「公爵ご夫妻は、とても静かでした。
 でも……とても“夫婦らしく”見えました」

 その頃、王国では。

 シュタインベルク公国の社交界での噂が、歪んだ形で伝わっていた。

「……白い結婚が、崩れかけている?」

 アルノルトは、報告書を握り潰しそうになる。

「それは、つまり――」

 宰相は、淡々と言った。

「公国は、もはや彼女を“貸す”つもりがない、ということです」

 完全に、手遅れだった。

 白い結婚は、まだ白い。

 だが――
 それを“白いままだ”と、信じているのは、
 もはや当事者だけではなくなっていた。


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